夜半雪(積雪 5cm)、曇り、のちにわか雨
天候確認のため起きる(3:30) → 起床(5:20) → Chhukung (4,730m) / Sun Rise Lodge 発(5:30) → ケルン (4,800m) 着(6:00) → 撮影開始(6:10) → ガスに巻かれて撤退開始(6:20) → Sun Rise Lodge 戻り(6:42) → 朝食(7:30) → Sun Rise Lodge 発(7:50) → Dingboche (4,350m) / Mountain Paradise Lodge 着(9:00) → Mountain Paradise Lodge 発(9:20) → Tsuro (4,250m) 着(9:57) → Tsuro 発(10:10) → Shomare (4,040m) 通過(10:40) → Pangboche (3,985m) / Ama Dablam Lodge and Restaurant 着 for 昼食(11:10)→ Ama Dablam Lodge and Restaurant 発(12:45) → Deuche (3,700m)通過(13:28) → たて at Temboche の手前の急登(13:40〜13:43) → Tengboche (3,867m) 着(13:55) → Tengboche 発(14:15) → たて at Phunki Tenga への下り(14:45〜14:50) → Phunki Tenga (3,190m) / Thamserku Lodge 着(15:00) → Thamserku Lodge 発(15:12) → Phunki Tenga / Ever Green Lodge 着(15:15) → 夕食(18:30) → 就寝(20:30)
(Chhukung 〜 Pangboche 歩程: 3時間20分 / Pangboche 〜 Phunki Tenga 歩程: 2時間30分)
3時半、目覚ましがなって目を覚ます。窓から外を見る限りまだガスっている。一応、外に出てみるが完璧にガス。アマダブラム (Ama Dablam / 6,812m) どころか、50m 先だって見えるかどうかという状況なので、月明かりの撮影は諦めて 5時過ぎまで寝ることにする。
5時20分頃に起きて外を見ると相変わらず曇りのようだ。気温は室内で摂氏 0度。ひょっとしたら日の出る前に雲が取れるかもしれないという淡い期待をもって、5時半にロッジを出る。トレッキング初日にルクラ (Lukla / 2,860m) に入って以来、昨日までの毎日、必ず朝は晴れ上がっていたからである。
ロッジを出てすぐのところの小川を渡り、昨日ダイニングの窓から見えていた丘に取り付く。積雪は 5cm 程度。大き目の岩がごろごろしている上にこれだけ雪が積もっているとかなり歩きにくい。暗い上に空が曇っているため、雪の上はコントラストがまるでなく、ルート上の小さなくぼみも殆ど見えない。
下見をしていないので、昨日ロッジから眺めていたポイントに上がるのに、大体どの辺りを登っていけばいいのかまったく把握していない。その上、積雪によってルート上のふみ跡も完璧に隠されてしまっている。仕方がないので、丘の上のケルンらしきものに目標を定めて、それっぽいところを歩いて行く。ルート上を歩いているのか、そうでないところを歩いているのか、判別が難しく途方にくれて周りを眺めると、すぐそこに一匹のイヌの足跡が見える。雪が止んでから歩いたと見えて、くっきりと着いているその足跡は、よくよく見てみるとルートと思われるところを確実にトレースしている。雪の降った次の朝に一体どんな用があったのだろうか、普段歩いている道だからなのか、それとも鋭い嗅覚で確実に人の通るルートをトレースできるのか、おそらく後者だとは思うが、いずれにせよそのイヌは着実にルートを歩いて今まさに目指している丘の上のケルンの方向に歩いていったようなのだ。もちろん、その他に人間の足跡などは見当たらないので、彼は単独行でアイランド ピーク (Island Peak / 6,160m) でも目指して行ったのだろうか。
