ヒマラヤトレッキング日記
〜 カラパタール / EBC トレッキング編 〜


2004/3/28 (Sun)

晴れ、のち午後から強風

起床(5:45) → 朝食(6:40)→ Phakding (2,652m / 摂氏 10度) / Namaste Lodge 発(7:15) → たて at Benkar (2,750m / 摂氏 8度) (8:12) → Benkar 発(8:17) → Sagarmatha National Park ゲート着 (2,850m / 摂氏 12度) (9:00) → Sagarmatha National Park ゲート発(9:05) → Jorsale 着 (2,800m / 摂氏 16度) for 昼食 → Jorsale 発(10:15) → たて (3,000m) (11:05〜11:15) → たて (3,300m) (12:07〜12:20) → Namche Bazar (3,446m) 入り口通過(12:30) → Thamserku View Lodge 着(12:45) → View Lodge 着(13:30) → Namche Bazar 写真撮影(14:00〜15:45) → Internet Cafe(16:30〜17:00) → 夕食(18:30〜19:00) → 就寝(21:00)

(Phakding 〜 Namche Bazar 歩程: 5時間30分

「ヒマラヤで花見?」

朝の 5時ごろトイレに行きたくなって一回起きる。夜間用のトイレはロッジの中にあるのでわざわざ外に出る必要はないのだが、木造建築のロッジの中を登山靴で歩くとものすごい音がするのでちょっと寝ている人に申し訳がない。できるだけ足音を立てないように階下に下りて用を足し、部屋に戻って5時45分まで寝る。外が明るくなってきたので起きてシュラフを畳みザックのパッキング。昨日足の裏にマメを作ってしまったので靴下は厚めのものを履く。水没した GR1s を見てみると、一見シャッター、巻き上げも正常に行われているようなのだが、裏蓋を開けてよく見てみるとレンズシャッターが開いていない。今日はカメラザックにしまってそのまま乾かすことする。 荷物をまとめて部屋の鍵を閉め、キッチンに行ってみるとガイドやポーターたちがコンロの火に当たりながらお茶を飲んでいる。ケサブ君はまだ起きてきていないようだ。キッチンを覗いていると、女将さんが朝飯のメニューを渡してくれる。「TOAST w/Honey」を 2枚と紅茶 (Black Tea) を頼んで、ロッジの中のダイニングで待つ。ロッジの子供がダイニングの中を香を焚きながら歩き回っている。写真を撮りたいが GR1s が使えないので諦める。すぐにトーストと紅茶が運ばれてくるがトーストには何も塗られていない。蜂蜜はダイニングに置かれている共用のものを使うのだ。トーストを食べていると、ケサブ君が二階から降りてきて、すばやく洗顔、歯磨きをしてダイニングで朝食。そこへローカルバッティに泊まっていたポーターの TRB が迎えに来たので、部屋からザックを降ろし出発の準備をする。2L 入りの水筒に入れてあったミネラルウォーターはもう残りわずかなため、それは TRB に持ってもらう荷物に入れ、ケサブ君に頼んでタトパニ (ネパール語でお湯のこと) を 1L 買ってきてもらい、マルキルの水筒に入れる。

どう見ても日本のサクラに見える 昨日の午後飲んだビール代を支払って (アルコール類、ミネラルウォーターなどはトレッキング料金に含まれていない)、予定よりちょっとだけ早く 7時15分にロッジを出発。昨日写真を撮りに行った吊橋を渡って、しばらくの間はドゥードコシ川 (Dudh Kosi River) に沿って右岸を進む。途中、ベンカール (Benkar) というところでの一回のたてをはさんで、今度は左岸側を進んでいくとチュモア (Chumoa) の集落の脇にどう見ても日本の桜にそっくりな木が並んでいる。
「これはサクラの花?」
とケサブ君に尋ねたが彼は花の名前には詳しくないようだった。
でも、どう見てもサクラの花に見えるので、この時間谷底の道は暗くて高速シャッターは切れないながら、どうにか手持ちで写真に収める。三脚は TRB が担いで先に行ってしまっているからだ。ちょうど日本でサクラが咲き始めた時期に日本を出てきてしまっていたので「今年は花見はむりかなぁ...」と思っていたが、思わぬところでサクラの木に出会うことができて朝からとても幸せな気分になる。

