ヒマラヤトレッキング日記
〜 カラパタール / EBC トレッキング編 〜


2004/3/27 (Sat)

晴れ、のち午後から曇りと強風

起床(4:45) → HOTEL Vaishali チェックアウト(5:35) → Himalayan Activities 発(5:45) → KATHMANDU Tribhuvan 国際空港国内線ロビー着(6:15) → TAKE OFF by SitaAir ST601便(7:00) → Lukla 空港着(7:40) → Lukura (2,860m) / Namaste Lodge 着(7:50) → Namaste Lodge 発(8:40) → Bakery 着(8:42) → Bakery 発(8:50) → たて at Tibet Holiday Inn (10:00) → Tibet Holiday Inn 発(10:07) → Phakding (2,652m) / Namaste Lodge 着(10:50) → 昼食(11:20) → 散歩、写真撮影(12:00) → Namaste Lodge 戻り(13:25) → 夕食(18:15) → 就寝(20:30)

(Lukla 〜 Phakding 歩程: 2時間)

「ケサブ君カメラを死守」

夜中の 3時ぐらいから隣の民家のニワトリの雄叫びで何度か目が覚めるが、頑張って 4時45分まで寝る。朝飯は抜きで 5時30分頃には部屋を出てチェックアウトに向かう。カートに載せた荷物を苦労してエレベータから降ろしていると、約束の時間よりも 10分程早いのに既にケサブ君がロビーで待っていて手伝いに来てくれる。すぐさまチェックアウトをしてホテルの外で客待ちをしていたタクシーに乗り込み Himalayan Activities のオフィスへ。置いていく荷物だけをタクシーから降ろし、まだ暗い中、煌々と明かりのついているオフィスに入って行くと、Raghu さんが待ってくれている。Raghu さんはケサブ君のガイドライセンス、エアチケットのチェックなどを入念に行い、ケサブ君は社内の書類にサインをし、最後にトレッキングに必要な現金が渡される。このあたりを何気なくお客の目の前でやってくれるところも、なかなか安心感を与えてくれるものだ。

「トレッキングが成功していい写真が撮れるように祈ってますからね!!」
Raghu さんに見送られてオフィス前からタクシーでいざ出発。ケサブ君は助手席に座ってタクシーの運転手と色々話をしている。トレッキングを通して気付いたことだが、彼は年齢の上下を問わず誰とでもとても親しげに話ができる性格で、誰とでもうまくやっていかなければならないガイドとしての素質を生まれながらにして持っているという感じの青年なのだ。30分程で空港に着くがタクシーのドライバーはお釣を持っていない。ケサブ君がそこらにいるタクシーの間を走り回って両替を頼むが、皆細かい紙幣を持っていないらしい。最後に申し訳なさそうに、
「両替できる?」
と言ってきたので財布の中を見るとちょうど両替できるだけの細かい紙幣が入っていて一件落着。極力こちらには迷惑をかけないようにしようという姿勢なのだ。

国内線の空港の中はツーリストとガイドでごった返し状態。建物に入るなり入り口のすぐ近くでセキュリティチェックを行っていて、団体客などは一緒に入らなければならないためその間他の乗客はシャットアウトされてしまい、入り口の前はものすごい数の人が群がってしまっている。どうにかこうにか中に入り、セキュリティチェックを受ける。予め出してエコバッグに入れ替えておいたフィルムは無事 X線検査を免れることができた。次の関門はチェックインだ。カメラ機材をエツミ製の大型 (200mm×350mm×630mm) カメラザック、「マーチンポーターリュック (E-4042)」に入れているため、このサイズの荷物を機内持ち込みにできるかどうかが肝なのだ。チェックインさせられてしまって放り投げられでもすれば、それなりにダメージがあるかもしれない。案の定、チェックインカウンターでは有無を言わさずすべての荷物を秤に載せられる。ちなみに秤は国際線で見かけるようなデジタル式のものではなく、巨大な針式の小学校などで使っていた体重計の超大型版のような秤だ。ここでケサブ君がカメラザックは機内持ち込みにしたい旨を強力に主張してくれる。カウンターの係員はもちろんこれを拒否するがケサブ君も一歩も譲らない。いつの間にか敵は三人体制に増強して畳み掛けてくるが、これすらケサブ君の鉄の意思には打ち勝つことができず、無事カメラザックは機内持ち込みとなった。その代わりケサブ君のサブザックはチェックインすることになる。最初にすべて秤に載せてしまっているので、一体どの分の料金なのかイマイチ不明確なまま、超過重量の料金をケサブ君が支払ってチェックイン終了。その辺はとってもいい加減な国らしい。