ロッジを出て 30分程、ところどころでイヌの足跡の助けを借りながら、ロッジから見えていた丘の小さな尾根の上まで上がる。そこにある、ケルンとも慰霊碑とも見える石積みの前でザックを降ろす。気温は摂氏氷点下 6度。意外と低い。しかも、空は相変わらずどんよりと曇っていて、とても雲が晴れて日の光がさしてくるとは思えない。とはいえ、山は一通り見えているので、証拠写真ぐらいは撮ろうかと思い、PENTAX 67II を出し三脚を組み立てる。雪の下の岩がよく見えないため、なかなか安定した場所が見つからず、さらに若干の風もあるため、三脚にストーンバックをつけることにするが、辺りの雪の下から手ごろな大きさの石を探すのに結構てこずってしまう。いざ撮影しようかと思ったら、今度は PENTAX 67II にフィルムが入っていない。昨日カメラを掃除したときに、フィルムを交換し忘れたのだ。雪のついた手袋をはずしてフィルムを装填する。ケルンについてからここまでざっと 10分弱もかかってしまった。
さて、と思ってローツェの方向にカメラを向け、ふとチュクン (Chhukung / 4,730m) の方を眺めると、遥かディンボチェ (Dingboche / 4,350m) のさらに下の方から、ものすごい勢いでガスの塊が昇ってくるのが見える。 「げっ、早く写真を撮らなければ、せっかくここまで登ってきたのに全部隠れてしまうじゃないの!!」 と、レンズは 45mm の超広角のままだが、そのままローツェから右回りに 360度ぐるりとものすごい勢いでシャッターを切りまくる。アマダブラムを撮り終わってカメラをディンボチェの方向に向けると、ファインダーの中の超広角の映像でもガスが既にすぐそこまで迫ってきている。ガスは想像を遥かに超えるスピードで昇ってきたのだ。 「あっ、ヤバイ。ホワイトアウトしてチュクンの方角が分からなくなってしまったら帰れない...。」 と、撮影を取りやめてものすごい勢いでザックをひっくり返しコンパスを取り出す。間一髪。Silva Compass に現在地からチュクンへの方向と磁北を確実にセットし終わった瞬間に、さーっと辺りは真っ白な世界になってしまった。 「間に合った...。」 |
「しかし、せっかくここまで登ってきたのになぁ...。曇りでもガスさえ来なければもうちょっとじっくり撮れたものを...」
と思うが、辺りはもう真っ白で何も見えないのだからいかんともしがたい。足元も雪で覆われているし影は出ないから、トレースもはっきり見えない状態だ。今はガスだけだがこのまま雪が降り出した日には、実際問題、帰りのルートを間違える可能性はかなり高いのだ。昨日の夕方ケサブ君に言ったセリフが思い出される。これで本当に道に迷って帰りが遅くなり、ケサブ君が真剣に心配して探しに来てくれたりしたら、まったくもってシャレにならんのだ。朝メシまでそんなに時間があるわけでもないし、万が一雪が降り出さないとも限らないので、ガスが晴れるのを待つのはきっぱり断念して、三脚を畳んでカメラをザックに入れてすぐに下山の準備にかかる。
ロッジに戻る一番簡単な方法は、自分の歩いた足跡をたどって帰ることだ。ところが、イヌの足跡をトレースした箇所以外では、短時間で丘の上に出るために、直登に近くがむしゃらに登ってきた部分もあり、5cm の新雪のついたツルツルの岩の急斜面を、登ってきたルートそのままに下るのは難しい。しかも岩かと思うとその下は草だったり、あっという間にスリップして岩に腰をしこたま打ち付ける。カメラをザックにしまっておいて本当によかった、などと言っている場合でもないが、仕方がないので急斜面を迂回したりして下っていくうちに、自分の登ってきたトレースを見失ってしまう。山の風景は登りと下りでまったく印象が異なるものだ。したがって、ガスの中から垣間見る岩などをみて、登りのときの景色を思い出そうとしても、それは無駄なことなのだ。
それでも、最後の瞬間にコンパスに方角もセットしているという精神的なよりどころもあるので、努めて冷静に、焦らずゆっくりと下っていく。ついでに気を落ち着けるために立ちションをしながらあたりを見回していると、さっきのイヌの足跡を発見。これを頼りに下っていくというのもテだが、それを見つけたのは 30分の登りのうちの後半部分なので、果たしてそのイヌが本当にチュクンから来たイヌなのかというところはイマイチ確証が持てないのだ。しかしながら、イヌが歩いていると言うことはここが人の歩くルートなのだということの証拠でもあるので、それと思わしきところを下っていくと、ガスの中から小川のせせらぎが聞こえてきて、行きに渡った木の橋がぼーっと現れる。無事生還。
