ヒマラヤトレッキング日記
〜 カラパタール / EBC トレッキング編 〜


2004/4/7 (Wed)

夜半雪(積雪 5cm)、曇り、のちにわか雨

天候確認のため起きる(3:30) → 起床(5:20) → Chhukung (4,730m) / Sun Rise Lodge 発(5:30) → ケルン (4,800m) 着(6:00) → 撮影開始(6:10) → ガスに巻かれて撤退開始(6:20) → Sun Rise Lodge 戻り(6:42) → 朝食(7:30) → Sun Rise Lodge 発(7:50) → Dingboche (4,350m) / Mountain Paradise Lodge 着(9:00) → Mountain Paradise Lodge 発(9:20) → Tsuro (4,250m) 着(9:57) → Tsuro 発(10:10) → Shomare (4,040m) 通過(10:40) → Pangboche (3,985m) / Ama Dablam Lodge and Restaurant 着 for 昼食(11:10)→ Ama Dablam Lodge and Restaurant 発(12:45) → Deuche (3,700m)通過(13:28) → たて at Temboche の手前の急登(13:40〜13:43) → Tengboche (3,867m) 着(13:55) → Tengboche 発(14:15) → たて at Phunki Tenga への下り(14:45〜14:50) → Phunki Tenga (3,190m) / Thamserku Lodge 着(15:00) → Thamserku Lodge 発(15:12) → Phunki Tenga / Ever Green Lodge 着(15:15) → 夕食(18:30) → 就寝(20:30)

(Chhukung 〜 Pangboche 歩程: 3時間20分 / Pangboche 〜 Phunki Tenga 歩程: 2時間30分

「奇跡の生還 ?!」

3時半、目覚ましがなって目を覚ます。窓から外を見る限りまだガスっている。一応、外に出てみるが完璧にガス。アマダブラム (Ama Dablam / 6,812m) どころか、50m 先だって見えるかどうかという状況なので、月明かりの撮影は諦めて 5時過ぎまで寝ることにする。

5時20分頃に起きて外を見ると相変わらず曇りのようだ。気温は室内で摂氏 0度。ひょっとしたら日の出る前に雲が取れるかもしれないという淡い期待をもって、5時半にロッジを出る。トレッキング初日にルクラ (Lukla / 2,860m) に入って以来、昨日までの毎日、必ず朝は晴れ上がっていたからである。

ロッジを出てすぐのところの小川を渡り、昨日ダイニングの窓から見えていた丘に取り付く。積雪は 5cm 程度。大き目の岩がごろごろしている上にこれだけ雪が積もっているとかなり歩きにくい。暗い上に空が曇っているため、雪の上はコントラストがまるでなく、ルート上の小さなくぼみも殆ど見えない。

下見をしていないので、昨日ロッジから眺めていたポイントに上がるのに、大体どの辺りを登っていけばいいのかまったく把握していない。その上、積雪によってルート上のふみ跡も完璧に隠されてしまっている。仕方がないので、丘の上のケルンらしきものに目標を定めて、それっぽいところを歩いて行く。ルート上を歩いているのか、そうでないところを歩いているのか、判別が難しく途方にくれて周りを眺めると、すぐそこに一匹のイヌの足跡が見える。雪が止んでから歩いたと見えて、くっきりと着いているその足跡は、よくよく見てみるとルートと思われるところを確実にトレースしている。雪の降った次の朝に一体どんな用があったのだろうか、普段歩いている道だからなのか、それとも鋭い嗅覚で確実に人の通るルートをトレースできるのか、おそらく後者だとは思うが、いずれにせよそのイヌは着実にルートを歩いて今まさに目指している丘の上のケルンの方向に歩いていったようなのだ。もちろん、その他に人間の足跡などは見当たらないので、彼は単独行でアイランド ピーク (Island Peak / 6,160m) でも目指して行ったのだろうか。

ロッジを出て 30分程、ところどころでイヌの足跡の助けを借りながら、ロッジから見えていた丘の小さな尾根の上まで上がる。そこにある、ケルンとも慰霊碑とも見える石積みの前でザックを降ろす。気温は摂氏氷点下 6度。意外と低い。しかも、空は相変わらずどんよりと曇っていて、とても雲が晴れて日の光がさしてくるとは思えない。とはいえ、山は一通り見えているので、証拠写真ぐらいは撮ろうかと思い、PENTAX 67II を出し三脚を組み立てる。雪の下の岩がよく見えないため、なかなか安定した場所が見つからず、さらに若干の風もあるため、三脚にストーンバックをつけることにするが、辺りの雪の下から手ごろな大きさの石を探すのに結構てこずってしまう。いざ撮影しようかと思ったら、今度は PENTAX 67II にフィルムが入っていない。昨日カメラを掃除したときに、フィルムを交換し忘れたのだ。雪のついた手袋をはずしてフィルムを装填する。ケルンについてからここまでざっと 10分弱もかかってしまった。