ケサブ君がカメラザックを背負ってくれ、出発ゲートに向かう。朝日の差すゲート前ロビーには、ポカラ方面に向かう団体客など多くの人が国内線の飛行機を待っていて日本人の団体客も見える。ベンチに座ってようやくケサブ君とゆっくり話をする時間ができた。彼は日本語も勉強中だが行動中は間違いの無いように基本的に英語で話をすること、彼のことをトレッキング中は「ケサブさぁん」と呼ぶこと、など基本的なところの相談と、その他の雑談など。そしてその場で出発前に成田空港で買ってきた二つの扇子を見せ、好きな方を選んでもらう。買うときに悩んだのだが、結局ポーターと同じグレードのものを渡すことになるので、先に選んでもらうことでちょっとでも差をつけられればと思ったからだ。彼にとって日本の扇子は初めて見るもののようで、結構喜んでくれたのでホッとする。

Sita Air 601便 広い待合室にバスゲートが一つ。今回利用するのは Sita Air の ST601便だが、便名や出発時間などの案内表示は何も無くて、バスが出る時間になると係の人が大声で「行き先」を叫ぶだけ。外国人には一体どこ行きの飛行機が出て行くのか判断するのは難しく、近くにいた日本人団体旅行の現地添乗員の日本人の女性も、呼び出しがかかるたびに毎回係の人にチケットを見せて確認しに行っていた。こっちはケサブ君がいるので安心だと思っていたが、実はケサブ君にも聞き取りにくいらしく、
「多分これだと思うけど...。」
とザックを背負って立ち上がりながら、係の人に確認をしている。

ゲートを出ると、いきなりボディチェック。男性と女性は別の列に並ぶ。ザックはケサブ君が持っているので、カメラはポケットに RICOH GR1s が一台入っているだけ。何の問題も無くボディチェックは通過する。その向こうに待っていたマイクロバスに乗り込むとすぐにドアも閉めずにいきなり発車。後ろを見てみるとなんとバスの後ろにチェックインした荷物を積んだカートを牽引していて、これはツーリストに大うけだ。飛行機は Sita Air の保有している 2機の飛行機の一つ、19人乗りの Dornier 228 で双発のターボプロップ機。この小さな飛行機の最後尾の部分についているステップを登ろうとしたケサブ君に、スチュワーデスがザックが大きすぎるので後ろのカーゴスペースに積むように言ってくる。後ろでチェックインした荷物を積み込んでいた係員もそれに加わって後ろに積めと迫ってくる。ところがここでもケサブ君は自分が膝の上に抱えて一番後ろの席に座るからと言って (ネパール語だったので真相はわからないのだが身振りから多分そう言っていたに違いない) 断固として譲らず、カメラザックをなんとか死守して見事機内持ち込み権を勝ち取ったのであった。この一件でケサブ君への信頼感レベルが一気に跳ね上がったのは言うまでもない。

