ヒマラヤトレッキング日記
〜 往路編 〜


2004/3/25 (Thu)

起床(6:15) → 朝食(7:00) → チェックアウト(7:50) → Comfort Suite Airport Hotel 発(8:00) → BANGKOK Don Muang 国際空港着(8:30) → 搭乗開始(10:25) → KATHMANDU Tribhuvan 国際空港着(12:30) → Himalayan Activities 着(13:30) → HOTEL Vaishali 着(14:20) → 散歩(15:50) → Raghu 氏とロビーで待ち合わせ(16:00) → HOTEL Vaishali 戻り(18:00) → 晩飯に外出(18:25) → Internet Cafe (19:30) → HOTEL Vaishali 戻り (20:15)

「ゴキちゃんおはよう」

飛行機の音と冷房の効きすぎであまりよく眠れないまま、6時15分に起床。昨日着いたときは夜で良く見えなかったが、窓の外を見ると目の前は結構広々とした熱帯の湿地...風のただの空き地が広がっていた。窓を開けてみると外気は湿り気を帯びたむっとした空気で、広々とした風景とは裏腹にすがすがしさはまったく感じられない。

テレビの横の棚には、昨日、日本から着てきたフリースをバンコクの空港で縛り付けたままになっていたカートが無造作に置きっぱなしになっていた。このフリースを荷物の中に入れてしまおうと思い、カートごと取り上げると、なんとその下にはゴキちゃんがスヤスヤとお休み中。フリースの中で寝ているなんてよっぽど部屋が寒かったに違いない。日本のゴキちゃんよりも二周りぐらい大きかったので一瞬ぎょっとするが、仏教の国へ来ていきなり殺生はいかんなと思い、「おはよう」、と声をかけそのまま行きたい所へ行かせる。バンコクの二日目もなかなかインパクトのあるスタートなのだ。まぁ、これからネパールのヒマラヤに行く身としては、こんなことごときでいちいち驚いていたのでは身がもたないだろうと、あえて平静を保っている自分がいることに気付くが、まぁそれはそれでよいのだ。部屋にあった瓶入りのミネラルウォーターで歯磨きをし、シャワーを浴びるが出てくるお湯には勢いがなく、頭の高さまでシャワーヘッドを持ち上げるといきなり水になってしまう。「まぁ、そんなもんだろうな」、と妙に納得しながらほとんど水のシャワーを浴びて身支度をする。

朝食はいわゆるビュッフェ形式で、西洋形式のものからタイ風焼きソバのようなものまで一応そろっている。明後日からトレッキングを控えているのでここでは敢えて冒険はせず、パンをトースターに入れ、ジュースとコーヒー、ソーセージなどを取り、さらにその場で焼いてくれるオムレツを頼む。部屋にはカメラ機材一式を置いてきているのでなんとなくゆっくり落ち着いて食事ができない。というのも、部屋に入ると壁には、『貴重品を部屋に置いていって盗られてなくなっても当ホテルは一切責任を負いませんからね。』という内容の英文が堂々と大きな文字で書かれた張り紙が貼ってあったからである。もちろん、カメラ機材は持ち運び用の旅行カバンから出して、キーとダイヤルの両方の鍵のかかるトランクに入れ替えては来たが、昨日の一連の出来事でバンコクに対する印象は極端に低下していたため、とにかくさっさと朝飯を食って部屋に戻ろうということばかり考えていた。万が一こんなところでカメラなど盗まれては、この先の予定がすべて狂ってしまうのである。

食事を早々に切り上げて部屋に戻ると、機材は無事トランクの中に収まっていて一安心。それをまた肩掛けの旅行カバンに移し、本来入れるべき荷物を元に戻してパッキング終了。7時50分にはロビーに下りてチェックアウトを済ませる。外には一台の大型ワゴンが止まっているがまだ荷物を積み込む段階ではないらしく、ロビーには10人近い人が荷物を持って待っている。
「まさか、これ全部あのワゴンに乗っていくんじゃないよね...?」
入り口の前に止まっているワゴンは一台だけ。ちょっと嫌な予感がしてきたところで、ドライバーがやってきてワゴンの後ろの扉を開けてくれる。カメラのカバンの上に他の人の荷物を投げ込まれると困るので、最後の方まで待ってから荷物を積んでもらう。何とかカメラを入れたカバンは積まれた荷物の一番上に乗っかったので安心してワゴンの中を見ると、既に 10人程の人が助手席を含めたすべてのイスに座っている。
「げげ、乗れないじゃんかよ...」
と思っていると、助手席に乗っていた身体の大きなアメリカ人が降りてくれて、運転手と自分との間に座れと言ってくれる。かなりきついが、高々10分ほどの時間なので、そこに乗せてもらう。間一髪だ。