橋を渡ると、その向こうのテント場で歯磨きをしていたポーターの男性が、目を丸くしてこっちを見ている。そりゃそうだ。こっちは写真を撮りにちょいとそこまで上がったというには、あまりにも大きなザックとストック、しかもスパッツをつけた完全装備で下りてきたのだ。
「朝のこの時間、しかもこんなガスの中を単独でアイランドピーク方面から下ってくるなんて、どんなに酔狂なヤツなんだ?」
と思ったに違いない。
結果的には下りに費やした時間は 20分程だったが、周りが真っ白な世界での 20分は倍の 40分ぐらいに感じられた。ガスに巻かれた時のこの時間感覚の麻痺と方向感覚の麻痺が、登山者を遭難に陥れるのだろう。やはりコースタイムの記録はきちんと取っておかなければいかんのだ。
パンボチェを出てもすれ違うパーティは大人数のパーティばかり。一体どうしたというのだろうか、と思うと同時に今日の目的地のタンボチェでの宿泊が不安になってくる。どう考えても今日は行きよりもはるかに混んでいるため、タンボチェのロッジが満室である可能性は格段に高いのだ。歩きながらケサブ君が、「もしタンボチェが満室だったら、その先のプンキタンガ (Phunki Tenga / 3,190m) に宿泊するのでもよいか」、と聞いてくるので、もちろん構わないと答える。
今日は大人数のパーティも多いが、ものすごい荷物を背負った荷揚げのポーターも多い。上の方でロッジの増築でもあるのだろうか、建築用の材木を一人で 7本ずつ背負ったポーターが数人、タンボチェからの下り坂をよろよろと下りてくる。そこまで長いものを背負っていると、頭の上の木にも引っかかったりして大変だが、それ以前にものすごい重量だと思われる。数歩歩いては休んで、ということを繰り返しながら進んでいく。その後ろには、巻かれたトタンを背負ったポーターが続く。それと同じようなパーティがいくつもいくつもやってくるのだ。なんだか分からないが、とにかくトレッキングも荷揚げも今日はものすごい量なのだ。
タンボチェの少し手前、行きにケサブ君が入ろうとしてやはり満室だったロッジが近づいてくる。見ているとタンボチェ方面から下ってきたトレッカーが中に入って行ったかと思うと、すぐさま出て行くのが見える。
「なんか、嫌な予感がするねぇ...」
ケサブ君と話しながら、タンボチェへの最後の急坂を登っていく。そういえば、5,000m を超える高所を殆ど具のないラーメンだけで歩くという、究極の高所トレーニングの成果が現れてか、3,000m 台のこの高度まで下ってくるとちょっとやそっとの登りなど屁でもないのだ。いつの間にか驚くほど心肺機能が高まって、しかも超省エネ型の身体に作りかえられたようだ。人間の環境適応能力というのはすごいものだ、などと感心しつつタンボチェにたどり着く。
もちろんケサブ君は TRB をロッジ確保に先に行かせているが、第一候補のロッジの前まで行っても TRB の姿は見当たらない。ケサブ君が困ったなという顔をしながらロッジに入っていくが、すぐに大きな×印を出しながら戻ってくる。しかし TRB はどこに行ったのか。仕方がないので、広場を登って前回宿泊寸前で取りやめたロッジに向かう。すると、その丘の一番上にあるタンボチェのゴンパよりもさらに向こう、プンキタンガへのルートが下りていくあたりに TRB が立っているのを発見。つまり、どのロッジも満室だったというわけだ。
こうなると、プンキタンガもかなり怪しくなってくる。そこで泊まれないと次はナムチェバザール (Namche Bazar / 3,446m) まで行くことになってしまうので、にわかに焦りが生じつつも、ケサブ君に頼んで 5分だけ時間をもらい、タンボチェのゴンパをちょいちょいと PENTAX 67II で撮影。既に 14時を回っているので空には雲が、と思ったらもうパラパラと霙混じりの雨が降ってきた。というわけで、写真撮影はとっとと取りやめて、すぐに出発の準備をする。まったくもって、タンボチェには縁がなかったようだ。写真も大したものは何も撮れずタンボチェを後にする。TRB は今度はプンキタンガのロッジ確保のため既に出発している。
驚いたことに、この時間になっても続々と下から人が登ってくる。この人たちは一体どこで泊まることになるのだろうか、などと人ごとながらケサブ君と心配しながら下る。しかし、それなりに混んでいたとは言え、今日のこの混雑に比較すれば我々の登ったタイミングは本当にベストタイミングだったのだと二人で喜び合う。しかも天候は日に日に悪化しているのだ。
