ヒマラヤトレッキング日記
〜 カトマンズ編 II 〜


2004/4/11 (Sun)

起床(7:00) → 朝食(7:30) → Hotel del'Annapurna 発(9:15) → Patan 着(9:45) → Patan 発(11:45) → Himalayan Activities 着(12:30) → 昼食(13:00〜14:30) → Bhaktapur 着(15:30) → Boudhanath 着(16:30) → Boudhanath 発(17:30) → Thamel 着(18:00) → Internet Cafe(18:10〜19:00) → 夕食(19:00〜) → Hotel del'Annapurna 戻り(22:45)

「パタンに日本語ペラペラ青年現る」

7時に起床。冷房をつけっぱなしで寝てしまってちょっと鼻が出る。シャワーを浴びて暖まってから 7時半に朝食。宿泊費には朝食代も含まれているので食べなければ損なのだ。

広々としたダイニングにはいくつもの大きな丸テーブルが並べられている。廊下に面した窓際の四角いテーブル席に着くとすぐにボーイが近づいてきて部屋番号の確認と飲み物のオーダー。食事は例によってビュッフェ方式だが、欧米風コンチネンタルに加えてヤキソバ、カレーなど豊富に用意されている。トーストやオムレツもその場で焼いてくれるしサービスも行き届いているので、トレッキングの疲れを取るために寛ぐには申し分ない。ちなみに、昨日、部屋でカトマンズに置いていった G パンに着替えると、トレッキングに行く前にはぴったりだったはずなのに、なんとゆるゆるになっていたのだ。ゆるゆるというよりはスカスカと言う感じで、もう全然腰で G パンが止まらないのである。日本に帰ってから体重を量ると出発前よりも 5KG も減っていたので、おそらくトレッキングから帰った直後は 7〜8KG 減っていたに違いない。まぁ、ロブジェから上は殆ど具なしラーメンだけで生活していたので、痩せるのも当然と言えば当然なのだ。昨日の晩食べたものやビールはきっとすっかり吸収されているだろうが、朝メシもできるだけしっかり食べるように心がける。

今日は 12時半に Himalayan Activities のオフィスに行って関係者の写真を撮らせてもらうことになっているので、それまでの時間でどこに行くか、ガイドブックで検討しながらゆっくりと朝メシを食べていると、有難い事にボーイが席までフルーツなどを持ってきてくれるので、昨日までカラパタール (Kala Pattar) にトレッキングに行っていた話などをする。

検討の結果、午前中は世界遺産でもある古都、パタン (Patan) に行ってくることに決定。

部屋に戻って入念にカメラの掃除をしてから 9時15分に部屋を出る。広いロビーの入り口近くにに三脚を立てさせてもらってホテルの玄関の写真を撮り、そのままドアマンにメータータクシーを呼んでもらって乗る。初日にタクシーで走ったカトマンズの空港からタメル (Thamel) までの間には信号は一つしかなかったが、パタンに向かう道は片側 3車線の広い道で、ここには普通に信号がいくつもあって、「なーんだ、フツウじゃん。」という感じ。しかし、クルマがバンバン走っている片道 3車線の道路だというのに、いきなり道の真ん中でウシが寝ていたりするので、やっぱりフツウでもないのだ。もちろんタクシーや他のクルマは何事もなかったかのようにウシを避けて走っていく。

途中、走っている道の反対車線で大規模なデモ行進が行われていた。現王室の政策に反対するデモ行進のようだがタクシーのドライバーによるとキリスト教徒とのこと。ネパールにもキリスト教徒がこんなにいたのかとちょっとびっくりしながらパタンへの道を進む。

石造りの Krishna Mandir 上部 ネパール二日目に行ったパシュパティナート (Pashupatinath)の前を流れていた聖なる川、バグマティ川 (Bagmati River) の下流を渡ると間もなくタクシーはパタンのダルバール広場 (Durbar Square)前に到着。料金は Rs250 とのこと。ホテルのドアマンにメータータクシーを呼んでもらったので価格の交渉をせずに乗ってしまったが、結局メーターは使っていなかったのだ。面倒だし時間もあまりないのでそのまま支払ってクルマを降りる。さらに、広場の近くの掘っ立て小屋で入場料 Rs200 を支払ってダルバール広場に踏み込んでいく。