モンジョ (Monjo) にあるサガルマータ国立公園のゲートまで 1時間45分。ここで国立公園入園証のチェックを受けにケサブ君が建物に入っていく。チェックは簡単に終わりすぐ出発。このゲートはドゥードコシ川よりも結構高い位置にあるが、ゲートをくぐると一気に川の高さまで下っていく。長い吊橋を渡りゲートから 15分強でジョサレ (Jorsale) に着いた。ここで昼メシ。着くとすぐにケサブ君がメニューを持ってきてチャー(ミルクティー) かブラックティーのどっちにするか聞いてくれる。とにかくどこで休憩をしても必ず真っ先にお茶を頼んでくれる (もちろんタダではないがトレッキング料金に含まれているのだ)。チャーには砂糖がたっぷり入っているので、トレッキング中はかなり即効性のあるカロリー源になる。シェルパ族のポーターなどはものすごい運動量なのですぐに燃焼してしまうのだろうが、ロッジで暇を潰している時を含めて、この砂糖がスプーンに二杯ほども入ったチャーを一日中飲み続けていると圧倒的に糖分を取りすぎてしまう気がするので、今回トレッキング中には意識的にブラックティーを頼むことにしていた。でも油断すると出てくる前にすでに砂糖が入っていたりするのだが...。 Sagarmatha National Park のゲートには注意書きがいっぱい

昼メシには「Hash Brown w/Omelet」を頼んでみる。これはつまりお皿大に焼いたハッシュポテトにオムレツが乗ってくるものなのだが、なかなか旨い。これに、どこのロッジでもダイニングには必ず置いてある緑色のケチャップ状のチリソース (Green Chilly Source / Butterfly Fruit Canning Company, Nepal) を付けて食べると絶妙に辛くてよろしい。

昼食後、水没した GR1s を再度チェックすると、今度はレンズシャッターが動いている。それでも、一応、今日一日は使用を控えて十分に乾かすことにする。GR1s には絞り優先モードも付いているが、これにシャッター速度優先かマニュアルモードが付いていればシャッター速度のチェックができるのだが...。動き出したとしても最後まできちんと動いているかどうか確信が持てないのはちょっと辛い。

「ポーターはすごい」

ヒマラヤの遠征隊などで荷物を運ぶポーターをシェルパと呼ぶのだと一般的に思われている節があるが、シェルパというのはシェルパ族のいわゆる Family Name であって、すべてのポーターがシェルパ族というわけではない。現に TRB はシェルパ族ではない。それはさておき、彼らの荷揚げ能力はものすごい。歩いていると多くのポーターとすれ違ったり追い抜いたりするが、彼らの荷物はゆうに 100kg は超えているものも多々見かける。彼らの多くは体格も小柄で、どこにそんなエネルギーが隠されているのだろうかと驚かされるが、さらに驚くのは、彼らは肩に紐をかけて背負うのではなく、殆どの場合、頭にかけた紐一本でこの重い荷物を背負っているという点である。彼らは小さいうちからそうやって荷揚げをして暮らしているために背があまり伸びないのだろうか、と思うほどである。手には木を削った T 字型の杖をもっていて、休むときは立ったままその杖を荷物の下に立てかける、つまり「たて」という言葉の原型をここで見ることができるのだ。

ここクンブ ヒマール (Khumb Himal) 地方には、現在に至るまでルクラ (Lukla) の飛行場とナムチェバザール (Namche Bazar) の上にあるシャンボチェ (Shangboche) のヘリポート以外には、陸路、空路とも機械での荷揚げができる場所が存在していない。ルクラ − パクディン間などは、日本だったら間違いなく強引に林道を通してしまうだろうと思われるぐらいの地形なのだが、ルクラの飛行場以外では、いやルクラの飛行場でも動力付のクルマは一切見かけない。すべての荷物は人力とヤク、馬によって運ばれているのである。林道を作ってクルマを導入するだけの経済的メリットが存在しないのかもしれないが、彼ら (ポーター) の生活を保つためにも、今以上に開発されて自然が荒らされるのを避けるためにも、ちょうどいいバランスが保たれているように思える。