クルマが動き出すとかなりの距離を空港とは逆の方向に走っていく。一瞬別の空港に向かうバスに乗ってしまったんじゃないかとヒヤっとするが、高速道路の下を走っているこの片側 4車線の道路は、途中で Uターンのためだけの橋、というか、道路の上をまさに Uの字を描いて Uターン路が跨いでいって反対側の車線に下りる、という道がところどころに用意されていて、そこまではどうしても逆方向に走っていかなければならないようだ。こうして、空港からホテルまでの距離の約倍の距離を走ってようやく空港にたどり着く。

「スッチーに囲まれて」

空港に入るとタイ航空のカウンターに並ぶ前に一回目の X線の荷物検査。これはチェックインする荷物だけなので面倒なことは起こらず、次いでカウンターでのチェックインでも荷物の重量超過を指摘されることもなくあっという間に終了。タイ航空はなかなか感じが良い。出発時間の 10時半までにはまだ一時間半以上も時間があるが、特にゲートの外ですることもないのでとっとと出国審査に進もうとするとなんと空港税 500B が必要とのこと。思いのほか高いので、カードでは支払えないのか聞いてみるがダメ。仕方がないのでなけなしのタイバーツを支払って出国審査へ。中に入るとエアラインのラウンジが並んでいる。今回のタイ航空 TG319便はエコノミークラスのチケットだが、ノースウェスト航空の World Perks はプラチナエリート会員なので、ノースウェストのラウンジにはカードを見せれば入れるはず、ということを思い出し Information カウンターでノースウェスト航空のラウンジはどこだか尋ねると、なんと既にクローズされたとのお答え。そりゃそうか、日に一便しか来ないような空港にラウンジを作っておいても経費の無駄遣い以外の何物でもなかろう。

仕方なしに搭乗ゲートまで進むことにする。52番ゲートはかなり遠くの地の果てといった感じ。延々と歩いていくと途中にセキュリティチェックのゲートがある。ここはボディチェックを含め全荷物を X線検査にかけなければならない。ゲートの手前でフィルムの入ったケンコーのフィルムシールドをザックから紀ノ国屋のエコバックに入れ替えて、係の女性にハンドチェックをお願いする。彼女は一瞬「そのまま通しちゃえば?」といった顔をするが、エコバックの中にフィルムシールドが三つ並んでいるのを見て、すぐハンドチェックに回す事にしたようだ。X線検査で NG になって結局ハンドチェックになると気付いたからだろう。一箱ずつすべてのフィルムをチェックされ、でも無事に通過。やっと搭乗ゲートにたどり着いた。ちなみにこのエコバックは軽くて折りたためる割には容量が大きいし肩から掛けられるので、細かい手荷物が多くなりがちな空港内での移動には何かと便利であることを今回の旅で認識した。今後行く海外旅行の荷物には必ずひとつは加えたいと思っている。

待っている人はまだ少なめだったので、搭乗ゲートのカウンターすぐ近くの窓際のベンチに座る。しばらくボーっとしていると、ぞろぞろとタイ航空の客室乗務員たちがやってきて、搭乗ゲートの近くのベンチに座る。つまり今座っているブロックの自分が座っている席以外のすべてにスチュワーデスが座ってしまった。男性の客室乗務員はちょっと離れたところにいる。まだあどけない感じの残る若い娘は声高におしゃべりをしたり、また、しきりに携帯電話で話をしたりなどかなりにぎやかな団体に取り囲まれてしまって、ちょっと何だか気恥ずかしいような居心地の悪いような状況になってしまった。とは言え席を立つのもなんなのでそのままそこで会話を聞いてさらにボーっとする。もちろん彼女たちはタイ語でおしゃべりをしているので基本的には何もわからないのだが、中には外国人対応のためのタイ人ではないスチュワーデスもいるようで、たどたどしい英語で話している二人もいたりして聞き入ってしまったりもする。ふと写真を撮ろうかなとも思うが、それはそれでかなり怪しいヤツになってしまうので自粛。