Chhukung の丘からの Ama Dablam さて、と思ってローツェの方向にカメラを向け、ふとチュクン (Chhukung / 4,730m) の方を眺めると、遥かディンボチェ (Dingboche / 4,350m) のさらに下の方から、ものすごい勢いでガスの塊が昇ってくるのが見える。
「げっ、早く写真を撮らなければ、せっかくここまで登ってきたのに全部隠れてしまうじゃないの!!」
と、レンズは 45mm の超広角のままだが、そのままローツェから右回りに 360度ぐるりとものすごい勢いでシャッターを切りまくる。アマダブラムを撮り終わってカメラをディンボチェの方向に向けると、ファインダーの中の超広角の映像でもガスが既にすぐそこまで迫ってきている。ガスは想像を遥かに超えるスピードで昇ってきたのだ。
「あっ、ヤバイ。ホワイトアウトしてチュクンの方角が分からなくなってしまったら帰れない...。」
と、撮影を取りやめてものすごい勢いでザックをひっくり返しコンパスを取り出す。間一髪。Silva Compass に現在地からチュクンへの方向と磁北を確実にセットし終わった瞬間に、さーっと辺りは真っ白な世界になってしまった。
「間に合った...。」

「しかし、せっかくここまで登ってきたのになぁ...。曇りでもガスさえ来なければもうちょっとじっくり撮れたものを...」
と思うが、辺りはもう真っ白で何も見えないのだからいかんともしがたい。足元も雪で覆われているし影は出ないから、トレースもはっきり見えない状態だ。今はガスだけだがこのまま雪が降り出した日には、実際問題、帰りのルートを間違える可能性はかなり高いのだ。昨日の夕方ケサブ君に言ったセリフが思い出される。これで本当に道に迷って帰りが遅くなり、ケサブ君が真剣に心配して探しに来てくれたりしたら、まったくもってシャレにならんのだ。朝メシまでそんなに時間があるわけでもないし、万が一雪が降り出さないとも限らないので、ガスが晴れるのを待つのはきっぱり断念して、三脚を畳んでカメラをザックに入れてすぐに下山の準備にかかる。

ロッジに戻る一番簡単な方法は、自分の歩いた足跡をたどって帰ることだ。ところが、イヌの足跡をトレースした箇所以外では、短時間で丘の上に出るために、直登に近くがむしゃらに登ってきた部分もあり、5cm の新雪のついたツルツルの岩の急斜面を、登ってきたルートそのままに下るのは難しい。しかも岩かと思うとその下は草だったり、あっという間にスリップして岩に腰をしこたま打ち付ける。カメラをザックにしまっておいて本当によかった、などと言っている場合でもないが、仕方がないので急斜面を迂回したりして下っていくうちに、自分の登ってきたトレースを見失ってしまう。山の風景は登りと下りでまったく印象が異なるものだ。したがって、ガスの中から垣間見る岩などをみて、登りのときの景色を思い出そうとしても、それは無駄なことなのだ。

それでも、最後の瞬間にコンパスに方角もセットしているという精神的なよりどころもあるので、努めて冷静に、焦らずゆっくりと下っていく。ついでに気を落ち着けるために立ちションをしながらあたりを見回していると、さっきのイヌの足跡を発見。これを頼りに下っていくというのもテだが、それを見つけたのは 30分の登りのうちの後半部分なので、果たしてそのイヌが本当にチュクンから来たイヌなのかというところはイマイチ確証が持てないのだ。しかしながら、イヌが歩いていると言うことはここが人の歩くルートなのだということの証拠でもあるので、それと思わしきところを下っていくと、ガスの中から小川のせせらぎが聞こえてきて、行きに渡った木の橋がぼーっと現れる。無事生還。