まず目を引く 17世紀に建てられたというクリシュナ寺院 (Krishna Mandir) の写真を三脚を立てて撮っていると、二人のネパール人の青年が声をかけてくる。そのうちの一人はものすごく日本語が上手い、というか、日本人が聞いてもまったく違和感のない日本語を話すのである。
「日本人ですか?」
「そうですよ。」
「ネパールにはいつ来たんですか?」
「えーっと、二週間ぐらい前かな...。」
「今まで何してました? どこか行ってたんですか?」
「あ、昨日までトレッキングに行ってたんですよ。カラパタールにね。」
「マジで?」

まさか、ネパール人の口から、「マジで?」などというセリフを聞こうとはもはや脱帽するほかない。その日本語の上手いほうの青年は、日本語学校と日本人の友達から日本語を習ったと言い、日本に行ったことは一度もないそうだ。よほど一生懸命勉強したのだろうなと思う。もう一人は日本語は話さず英語での会話になるが、曼荼羅の絵を描く勉強をしているとのこと。彼らとちょっと立ち話をしてから三脚を担いで歩き始めるが、相変わらずついてきて日本語で色々と説明してくれる。
「えーっと、これはですね、エッチの神様で、ほらね、あそこの彫刻には色々な体位が彫られているでしょ。ネパールにはビデオとかあんまりないから、みんなこれ見て勉強するんですね。」
などと、まぁこれはもう日本人でも恥ずかしくて言えないようなことを、日本語できっぱりと言い放つのである。

そうして話をしているうちに、カトマンズに入って二日目のスワヤンブナート (Swayambhunath) での一件が思い出されてくる。やはりこれはきっと何かあるに違いないと思い、タイミングを見計らってその日本語の話せる青年の方に誤解の無いように英語で問いかける。
「好意で色々と説明してくれているのならありがとう。とっても助かるんだけど、でも、もしガイド料を期待してるんだったらお願いするつもりはないからね。」
すると、
「あ、大丈夫大丈夫。日本語で日本人と話がしたいだけだから。まじで。」
とまたもや流暢な日本語で返事が返ってくる。
エッチの神様 Char Narayan 寺院の柱はその手の教材としても使われているとか...

Taleju 寺院には三重塔があるのだ 結局、そんなこんなで彼に色々な説明をしてもらいながら、また、もう一人の青年にはあちこち写真を撮るのにいいスポットを教えてもらいながらパタンのダルバール広場周辺を歩き回る。彼らはさすがに地元の人間だけあって、現地の人たちが大勢休んでいるような観光客がちょっと入るのを躊躇してしまうところにもズカズカと入り込んで、そこに三脚を立てて写真を撮らせてくれるのでそれなりにありがたいのだ。三重の塔のあるタレジュ寺院 (Taleju Temple) や旧王宮のマニケシャブナラヤンチョーク (Mani Keshab Narayan Chowk) など、こっちは他の観光客などが極力写り込まないように写真を撮りたいため、場所によっては結構長い待ち時間があったりするのだが、彼らは辛抱強く待ってくれたり三脚を立てるのを手伝ってくれたりする。ダルバート広場周辺をある程度見終わると、今度はゴールデンテンプル (Hiranya Varna Mahavihar) まで案内してくれると言う。うーむ...。試しに、
「お金出すからジュースでも飲んだら?」
と聞いてみると、
「さっきのところのレストランで写真を撮っている間に水をもらったから大丈夫。」
との返事。このパターン、やっぱりスワヤンブナートの時と酷似している。今度は日本語学校と曼荼羅学校の学費でも請求されるのだろうか。とは言え、最初にきちんと確認しているわけだしまぁ、暇つぶしがてらなのだろうなと極めて好意的に解釈し彼らの後ろについていく。

ゴールデンテンプルはパタンでも重要なヒンズー教のお寺らしく、回廊の内側には革製品を持ち込んではいけないことになっているので、入り口で靴を預けてスリッパに履き替えて中に入らなければならない。入り口では Rs25 払って、さらに靴まで脱いで入ったのだが残念ながら中は補修作業中のようで足場が張り巡らされている。これじゃぁ肝心のお寺は写真になりそうもない。「あらまぁ...」と思いながらふと足元を見ると、そこにはカメが歩いている。日本語ぺらぺら君によれば、そのカメはお寺に住んでいる有名なカメで、この時期に外に出ているのはとても珍しいのだそうだ。お寺に関しては引きの写真が撮れないので要所要所をクローズアップで撮り、最後に御利益のありそうなカメも写真に撮って外に出る。入り口の頭上の天井には素晴らしい曼荼羅が描かれていたが、狭い入り口で三脚を立てて写真を撮るのも他の観光客に顰蹙なのでそれはやめにする。