客室乗務員たちが飛行機に乗っていってから 15分ほどで乗客の搭乗が開始となる。飛行機に乗るとさっきのスチュワーデスたちはタイシルクの民族衣装に着替えすっかりオトナの雰囲気をかもし出していてびっくり。しかし、感心したのはむしろ男性客室乗務員のスチュワードの方で、彼らは実に爽やかな笑顔を振りまきながら座席の案内をしたり荷物を上げるのを手伝ったりしている。話の仕方もとても丁寧で、もちろん機内でのサービスもきちんとしている。サービス業の教育をきちんと受けたそれもタイ国政府資本中心のエアラインの職員なのだから当たり前なのだが、彼らのお陰で出国間際にタイの株はかなり上昇する。でも、最初にこの飛行機でタイに入ったとすると、バンコクとの落差にさらにショックを受けていたかもしれない...。

「ネパール入国」

タイとネパールは時差が 1時間15分とやや不思議な感じだが、飛行時間は予定より若干早く 3時間程度。機内でスナックと食事が出てあっという間に到着といった感じ。ネパールに近づくと入国書類のフォームが配られてそれを記入していると、隣のネパール人らしき女性が記入せずになんとなくこっちを見て待っている感じがする。ボールペンがないのかと思って聞いてみると、どうやら英文字で記入するのがいまいち不安なので、代筆して欲しいということらしい。自分のを書き終わってから、彼女の持っている身分証明書を見せてもらいながら記入してあげると、なんと彼女はナムチェバザール (Namche Bazar) 出身のシェルパ族の女性で現在は結婚してカトマンズに住んでいること、しかも年齢は彼女が一つ年下で 1966年生まれということが判明。ナムチェバザールを通るルートにこれからトレッキングに向かおうとしていることなどひとしきり話をして盛り上がっているうちに、窓の外にはカトマンズ盆地と遠くヒマラヤの山が見えてくる。カトマンズ時間ではもう昼過ぎなので盆地には霞が、山には結構雲がかかっていて、窓の外を眺めながら写真がどこまで撮れるのか不安になりながら TG319便は最終着陸態勢に入っていく。

カトマンズの Tribhuvan 国際空港はとてもこじんまりとした空港で、タラップを降りると気温は高いが空気は乾燥していて気持ちがいい。
「あぁ、これなら大丈夫だ。」
バンコクとは違う湿度の低い空気にホッとしながら空港の建物に向かう。すぐに入国ビザの申請と支払い (USD 30.00) をして、同じカウンターで入国審査。列に並んでいるとホチキスをもった男性が現れてもっている写真とビザの申請書類をホチキスで無造作にパチンと留める。なかなかアバウトでよい。カウンターにはお金を徴収する人、書類を検査する人、スタンプを押す人という感じで 3人ぐらいの男性が並んでいて、目の前で受付をしている日本人の老夫婦に満面の笑顔で受け答え。やはり入国時の対応でその国の第一印象が大きく左右される。ネパールはいい人たちの国なのだ。

カウンターを出ると階段を下りていきなりの荷物検査。フィルムをザックから出す時間がなかったのと、機材はかなり古いようなのでそのままフィルムシールドを信頼して機械に通す。3人ほどいる担当の係員は画面なんかひとつも見もせずに話をしている。
「しまった、ハンドチェックを頼んだとしても、素通りだったんだろうなぁ...」
と若干後悔しつつも、まぁ X線感光する可能性はまずなさそうなのでよしとする。続いてバゲージクレームで荷物が出てくるのを待つ。が、これがなかなか出てこない。しかもターンテーブルの構造にかなり問題があるようで、ターンテーブルで荷物が 90度曲がるところで、ほとんどの荷物は落下してしまうのだ。しかも、そのターンテーブルもすぐに止まってしまったりする。それもかなり長時間止まっていたりするので、降ろす荷物が終わってしまったんじゃないか、自分の荷物はちゃんとカトマンズまで着いているんだろうか、とかなり不安になったころにようやく見覚えのあるトランクとザックが出てくる。

「驚異の車幅感覚」

今回全面的にトレッキングのサポートをお願いした Himalayan Activities からは、空港までスタッフが迎えに来てくれるという連絡を事前にメールでもらっていたので、到着ゲートを出てそれらしき人を探す。こっちの服装や荷物の規模も一応伝えてある。すると道路を挟んだ反対側にこっちを見て移動してくるネパール人の男性を発見。手を見ると『ようこそ 三宅 敦 さま。ヒマラヤン・アクティビティーズ』と紙を持ってきてくれている。彼こそが Himalayan Activities の二人の共同経営者の一人、マーケティングディレクターの Raghu Paudel 氏なのであった。丁寧にご挨拶をいただき、タクシーまで案内され荷物を積み込んでいざ乗ろうとすると、なんと生花のレイを首にかけてくれる。
「あぁ、なかなか細やかな気配りをしてくれるトレッキング会社なんだなぁ。」
と直感する。