橋を渡ると、その向こうのテント場で歯磨きをしていたポーターの男性が、目を丸くしてこっちを見ている。そりゃそうだ。こっちは写真を撮りにちょいとそこまで上がったというには、あまりにも大きなザックとストック、しかもスパッツをつけた完全装備で下りてきたのだ。
「朝のこの時間、しかもこんなガスの中を単独でアイランドピーク方面から下ってくるなんて、どんなに酔狂なヤツなんだ?」
と思ったに違いない。

結果的には下りに費やした時間は 20分程だったが、周りが真っ白な世界での 20分は倍の 40分ぐらいに感じられた。ガスに巻かれた時のこの時間感覚の麻痺と方向感覚の麻痺が、登山者を遭難に陥れるのだろう。やはりコースタイムの記録はきちんと取っておかなければいかんのだ。

「とにかく下るのだ」

ロッジに戻るとダイニングではケサブ君と TRB がちょうど起きたところのようで、毛布を畳んでいる。
「写真撮ってきたの?」
とケサブ君。
「ぜーんぜんだめ。なーんも見えないよ。」
と返事をし、すぐに部屋に戻りパッキングを始める。ここにもう一泊して、明日の朝再度挑戦するという手もあるのだが、昨日の晩の時点で既に頭が痒くて発狂寸前。気分は
「一日も早くナムチェバザール (Namche Bazar / 3,446m) まで下って、ホットシャワーを浴びるのだ!!」
というモードになっているし、ネパールは既にモンスーンへの移り変わりの時期に入っているのか、日に日に天気が不安定になってきている。ライチョウだって出てきちゃうのだ。大体、これまで必ず晴れていた朝のこの時間に、こんなにどんよりしちゃっているではないか。

と、シャワーを浴びたいがためにあれこれと自分の中で理由をつけて、とにかく今日から下山を開始することにする。恥ずかしがり屋のローツェは遂に最後まできちんとした姿を見せてくれなかったのだ。ロブジェ (Lobuche / 4,930m) で月明かりの山の写真を撮り損なったのも悔やまれるが、もうそんなことはどうでもいいのだ。とにかくシャワーが完璧にプライオリティ 1 なのだ。
恥ずかしがり屋の Lhotse の写真は次回に持ち越しなのだ

決してアメで買収したわけではない... 朝食にアップルパイを頼んで、できてくるまでの間にロッジの外で歯磨きをしていると、サーっとガスが引いていく。慌てて三脚とカメラを取りにロッジに戻るが、出てきてみると空は相変わらず曇りで真っ白。それでも癪なので、ロッジの屋根越しにローツェ、そして反対側に見えているアマダブラム、それとロッジのウシ、を写真に撮っていると、ケサブ君が「ご飯ができたよ〜」と呼びにきてくれる。

ロッジに戻って朝メシを食い、20分後に Sun Rise Lodge を後にする。皮肉なことにロッジの名前とは裏腹に、ちっともサンライズじゃなかったのだ。わざわざペリチェ (Pheriche / 4,215m) から登り返してきたのに...。

今日はもうひたすらガンガン下るだけだが、この予想以上の積雪にさすがの TRB も靴に雪解けの水がしみて辛そうにしている。それもあってか、スピードはどんどん速まっていく。一時間弱でディンボチェの Mountain Paradise Lodge に到着すると、ロッジの建物の前の敷地にはテントが沢山張られている。さらに、サンルームに入ってチャーを飲んでいると、ダイニングから次々と人が出てきて外で集合している。どうやらテント組と小屋組の両方の団体が宿泊していたようだ。彼らは今日はチュクンまで上がるようだ。昨日一緒にならなくてよかった、とホッとする。

9時20分にロッジを出てディンボチェの村の道を下っていくと、どうしたことか、次から次へと大人数のパーティが登ってくる。
「これじゃ、チュクンもロブジェもロッジが足りなくて人が溢れてしまうよねぇ...。ゴラクシェプなんか、全員床で寝ないとダメなんじゃないかなぁ...」
とケサブ君もびっくりしている。空は相変わらず曇りで山は見えていてもバックが白なので迫力がない。写真も撮らずにどんどん下っていくと 40分弱でツロ (Tsuro / 4,250m) の Himalayan Tea Shop Restaurant に到着。建物の前で茶屋の子供が 3人遊んでいて、カメラのフィルムを交換しているのを面白そうにずっと見ている。ちょうどザックを開けていたので、アメを三つずつあげ彼らの写真を撮らせてもらう。一番下の子が母親 (=茶屋の奥さん) にもらったアメを見せに行くと、その奥さんはにっこりしながら軽く会釈をしてくれる。