ゴールデンテンプルを出ると日本語を話さない方の青年が、
「他にも綺麗な曼荼羅を見たくないか?」
と言ってくる。ここでようやくスワヤンブナートでタンカ屋に連れて行かれたのとまったく同じパターンだと言うことに気がついた。確かに彼らはガイド料もなにも請求はしてこないし、しかも、問いかけた日本語ペラペラ君ではない方の青年の提案なのだ。恐らく曼荼羅を習っている彼の師匠、若しくは親類の店に連れて行かれるのだろう。でもあくまでも彼のスタンスとしては、「素晴らしい曼荼羅をもっと見たいでしょ?」というところなのだから、まぁこの時点で断る理由もないのだ。しかし、12時半には Himalayan Activities のオフィスに行く約束をしているので、時間はあまりないことをきちんと伝えておく。

スワヤンブナートの時とまったく同じように、曼荼羅屋のオヤジは次から次へと曼荼羅画を出してきて、そのクオリティがいかに高いかを説明してくれ、
「どれが好きか?」
と問いかけてくる。もちろん買うつもりはまったくないが、まぁ個人的な観点から色々と感想を述べていると、それぞれの値段を US ドルで言ってきてお土産に買うように薦めてくる。
「お金も持ち合わせてないし、買う気はないよ。荷物にも入らないし。」
と言うと、
「もちろんカード払いもオッケー。高級バンブーの筒に入れてあげるからスーツケースに入れても安心よ。しかも同じクオリティでもっと安いものがあるからそっちも見てちょうだいよ。」
と言って、次々と別のものを出してくるのだが、それらは明らかに線も太く、色もあまり美しくない曼荼羅で、彼の弟子の手によるものなのだろうなと思わせるものなのである。所詮買う気はないし、たとえあったとしても、こういうものの美術的価値を見抜くだけのセンスも持ち合わせていないので、頑なに申し出を断り続けること 10分強。
「約束があるのでそろそろタメルに戻らなければ。」
と口にしてようやく開放してもらえたのだった。

青年達は何となく気まずそうな顔をしているが、こっちは高そうな (多分...) 曼荼羅も見せてもらって実は満足しているし、彼らにも彼らなりの事情があってのことだろうとは思っているので別段腹も立てず、店を出ながらタクシー乗り場までの道を尋ねると、彼らはあくまでも最後まで紳士的にちゃんとタクシー乗り場まで送ってくれ、さらに写真を撮らせてねというこちらの申し出にも応じてくれたのであった。まぁ、「大丈夫大丈夫」といった手前、そうせざるを得ないのはよく分かる。

帰りのタクシーはきちんと交渉して、タメルまで Rs200 ということで乗車。ところが行きに見かけたデモ行進の影響で、帰路は凄まじい交通渋滞となっていて、タクシーは迂回をしてどうにかこうにか約束の時間までに Himalayan Activities のオフィスまで到着する。料金 Rs200 を支払おうとすると、遠回りをしたために料金は Rs250 になってしまったとドライバーが言ってくる。結局、行きと同じ値段になってしまったが、まぁそれでよしとしてしまう。まだまだ甘いんだろうなぁ...。
Patan の Durbar Square

「Mr. ネゴシエーター」

Himalayan Activities のオフィスに入ると、そこには既に昨日ここで会う約束をしていた O 氏が来ていた。残念ながら日本語担当のマヤさんは仕事の都合がつかなくなって来られず、Nirdhoj さんはトレッキングに同行中とのことで留守だが、ケサブ君と Raghu さん、その他のスタッフはそろっている。まずは O 氏と一緒に飲み物を御馳走になりながら、明日のナガルコット (Nagarkot) へのハイキングについて、必要な確認事項を Raghu さんと話す。明日は 8時にホテルのロビーにケサブ君と Raghu さんが迎えに来てくれるとのこと。つまりガイドはケサブ君に決定したということだ。もちろんこちらは大歓迎。気を遣わずに気楽にいけそうなので嬉しい。