タンボチェからの下りを三分の一ほど行ったところで、反対側から見覚えのある顔の人が登ってきて、ケサブ君と握手をしている。なんと例の野田知佑に似ているディンボチェの Mountain Paradise Lodge の主人だ。下痢のときに色々心配してくれたのでお礼を言ってから下ろうと思って、今朝ロッジで探したが姿が見えなかったのだ。その場でお礼を言って別れる。それにしても彼らの行動範囲は随分広いのだ。
途中 5分間の休憩をはさんで出発し、少し下ると、登山道の脇で先に行ったはずの TRB がポーター仲間と話し込んでいた。我々の姿を見て、「ヤバイ!!」といった顔をしてスタコラサッサと逃げ下っていくのを見て思わず笑ってしまう。タンボチェから 45分程でプンキタンガに到着。行きに昼メシを食った Thamserku Lodge の前でケサブ君が止まってテラスに荷物を置くので、
「部屋はあったのかな?」
と聞くと、
「このロッジにはドミトリーしかないからお茶を飲むだけだよ」
とのこと。彼は何があってもお客を絶対にドミトリーには泊まらせないのだ。
そのテラスでは、二日前ディンボチェの Mountain Paradise Lodge のサンルームで見かけた韓国人の男性が、その他二人のおっさんと一緒に休憩していた。おっさんの一人が、お茶を飲むためにテーブルの上に置いた RICOH GR1s を見て近づいてくる。
「どこで買ったの?」宿泊した Ever Green Lodge はそこから 3分程。吊橋を渡った反対側の、例の「タンボチェまで 2時間以上、最後の休憩場所」というような内容の看板を掲げていたロッジだ。ロッジに入るとどうやら我々は一番乗りのよう。二階のダイニングのストーブから歩いて 3歩のところに入り口がある、一番いい明るい部屋をケサブ君が確保してくれる。個室は 4つしかないらしく、彼らは今日もダイニングのベンチで寝ることになるようだ。
18時半、雨脚がかなり強くなってくる。もしまだ上にいたら昨日よりもすごい雪なんだろうな、と考えていると、歳をとったずぶ濡れの男性がガイドもポーターもつけずにロッジに入ってくる。こんな時間まで雨の中を、しかも、雨具も着ないで歩いてきたようだ。英語が通じないのか、ロッジの主人が苦労して個室とダイニングの料金を伝えている。後で分かったことだが、彼はなんと 69才のロシア人でドイツ語とフランス語は話すが英語は殆どしゃべれないのだ。ケサブ君はドイツ人のパーティを率いたことがあるので、彼の言っていることがちょっとだけわかるようだ。
ロッジにいる女の子と男の子の姉弟のうち、男の子の方が晩メシの料理の名前、「Tomato Soup」と「Fried Noodles」を勝手に歌にして歌いながら運んでくる。なかなかオモロイやつなのだ。他のロッジの子供たちと同様、二人ともケサブ君や TRB ともよく話をしている。こんな谷間のロッジが二軒しかないところで生活している彼らにとって、話し相手は自ずと大人たちばかりになってしまうのである。その向こうで、さっきのロシア人が紅茶にダイニングに備え付けの蜂蜜を入れて飲んでいる。しかもよく見ていると、蜂蜜の瓶からスプーンですくった蜂蜜を、何度も直に口に入れてペロペロ舐めている。それを見て、今後「Toast w/Honey」は二度と頼まないことにしようと心に決める。
ところで、今朝のチュクンでの最高到達地点が 4,800m。ここプンキタンガの 3,190m まで、今日一日で約 1,600m も下ったことになるが、まだここは日本の標高第三位の北アルプスの奥穂高岳、第二位の南アルプスの北岳とほぼ同じ標高なのだ。それでも十分に暖かくなって空気が濃くなった気がするのは不思議なものだ。身体の閾値がぐっと下がったわけだ。そんなわけで、もう使わないのはほぼ確実なので、部屋に入る前に、「TRB と好きなように使ってね」と残ったホカロン 4つをすべてケサブ君に渡す。結局自分で使ったホカロンは、下痢で寝込んでいたときの一つだけだった。でも、TRB が担いでいたザックに入っていたのだから、使ってもらうのは当然の権利なのだ。
外の雨はようやく上がったようだ。20時半ごろ寝る。
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