10時10分過ぎにツロを出るとすぐにちょっとした登り。その坂の途中、野良ヤクなのか、それとも誰かのはぐれヤクなのか、ヤクがルートのど真ん中で昼寝をしている。ケサブ君と TRB がすぐ脇を通るが一向に起きる気配もなく、あんまり気持ちよさそうに寝ているので、写真を撮ってあげる。

反対側からは本当にどんどん人が登ってくる。トレッキングを始めてから、こんなに大勢の人をルート上で一度に見たのは初めてだ。

ツロを出発して 30分後に登りで昼メシを食べたショマレ (Shomare / 4,040m) を通過。そのままパンボチェ (Pangboche / 3,985m) まで一気に下り、11時過ぎ、登りで休憩してお茶を飲んだ Ama Dablam Lodge and Restaurant に到着。ここで昼メシにする。
この寒いのに登山道のど真ん中でお昼寝中

とにかくものすごい数の人が登ってくる 二階のダイニングに上がると、そこには相変わらず日の丸が飾られている。

「Hash Brown の目玉焼きのせ」を注文。ケサブ君と TRB はキッチンでロッジの人たちと話をしているようだ。ブラックティーを飲みながら食事ができてくるのを待つが、時間がかかっていてなかなか出てこない。あまりに暇なので例のグリーンチリのソース (Green Chilly Source / Butterfly Fruit Canning Company, Nepal) の写真を撮ったり、ダイニングに飾られている写真を見たりしていると、イギリス人の男性とガイドが到着。彼らもここで昼メシを食べるようだ。

ガイドは日本語が話せるようで、すぐに、
「日本人? 一人ですか?」
と聞いてくる。
「あ、そうですよ。あとガイドとポーターが一緒ですけどね。」
といってキッチンの方を指差すと、
「あーそうですか。」
といって、キッチンの方に入っていった。

ダイニングでイギリスの男性と二人きりになったので、あれこれと話をする。彼も今日は下りだそうで、カラパタールよりもエベレストベースキャンプ (Everest Base Camp / EBC / 5,350m) の方が辛かったのだとか、予備日ももたない超高速往復トレッキングの連中は何かあったらどうするつもりなのだとか、今日は人が多いけどタンボチェ (Tengboche / 3,867m) にはロッジが少ないから心配だ、などなど。彼はイギリス人なのだが話をしているとちょっとアメリカ人っぽく、何でもとりあえずは褒めるという主義のようだ。これまで泊まったロッジや、出てきた料理のことなどあれこれ言う割には必ず、
“...but, that's nice!”
と締めくくる。
「まぁ、そうでも言って、自分に言い聞かせていないと気力がもたないのかもしれないな...。」
と思ったりもする。

と、ようやくこっちの昼メシが出てくる。ところが終わってもケサブ君たちの食事が遅れているようで、結局、出発するまでに 1時間半以上かかってしまった。
『ロッジの定番』グリーンチリソースとケチャップ

「縁のない Tengboche」

パンボチェを出てもすれ違うパーティは大人数のパーティばかり。一体どうしたというのだろうか、と思うと同時に今日の目的地のタンボチェでの宿泊が不安になってくる。どう考えても今日は行きよりもはるかに混んでいるため、タンボチェのロッジが満室である可能性は格段に高いのだ。歩きながらケサブ君が、「もしタンボチェが満室だったら、その先のプンキタンガ (Phunki Tenga / 3,190m) に宿泊するのでもよいか」、と聞いてくるので、もちろん構わないと答える。

今日は大人数のパーティも多いが、ものすごい荷物を背負った荷揚げのポーターも多い。上の方でロッジの増築でもあるのだろうか、建築用の材木を一人で 7本ずつ背負ったポーターが数人、タンボチェからの下り坂をよろよろと下りてくる。そこまで長いものを背負っていると、頭の上の木にも引っかかったりして大変だが、それ以前にものすごい重量だと思われる。数歩歩いては休んで、ということを繰り返しながら進んでいく。その後ろには、巻かれたトタンを背負ったポーターが続く。それと同じようなパーティがいくつもいくつもやってくるのだ。なんだか分からないが、とにかくトレッキングも荷揚げも今日はものすごい量なのだ。