打ち合わせはすぐに終わり、その後 Himalayan Activities のスタッフと記念撮影。セルフタイマーで撮ろうかと三脚を立てていると、ありがたいことに O 氏がレリーズを押してくれる。今日はそれだけなのですぐにオフィスを出て、昨日カレーを食って感動したレストランで O 氏と一緒に昼メシを食べる。真昼間からビールをガンガン飲みながらカレーを食べ、話をする。彼はオーストラリアをバイクで一周するためにまず仕事を辞めてバイクの整備士になったり、つい最近は全行程 1,440KM にも及ぶ四国八十八ヶ所お遍路さんをやったりなど、やりたいことを最優先している人生を満喫しているようでとても興味深い。ネパールに来る前にしばらく滞在したと言うバンコクの話を聞きながら、ネパールの後はインドに向かうため不要になった彼のタイバーツ 720B を日本円で購入。これで帰りにタイに再入国した際に両替をしなくて済む。ネパールに向けてタイを出国したときに空港税 500Bを取られてしまったので、バーツの残額がちょっと不安だったのだ。

のんびりと一時間半もかけて昼メシを食い、その後はパタン、カトマンズともうひとつあったマッラ (Malla) 王朝時代の三王国の首都のひとつ、バクタプル (Bhaktabpur) に向かうことにする。バクタプルを含む『カトマンズの谷』は 1979年に世界遺産の文化遺産として登録され、カトマンズ、パタン、そして現在ではバクタプルと呼ばれているバドガオンの三つの古都は、マッラ王朝時代の三王国の文化的特長を色濃く現代に残してきた。しかしながら、現在は都市化が進み、2003年には「存続が危ぶまれている世界遺産」に指定され、また、2004年 5月26日付けのユネスコ (UNESCO: United Nations Educational, Scientific and Cultural Organization)報告によると、現在 7つの区域に分けられている保護地区の境界線を再定義し、法規制などによる文化遺産の存続のためのアクションを取ろうという動きが出てきているようだ。

ともあれ、バクタプルに向かうべくタメルのはずれに並んでいるタクシーに値段交渉を開始。目標額は往復で Rs400 だ。しかし、タクシーによってここまで提示価格が違うものかと驚く。バクタプルは遠いことと、現地での滞在時間 1時間半ほどというのがややネックになっているようだ。自らメーターを使うことを推奨してくるドライバーもいて、これはこれでなんだか怪しいのだ。料金がすぐに上がるように改造されているメーターもあるというのでこれも避け、結局、5台目でようやく往復 Rs400 で受けてくれるドライバーにあたり、彼にお願いすることにする。このあたりの価格交渉はもっぱら O 氏にお任せ。彼はとても粘り強く交渉をしてくれる。

40分ほど田舎道を走りバクタプルに到着。タクシーを降りるとここでも入場料を払わなければならないという。それがなんと Rs750 もするのだという。これはネパールの常識から考えると非常に高い入場料で、ちょっとびっくりしてしまう額だ。この後、今日を含めて 3日間ネパールで過ごすことを考えると手持ちの現金はできるだけ残しておきたい。インドに向かう O 氏も同様で、急遽バクタプルはパスすることにして、その足でカトマンズ方面にちょっと戻ってネパール最大のストゥーパ (仏塔) のあるボダナート (Boudhanath) に行くことに予定を変更。タクシーに戻りドライバーにその旨伝えると、総額 Rs400 ではボダナートに寄ってカトマンズに戻るのは無理だという。ボダナートに行くのも一回殆どカトマンズまで戻ることになるのだといって金額を上げることを要求してくるが、ネゴシエーター O 氏が何とか説得して渋々ボダナートまでで Rs400 ということで同意させる。そのドライバーは走り出してもちょっと不満そうで、ボダナートからカトマンズに戻るためのガソリン代もあるし、などとブツブツ言っていがとにかく行ってもらう。

45分ほどでボダナートに到着すると、ドライバーはこの期に及んで Rs450 だと言ってくるが、ネゴシエーター O 氏が後ろからドライバーの腕をつかんで、
「おまえ、さっき 400ルピーで行くって言っただろ!!」
とちょっと強い調子の英語で言うと、あっさり、笑顔で振り返り、
「オッケー、オッケー。400ルピーで問題な〜し。」
と言ってくる。ネゴシエーターのパワーが炸裂した形だ。