タクシーが走り出すと同時に Raghu 氏と相談して、まずは Himalayan Activities のオフィスに行くことにする。トレッキングに必要な手続きの準備を先に済ませてしまってからホテルにチェックインしたほうが良いだろうというわけだ。

タクシーは日本の軽自動車ぐらいの大きさ。後部座席の後ろのトランクスペースはほとんどなく、後ろの座席に荷物と一緒に乗り込んだ形。カトマンズの空港を出るとしばらくは広い道路を走る。が、ここカトマンズ、というかネパールでは車線の概念が非常に曖昧なのか、隙間があれば頭を突っ込んで追い越しをかける。それが対向車線であろうが、とにかく頭を突っ込んだもん勝ちという感じでとにかく凄まじい運転なのである。しかも、対向車が向かって来ていようが少しでも隙間があればクラクションを鳴らしまくって追い越しをかけていくという、白熱したドライビングだ。良く事故が起こらないものだと感心しながら進んでいくと多くの交差点には信号はなく、ロータリー式になっているがこれがまたものすごい。真横 90度の方向からクルマが走ってこようが、果敢に頭を突っ込んでロータリーに突入していくのだ。真横から来たクルマは別に驚いた風でもなく直前でブレーキをかける。さらに細い道に入ると追越ができない代わりに、今度は前のクルマとの車間がものすごく詰まってくる。そしてクルマと道路の端との隙間にはバイクがバンバン入ってきて追い越していくというこれはもう驚異の世界なのだ。走っているバイクを良く見ると、必ず膝の前にバーが付けられていて、これはもうどう見てもクルマとの接触事故から身を守るもののようにしか見えない。そのバイクも二人乗り、三人乗り、多いと子供を前後に挟んで四人乗りなんていうのもある。しかも、ほとんどが 100cc 前後の日本のメーカー製バイクである。これらのクルマとバイクとタクシーとマイクロバスが細い道で果てしないカーチェイスを繰り広げていく。

日本でクルマを運転するときは、どんなに前後左右を詰めていたとしても、せいぜい前後 1m、左右 50cm ぐらいの車幅感覚というのが限界だと思うのだが、ここカトマンズでは前後 10cm、左右 5cm という感じで桁が一つ違う車幅感覚なのである。しかも、それだけ間隔を詰めてギリギリの運転をしているのに、どこかにぶつけた形跡のあるようなクルマはほとんど見かけないのだ。時折、道のど真ん中で寝ている牛にぶつかるようなことも当然皆無だ。ひょっとしてこの国の人たちはものすごい動体視力と運動神経の持ち主なんじゃないだろうかと思えてくる。

「いよいよ Himalayan Activities へ」

空港を出て 30分程で Himalayan Activities のオフィスに到着。オフィスに入るともう一人の経営者、フィールドディレクターの Nirdhoj Lama さんが迎えてくれる。飲み物をご馳走になりながらまずはトレッキングと今回予約をお願いしたホテルの支払いをトラベラーズチェックで済ませる。次いで、トレッキングパーミットの取得のために写真 2枚とパスポートを Raghu 氏に預ける。見知らぬ国に来るなりいきなりパスポートをまだ会って間もない人に預けるというのはさすがに不安もあり、実際そういう顔をしていたのだろう、その不安を彼はきちんと察知してパスポートを渡すのはホテルのチェックイン後、そして 16時までには手続きを終えてくれると約束してくれる。というわけで、必要な手続きと簡単なトレッキングの打ち合わせの後すぐにタクシーを呼んでくれ、今日、明日の宿泊のための Hotel Vaishali へ向かう。

インド系の Hotel Vaishali はカトマンズで旅行者がベースにするタメル地区のほぼ中心に位置する 6階建てのホテル。ロビーには大理石が敷かれとても落ち着いた感じの良いホテルだ。3F、つまり日本で言う 4F の部屋の窓からは、タメルの庶民の生活の場が目の当たりにでき、目の前のアパートの屋上で何か家事をしている人がいたりする。カトマンズに来たことをやっと実感するのも束の間、すぐに荷物の整理をはじめる。