タンボチェの少し手前、行きにケサブ君が入ろうとしてやはり満室だったロッジが近づいてくる。見ているとタンボチェ方面から下ってきたトレッカーが中に入って行ったかと思うと、すぐさま出て行くのが見える。
「なんか、嫌な予感がするねぇ...」
ケサブ君と話しながら、タンボチェへの最後の急坂を登っていく。そういえば、5,000m を超える高所を殆ど具のないラーメンだけで歩くという、究極の高所トレーニングの成果が現れてか、3,000m 台のこの高度まで下ってくるとちょっとやそっとの登りなど屁でもないのだ。いつの間にか驚くほど心肺機能が高まって、しかも超省エネ型の身体に作りかえられたようだ。人間の環境適応能力というのはすごいものだ、などと感心しつつタンボチェにたどり着く。

もちろんケサブ君は TRB をロッジ確保に先に行かせているが、第一候補のロッジの前まで行っても TRB の姿は見当たらない。ケサブ君が困ったなという顔をしながらロッジに入っていくが、すぐに大きな×印を出しながら戻ってくる。しかし TRB はどこに行ったのか。仕方がないので、広場を登って前回宿泊寸前で取りやめたロッジに向かう。すると、その丘の一番上にあるタンボチェのゴンパよりもさらに向こう、プンキタンガへのルートが下りていくあたりに TRB が立っているのを発見。つまり、どのロッジも満室だったというわけだ。

こうなると、プンキタンガもかなり怪しくなってくる。そこで泊まれないと次はナムチェバザール (Namche Bazar / 3,446m) まで行くことになってしまうので、にわかに焦りが生じつつも、ケサブ君に頼んで 5分だけ時間をもらい、タンボチェのゴンパをちょいちょいと PENTAX 67II で撮影。既に 14時を回っているので空には雲が、と思ったらもうパラパラと霙混じりの雨が降ってきた。というわけで、写真撮影はとっとと取りやめて、すぐに出発の準備をする。まったくもって、タンボチェには縁がなかったようだ。写真も大したものは何も撮れずタンボチェを後にする。TRB は今度はプンキタンガのロッジ確保のため既に出発している。

驚いたことに、この時間になっても続々と下から人が登ってくる。この人たちは一体どこで泊まることになるのだろうか、などと人ごとながらケサブ君と心配しながら下る。しかし、それなりに混んでいたとは言え、今日のこの混雑に比較すれば我々の登ったタイミングは本当にベストタイミングだったのだと二人で喜び合う。しかも天候は日に日に悪化しているのだ。

タンボチェからの下りを三分の一ほど行ったところで、反対側から見覚えのある顔の人が登ってきて、ケサブ君と握手をしている。なんと例の野田知佑に似ているディンボチェの Mountain Paradise Lodge の主人だ。下痢のときに色々心配してくれたのでお礼を言ってから下ろうと思って、今朝ロッジで探したが姿が見えなかったのだ。その場でお礼を言って別れる。それにしても彼らの行動範囲は随分広いのだ。

途中 5分間の休憩をはさんで出発し、少し下ると、登山道の脇で先に行ったはずの TRB がポーター仲間と話し込んでいた。我々の姿を見て、「ヤバイ!!」といった顔をしてスタコラサッサと逃げ下っていくのを見て思わず笑ってしまう。タンボチェから 45分程でプンキタンガに到着。行きに昼メシを食った Thamserku Lodge の前でケサブ君が止まってテラスに荷物を置くので、
「部屋はあったのかな?」
と聞くと、
「このロッジにはドミトリーしかないからお茶を飲むだけだよ」
とのこと。彼は何があってもお客を絶対にドミトリーには泊まらせないのだ。

そのテラスでは、二日前ディンボチェの Mountain Paradise Lodge のサンルームで見かけた韓国人の男性が、その他二人のおっさんと一緒に休憩していた。おっさんの一人が、お茶を飲むためにテーブルの上に置いた RICOH GR1s を見て近づいてくる。

「どこで買ったの?」
「日本ですよ。」
「いつ買ったの?」
「うーん、いつだったかなぁ...。2000年ぐらいだったかなー...。」
なんだか目的の分からない質問、というか尋問をし、彼は断りもなしに GR1s を弄くりまわしている。あんまり感じがよくないのだ。