ついでにヤクのことにも触れておくと、彼らもすばらしい荷揚げの達人 (達ヤク?) なのである。よく見かけるのは、エベレストなどの遠征隊 ("Expedition" という単語が一般的に使われている) などの荷物を背負った 10頭立て程度のヤクの隊列である。ヤク使いであるシェルパ族などのポーターは、大体列の一番後ろに付いて歩き、先を歩くヤクのオケツに後ろから小石を投げて先へ進ませる。ヤクたちはものすごい荷物を背負っているのだが、ヤク使いもフツウのポーター並みの荷物を背負っていることが多い点には感心する。彼らの財産であるヤクをとても大事にしているのがわかる。さらに驚くのはヤクたちは道を知っているようで、迷わずにルート上を歩き T 字路などに差し掛かっても、どういうわけかきちんと先頭のヤクが行くべき方向に曲がっていく。ヤク使いははるか後ろの方を歩いているのにである。これは最後まで謎なのであった。ヤクの性格は非常におとなしく、すれ違いのときなどもこちらが道をあけてやると、「どうもどうも」といった感じでゆっくりと通り過ぎていく。もし彼らがウシのように赤い色を見ると興奮するような性格だったりしたら、今まで何千人のトレッカーがすれ違いざまに登山道や吊橋の上から谷底に突き落とされたかわからないだろう。ザックやヤッケなどの登山用具は、遭難したときに目立つように赤などの鮮やかな色が使われていることが多いからだ。

「緊急停止」

昼メシでゆっくり一時間ほど使い、10時15分にジョサレを出発。TRB はナムチェバザールでケサブ君ご指定のロッジを確保するために先に行く。三脚も一緒に持って行かれてしまったが、初の 3,192m 越えを自分で三脚を持って登るのは辛そうなので、手持ちで何とかすることにする。川の左岸に渡ると 15分程でナムチェバザールへの急登が始まる。まだ標高も余り高くないため気温も高く、さらに樹林帯なので湿度もある。50分ほど歩き 3,000m 付近で一回たて、今回 3種類、3袋を持ってきた奥田製薬 KO の『ノンシュガー スタイリー 梅肉飴』、『ノンシュガー スタイリー きんかん飴』、『ノンシュガー スタイリー ビタレモン C キャンデー』を全部一緒にして入れた旭化成の Ziploc® ストックバックを出して、ケサブ君と TRB に好きなだけとってもらう。以前、山に行くときは必ず持って行った『はちみつレモンアメ』を見かけなくなって以来、登りながら舐めても口の中に妙な味の残らないアメになかなか巡り会えなかったのだが、今回のこの 3種類は久々のヒットだ。特に『ノンシュガー スタイリー 梅肉飴』はなかなか良い。余りに暑いので、Tシャツの上に着ていた長袖のダクロン QD のシャツを脱ぎ、ザックの上にくくりつける。しかし、その下に着ていたテクノファイン素材の PAINE のアンダーシャツが薄すぎたためか、谷底から吹き上げてくる冷たい風に一気に身体が冷やされて、出発してすぐにお腹が痛くなってきた。ケサブ君に頼んで緊急停止。登山道の脇の林に入って用を足す。みんなその辺に入り込むのか、あたりはウンコだらけだ。ちなみに、ポーターもガイドもそうだが、ネパールの人たちはあまりロッジのトイレを使わないようだ。休憩などしてツーリストはトイレに入るが、彼らはそこには入らず、出発してすぐに辺りの岩陰で用を足したりしている。宗教上の理由から、ケガレを避けるために人のしたブツの上にすることを極端に嫌う、とどこかのガイドブックで読んだことがあるが、確かにそういうことなのかもしれない。