16時に Raghu 氏と再度ロビーで待ち合わせをしているので、10分程前に部屋を出てカメラ FUJI GS645S にフィルムを入れてちょっと街に出てみる。部屋にカメラ機材を置いていくのはちょっと不安なので、PENTAX 67II 関連の機材はすべてザックに入れて背負った状態だ。ちょっと歩いただけでもカトマンズの雰囲気を十分味わうことができる。決してきれいな街ではないが嫌いではないし、悪意もまったく感じられない。感覚的には結構あっているのかもしれない。

Raghu 氏に連れられて再び Himalayan Activities のオフィスに行くと、そこでやっと日本人スタッフのマヤさんに会う。何度もメールのやり取りを繰り返す中、常に親身にこちらの目的を理解したうえで丁寧に説明をしてくれて、今回トレッキング会社をここに決めるに至った重要な役割を演じた人だ。想像していた通り優しそうな素敵な女性で、オフィスの中は一段と和やかな雰囲気に包まれる。今回のトレッキングでガイドを務めてくれる担当の青年は今日は都合つかないようで、当初の予定通り明日再度打ち合わせに来ることにするが、ひととおり世間話、トレッキングに関する説明や質問に時間を費やしたところで、そういえば換金をまだしていなかったということに気がつく。既に夕方なのでダメかと思ったら 17時まで銀行は開いているということで、急遽 Nirdhoj さんが Himalayan Bank まで付き合ってくれることになった。とりあえずザックとカメラをオフィスに置いたままでも良いかどうか尋ねると、
“Of course, here's your Base Camp!! (もちろん。ここは三宅さんのベースキャンプですからね!!)
と Raghu 氏の声が返ってくる。

Himalayan Bank までは歩いて 7、8分の距離。ものすごい喧騒の中を Nirdhoj さんと話しながら歩く。その出張所のような小屋にいる銀行の職員 2人は何か食べながらのんびりと作業をしていて、隣で換金していたヨーロッパ系の外国人とは、どっちが先にお札を勘定するかについて、ものすごい剣幕でもめている。銀行員はそれが自分の責務だと主張しているが (それが正しいとおもうんだけど...) その外国人は断固として譲らず、結局、自分が先に勘定をして銀行員にはさせずに出て行ってしまった。大方、どこかの両替屋で嫌な思い出を作った経験があるのだろうとは思うのだが...。このやり取りを見て大丈夫かしらと思って隣にいる Nirdhoj さんの顔を見るとにっこりして
“That's Nepal... (ま、これがネパールだね)
とこともなげ。オフィスで相談して決めておいた USD 250.00 のトラベラーズチェックをどうにかこうにか Rs18,050 に換金。1,000ルピー札が 18枚とものすごい高額を手にしたことになる。この国にいる間に使いきれるんだろうかとちょっと不安になりながらオフィスまでまた歩いて戻る。オフィスでまたくつろいで話をする中、前職の職業柄、英語環境で日本語入力する Global IME のインストール方法を後で調べて連絡してあげる約束をする。この後のトレッキングを含めた 2週間余りを通して、日本ではあまり一般的に知られていないこの Global IME が、こんなにも利用されていたのかということを思い知らされることになるのだが。居心地がいいのでついつい長居をしてしまうが、明日の 16時にガイドとの打ち合わせをすることを確認したのちオフィスを出る。

写真を撮りながらあたりを散策し、途中ミネラルウォーター Rs15) を買って 18時にホテルに戻る。ガイドブックを眺めながら晩飯をどこで食べるか検討。明後日からトレッキングも控えているので、ホテルのすぐ近くの『古里』というお店でおとなしく日本食を食べることにする。しょうが焼き定食を頼む。味は申し分ないが水道水で洗っている可能性があるので念のため生野菜は一応パス。食事の後、さらにホテルのすぐ近くのインターネットカフェにてメールをチェック。値段は Rs40/1時間 と日本円にして 65円ちょっとだが、残念ながらここの環境ではなぜだか Global IME は動かずローマ字でメールを書く羽目になる。

20時過ぎにホテルに戻り明日の予定を考えてから寝る。明日は早起きしてトレッキングの準備体操がてら、丘の上のストゥーパ (仏塔) であるスワヤンブナート (Swayambhunath)に歩いて行くことにしよう。


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