宿泊した Ever Green Lodge はそこから 3分程。吊橋を渡った反対側の、例の「タンボチェまで 2時間以上、最後の休憩場所」というような内容の看板を掲げていたロッジだ。ロッジに入るとどうやら我々は一番乗りのよう。二階のダイニングのストーブから歩いて 3歩のところに入り口がある、一番いい明るい部屋をケサブ君が確保してくれる。個室は 4つしかないらしく、彼らは今日もダイニングのベンチで寝ることになるようだ。

ヤクはちゃんと怖がらずに吊橋を渡るのだ 外は霙から変わった雨が時折パラパラと降っているが、さっきの吊橋の上をヤクが渡るのを写真に撮りたくて外に出る。とは言え、時間も遅く谷底に位置するプンキタンガは既に薄暗い。だいたい、この遅い時間にヤクの荷揚げ隊がまだ通るのだろうか、と思いながら 15分ほど待つと後ろ上方から、「カランカラン」というカウベルの音が聞こえてきた。ロッジの前のナムチェバザールに向かう急坂を下りて来たのだ。しかもそのヤクたちは今まで見た中で最も美しく、尻尾は染められているのか装飾なのか、カラフルに飾られている。きっと大事にされているのだろう。そのヤクたちが吊橋を渡り始めてから終わるまで何枚もシャッターを切るが、吊橋が揺れる上にシャッター速度が遅く、残念ながら思ったようないい写真にはならなそうだ。でも、きれいなヤクが見られたので満足してロッジに戻ると、ロッジの前の水場で TRB が靴と靴下を洗っている。

しばらくすると、さっきパンボチェで昼メシのときに一緒になったイギリス人とガイドの二人がロッジに到着する。彼らもタンボチェで泊まるつもりだったのだが、満室で泊まれなかったのだ。

外も暗くなって気温も下がってきたのでストーブが点く。TRB はストーブとイスの間に火掻き棒を渡して、そこに靴と靴下を苦労して掛け、乾かしている。どうせなら帰ってから靴を洗えばいいのにと思うのだが、彼はその靴をとても大切にしているようで、チュクンからの下りで泥だらけになった靴を早く洗って乾かしたかったらしい。ゴムの部分から煙が出てくるほどストーブの近くに寄せてしまうので、こっちがひやひやしてしまう。

18時半、雨脚がかなり強くなってくる。もしまだ上にいたら昨日よりもすごい雪なんだろうな、と考えていると、歳をとったずぶ濡れの男性がガイドもポーターもつけずにロッジに入ってくる。こんな時間まで雨の中を、しかも、雨具も着ないで歩いてきたようだ。英語が通じないのか、ロッジの主人が苦労して個室とダイニングの料金を伝えている。後で分かったことだが、彼はなんと 69才のロシア人でドイツ語とフランス語は話すが英語は殆どしゃべれないのだ。ケサブ君はドイツ人のパーティを率いたことがあるので、彼の言っていることがちょっとだけわかるようだ。

ロッジにいる女の子と男の子の姉弟のうち、男の子の方が晩メシの料理の名前、「Tomato Soup」と「Fried Noodles」を勝手に歌にして歌いながら運んでくる。なかなかオモロイやつなのだ。他のロッジの子供たちと同様、二人ともケサブ君や TRB ともよく話をしている。こんな谷間のロッジが二軒しかないところで生活している彼らにとって、話し相手は自ずと大人たちばかりになってしまうのである。その向こうで、さっきのロシア人が紅茶にダイニングに備え付けの蜂蜜を入れて飲んでいる。しかもよく見ていると、蜂蜜の瓶からスプーンですくった蜂蜜を、何度も直に口に入れてペロペロ舐めている。それを見て、今後「Toast w/Honey」は二度と頼まないことにしようと心に決める。

ところで、今朝のチュクンでの最高到達地点が 4,800m。ここプンキタンガの 3,190m まで、今日一日で約 1,600m も下ったことになるが、まだここは日本の標高第三位の北アルプスの奥穂高岳、第二位の南アルプスの北岳とほぼ同じ標高なのだ。それでも十分に暖かくなって空気が濃くなった気がするのは不思議なものだ。身体の閾値がぐっと下がったわけだ。そんなわけで、もう使わないのはほぼ確実なので、部屋に入る前に、「TRB と好きなように使ってね」と残ったホカロン 4つをすべてケサブ君に渡す。結局自分で使ったホカロンは、下痢で寝込んでいたときの一つだけだった。でも、TRB が担いでいたザックに入っていたのだから、使ってもらうのは当然の権利なのだ。

外の雨はようやく上がったようだ。20時半ごろ寝る。


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