用を足してすぐに出発。ところがこの登りはかなり急なのだ。登山道が比較的広いので登っているときはなんでそんなに辛いのかいまひとつピンと来ず、「3,000m を超えるとやっぱり違うなぁ」などと考えていたが、帰りにこの道を下ってみて実はかなり急坂だったのだということに気が付いた。何にしても、登りとしては今日が初日の上、カメラと水で 16kg 程の荷物を背負っているし、暑さと湿度で結構バテ気味。スピードが極端に落ちてきてしまった。ここまでケサブ君は後ろを歩いてきたが先に行ってもらうことにする。自分のペースで歩けるのでガイドに後ろについてもらった方が歩きやすいという人が殆どのためか、ここヒマラヤではガイドが後ろを歩くのが一般的のようだが、それだと写真を撮るために立ち止まったりしてかえって気を遣ってしまうので、先に行ってもらった方が歩きやすいのだ。3,300m 付近でまた腹痛。ケサブ君はカーブを曲がってしまって姿が見えないので、そのまま道端にザックを置いて再度林の中へ。ひょっとして何か悪いものを食べたのだろうか...。でも思い当たる節は今のところない。

その後、ケサブ君に追いつけないまま 50分が経過したので、一旦たてることにする。カロリーを補給するために明治製菓のアーモンドチョコレートを開ける。山で食べて一番美味しいのがこの明治のアーモンドチョコレートなのである。しかも暑さでも溶けにくい点が非常に助かる。さらに水筒のタトパニで水分を補給。暑さのため水の消費が多く、1L では残りが心もとなくなってきたが、ミネラルウォーターが残っている 2L のボトルは TRB に背負われて先に行ってしまった。10分以上ゆっくりと休憩を取ってから歩き出すと、すぐ先の急坂を登りきったところでケサブ君と TRB が、マオイストの警戒にあたっている兵士と話をしながら待ってくれているのが見える。TRB はナムチェバザールのロッジに荷物を置いて、また下ってきたのだ。「さすがに早いな」と思うと同時に、彼が戻ってきているということはナムチェバザールがもうすぐ近くなのだとホッとしながらケサブ君、TRB と合流する。
「カメラザックを持ってあげようか?」
と TRB がケサブ君を介して言ってくれるが、この高度で重い荷物で苦しんでおけば少しでも高山病対策になるのではないかと思い、そのままザックを背負って歩き出す。すぐ先のカーブを曲がると、ナムチェバザールのロッジが見えてきた。が、ナムチェバザールは馬蹄形をした山の斜面いっぱいに広がっているので、そこから目当てのロッジに着くまでには 15分を要し、さらにナムチェバザールに入ると道はますます急になり、ロッジまできつい最後のひと登りとなった。

ケサブ君のお目当てのロッジ、TRB が確保した Thamserku Lodge は美しい外観のロッジだ。外で三脚を立ててロッジの写真を撮ってからダイニングに入り、きれいに整頓されたキッチンを見ながらまずはチャーを飲む。ケサブ君がロッジの女将さんとなにやら真剣に話をしている。聞いてみると昨日パクディンでも見かけた韓国からの遠征隊が、今日はこのロッジを予約しているという。部屋は空いているのだが、ケサブ君はロッジが混んで騒々しくなることを懸念しているようだ。宿泊を決定する彼の基準はかなり高い。結局、Thamserku Lodge には泊まらずお茶だけを飲み、そこからすぐ近くの View Lodge に入る。ケサブ君が部屋に入り部屋の中、カーテンを開けて窓からの景色をチェックしている。目の前にはナムチェバザールの反対側の山、コンデリ (Kongde Ri / 6,187m / 旧名: クワンデ) が聳えている。どうやら窓から見える景色も彼の重要なチェック項目の一つのようだ。

「ハイテクなナムチェバザール」

部屋に荷物を置いてロッジのダイニングでお茶を飲んでいると、そこにいた韓国人の女性が話し掛けてくる。ポーターと二人で昨日ナムチェバザールに到着したというその女性は、ケサブ君を見るなり、
「私たちどこかで会ったよね?」
「え?? そんなことないでしょ。」
とケサブ君。すると、
「あらそぉ? ネパールの人ってみんな同じ顔なのね。」
なかなかいきなり失礼なヤツなのだ。そういう彼女は今朝から頭痛が激しいそうで、今日から高山病のクスリを飲んでいるとのこと。ナムチェバザールでも既に高山病の出る人がいるのかと思いちょっと緊張する。その韓国人の女性とひとしきり話をした頃に、今度はオーストリアからのカップルが外から戻ってくる。彼らはナムチェバザールで既に三日過ごしているとのことで、あちこち近場にハイキングに行って高度順応をしているのだそうだ。