チベット仏教の主要な巡礼地らしく五体倒地礼をする僧侶の姿も ボダナートの入り口のゲートで入場料 Rs100 を支払って中に入ると、チベット仏教徒の主要な巡礼地ということもありさすがに中は盛況だ。直径 27メートルという世界屈指の大きさを持つこのストゥーパの周りを、すべての人は時計回りにぐるぐる回って歩いている。中には五体倒地礼 (五歩ほど歩く毎に身体を地面に投げ出してうつぶせの状態で祈りを捧げ、また立ち上がって同じことをひたすら繰り返すチベット仏教の礼拝方法) をしながら回っている僧侶の姿も見える。ここボダナートは今回カトマンズ周辺で見た中では最も宗教色の濃い感じのするところである。

基本に忠実にまずはマニ車 (中にお経が書かれた紙が入っていて、一回回すと一回お経を唱えたのと同じ功徳が得られるという)を回しながら一周しようと思うが、あまりにも大きいので同時に写真も撮りながら回ることにする。ちょっと遅れて入ってきた O 氏と合流し、レンズ交換などを手伝ってもらいながらあちこちと写真を撮って回る。さらに、大地を表していると言う八角形のストゥーパの基壇にも上ることができて、夕方の日にちょっとだけピンク色に染まった水を象徴しているという白い丸屋根、火を象徴しているという尖塔、空気を表しているという頂の傘、そしてそこに描かれている「仏陀の目」に一歩近づいて写真を撮る。

二人で回っていると、あまり変な輩に声をかけられなくてすむので手早く写真を撮ることができる。ひとしきり写真を撮り、最後に仏陀に向かって手を合わせ、トレッキングが無事に終わったことのお礼を言ってお辞儀をしてから帰ることにする。地元の人であれば、ここで、
「オムマニペメフム (おお、蓮華の座におわします宝珠の神よ!)
と唱えるところなのだが。

帰りのタクシーはタメルまで Rs80 とまぁ相場どおり。メールをチェックしたかったので、O 氏とは一時間後に待ち合わせをして、インターネットカフェに入る。

一時間後、O 氏とは昨日と同じ日本食レストラン『古里』の前で待ち合わせるが、今日は別のところに行くことにする。『一太』という名の焼肉屋があるのをガイドブックで発見したのでそこに行ってみる。中に入ると、これまでカトマンズでみたどのレストランよりも小奇麗でいい感じだ。しかもトイレが非常に綺麗なのにはものすごく感動してしまった。カトマンズではトイレの水が流れないなんていうのはざらで、それはレストランでも同様だ。「トイレがここまで綺麗ということは、オーナーがよっぽどきちんとした清潔好きな人なのだろうね。」と話しながら焼肉を注文すると、オーダーを取りにきたネパールの男性も非常に流暢な日本語を話すのでびっくりしてしまった。
「無事トレッキングから帰ってこられました」と日本語でお礼を言う

ちょっと遅れて隣の席に入ってきた中高年の日本人の男性と女性と話をする。関西から大人数でやってきて、先週までトレッキングに行っていたという彼らは、驚いたことにアンナプルナ方面でマオイストと軍との銃撃戦に遭遇したという。兵士に追われていた二人のマオイストのうち一人は捕まり、もう一人は逃げていったという。銃で撃たれながら逃げる人の形相というのはものすごいのだ、という話を聞き戦慄する。さらに彼らは実際にマオイストにも遭遇して寄付金を払ったほか、泊まっているロッジにマオイストが食料を調達にやってきて、ものすごい緊張を強いられたりもしたそうだ。O 氏と二人で、
「クーンブヒマール (Khumbu Himal) 地方はなんだかんだ言っても安全だったのだなぁ...。」
と胸をなでおろしていると焼肉が出されてくる。なんと、炭火のコンロで焼く本格的な焼肉でさらに感動する。もちろんご飯のお代わりは自由。

感動の焼肉を食い、「これは毎日通ってしまいそうだね」と言いながら大満足で店を出る。その後は昨日と同様、タメルの夜の街に飲みに行くが、明日のナガルコットへのトレッキングを控えているということもあり今日は一軒だけにとどめる。帰りはこれも昨日と同様リクシャーを捕まえ、ネゴシエーター O 氏の力により Hotel del'Annapurna まで Rs35 で交渉成立。ところがいざホテルについてみると財布の中には 100ルピーの紙幣しかない。あたりにたむろしていたタクシーなどで両替してもらったが 5ルピー紙幣は手に入らず、結局 Rs40 を支払ってあげる。でも、今日のリクシャーはものすごくスピードが速かったのでまぁ御褒美と言うことだ。

22時45分にホテルに戻り、明日のトレッキングの準備をしてさっさと寝てしまう。

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