Namche Bazar と Kongde Ri とヤク 話を聞いて、やっぱり高度順応のためにも油断せずに少しは歩かないといかんなと思い、カメラザックと三脚を担いで外に出る。あちこち歩き回るが、3,400m を超えているためかちょっとした登りでも息が切れる。タンボチェ (Tengboche) への道とシャンボチェ (Shangboche) への道の分岐点である大きなマニ石のある峠まで登ってナムチェバザールの俯瞰写真を撮る。14時を過ぎているので空は曇って風が吹き始め、辺りはものすごい砂埃が舞っている。空気は見る見るうちに黄色くかすんでカメラもあっという間に砂まみれになってしまう。ロッジに戻るとケサブ君はナムチェバザールには友達が沢山いるためか、どこかへ出かけたようだ。まだまだ時間はたっぷりあるのでカメラをロッジに置いて再び外へ出てみると、すぐ近くにインターネットカフェを発見。まさか、ナムチェバザールまで来てメールがチェックできるとは思っていなかったが、衛星回線を使っているとのことで電話や FAX など結構サービスが豊富だ。但し、インターネットを 21分使って Rs315 と値段は非常に高く、Rs40/1時間 だったカトマンズの街中のなんと 112.5倍の料金。Rs15/1分 なのであった。しかも、回線スピードは非常に遅く、21分のうちの半分は表示待ちといった感じ。でも、こんなところでも Global IME がインストールされていて、しっかり日本語でインターネットメールが送れるとは、世の中の進歩とはかくも驚異的なのだ。 「日本語で読み書きできます」にはびっくり

Rs50 とこれまた下界の約 3倍以上の値段で売られている 1L 入りのミネラルウォーターを 2本購入してロッジに戻る。砂埃でざらざらしたカメラとレンズを部屋で掃除してからダイニングに下りる。夕方になるとダイニングだけはストーブが点くからである。ロッジの女の子がバケツに入れた灯油にヤクの糞を浸してから素手でストーブに入れていく。貴重な燃料源であるヤクの糞に対しては汚いなどという概念はないのだ。

ストーブが点くとその周りにはイスを並べてガイドが集まってくる。意外なことだが、ガイドたちは日本人よりもよっぽど寒がりである。一年中気温の高いカトマンズなどに暮らしている人が多いためか、寒さにはめっぽう弱いのである。その上、恐ろしいほど薄着の人もいる。それに対してツーリストは大体ダウンジャケットなど着込んで装備も整っているためか、ストーブから離れたところに座っていることが多い。そもそもこっちはついこの間まで冬だった日本にいたので、そのくらいの寒さはどってことないのだ。

その後 18時半に晩メシ。今日は「Fried Rice」と「Chicken Soup」をオーダーする。晩飯に限らず、チャーを飲んだときでも何でも、食べ物をオーダーする方法はトレッキングを通してどこのロッジでも同じ。部屋番号ごとに用意されている帳面にガイドの名前を書きその下に注文するもの、または、注文したものの名前を書き連ねていくのだ。これを書き忘れたとしても、ロッジの人はきちんと誰がどのガイドのお客だかを把握していて、後で見るときちんと帳面に記載されているのだ。そしてロッジを出るときにその合計額をガイドが支払うという仕組みになっている。ロッジの人とお客とガイドの関係が非常に密な感じがする。

晩飯の後、イングランドのウェールズから来ているという単独行の男性と話をする。驚いたことに彼は 4日間でカラパタール (Kala Pattar / 5,545m) に上がり、今日はゴラクシェプ (Gorakshep / 5,150m) から一日でナムチェバザールまで下りてきたと言う。やはり短期決戦だと高山病は避けられず、上では頭痛と寒さで殆ど寝られなかったという。こっちは今のところ高山病の症状は出ていないのでダイアモックスの服用は先送りにするが、昼間のことがあるので念のため新ワカ末 A錠を 2錠服用。

明日はナムチェバザールに停滞。高度順応のため、約 250m の高度差を登って HOTEL Everest View まで行き、クムジュン (Khumjung) を廻って帰ってくる予定。21時に就寝。


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