今日は風が強くルクラ (Lukla) までは何度も乗っているケサブ君も驚くほど飛行機が揺れる。窓から見えるヒマラヤの山々には、朝の 8時前だというのにすでに雲が出ている。
「写真ホントに撮れるんだろうか...。」
といささか不安になりながら、汚い窓を通して RICOH GR1s でパチパチと写真を撮りながらの約 30分間。飛行機は高度をあまり下げずに、三方を山に囲まれた ルクラの空港の滑走路にゆるい角度で進入していく。ルクラの空港の滑走路は山の斜面に作られていて、着陸するときは上り坂、離陸するときは下り坂の方向に飛行機は滑走するため、飛行機が急角度で下降しなくても滑走路が下からせり上がってくるのだ。さらに滑走路の末端は壁になっていて、離陸するときはいいが着陸するときはかなりドキドキものだ。飛行機を降りて滑走路の端で荷物が運ばれてくるのを待つわずかの時間に、乗ってきた飛行機はカトマンズに向かう乗客を載せてあっという間に飛び去っていく。しかも、たった今飛行機が飛び立っていったその滑走路に、その直後に反対方向から別の会社の飛行機が着陸してくる。通常の飛行場では離陸と着陸は必ず同じ方向に向かって行われるので、こういうことは他ではめったに見られない。さらに、朝のこの時間はものすごい過密スケジュールなのだ。というのも、標高 2,800m 以上もあるこのルクラの飛行場は、気象条件が厳しく朝のこの時間帯を逃すとあっという間にガスってしまって、その日は飛行機が来なくなったりするためである。
Lukla 空港の滑走路は山の斜面に作られている

「いよいよトレッキング開始」

荷物を受け取りまずはポーターを雇うためにケサブ君のなじみのロッジに向かう。ケサブ君は当たり前のような顔をして自分のザックを身体の前に、ポーターに渡すことになっているミレーのザックを背中に背負ってくれる。Namaste Lodge という名のそのロッジに入ると、まずはケサブ君がミルクティーを頼んでくれる。ロッジの中は気温摂氏 12度でひんやりしているのと、朝起きてから何も口にしていなかったのとで冷え切っていた身体がようやく暖まる。そこへ奥に行ってポーターの手配をしていたケサブ君が朝食のメニューを持ってきてくれたので、チーズツナピザを頼む。ダイニングで朝食を待っていると、小柄な男性が入ってきてザックの重さを確かめている。彼が今回のトレッキングでポーターを勤めてくれた Tula Ram Bam (トゥラ ラン バン。以下 TRB と表記。) であった。自分の荷物を持ってくれるポーターだということがわかったので、例の扇子の残った一つを渡して、「これは日本のお土産で、こうやって使うのだよ。」という内容を身振り手振りで伝える。彼は英語がしゃべれず、ケサブ君は奥の部屋で雑談をしているようなのでそれしかなかったのだ。

朝食を食べ終わるとすぐに荷物を持って外に出て、ロッジの女の子にまずは 3人で出発前の写真を撮ってもらって歩き出す。
「そういえば TRB はやけに軽装だし荷物は持たないのだろうか?」
と不思議に思っていると、すぐ近くの「パン屋兼地元の飲み屋」に TRB が入っていく。
「上の方は寒いので...」
とケサブ君が説明してくれたが、つまりここは彼のうちで必要なジャケットとその他身の周りのものを出してきてささっと黒いビニール袋に詰めて、それを持ってもらっているミレーのザックにくくりつける。さすが地元の人で、
「え、それだけ?」
と思うほどの荷物の少なさである。

TRB の家を出て再度出発。今日の目的地、パクディン (Phakding) はルクラよりも 200m 程標高が低いためか最初のうちは緩やかな下り。TRB はザックの他にもケースに入った三脚と Raghu さんがケサブ君に託した Himalayan Activities の看板 (のようなもの) を手に持っているのだが、別にそれが負担という顔もせずにすたすたと歩いて行く。ところどころにあるマニ石やすれ違う空荷のヤクなどを FUJI GS645S で撮りながら歩いて行くと、まだルクラに近いためかところどころに小奇麗なロッジの建っている道は、きちんと整備されていて石畳の部分も多い。多少上り坂もあるが、険しくはなくまぁまぁのペースで進んでいく。1時間ちょっと歩き、ルクラ方面に展望の開けたところの Tibet Holiday Inn というどこかで聞いたことのある、でも絶対に違うよなという名前のロッジの前で一回目のたて。さほど疲れてもいないので辺りの写真を撮り、アメを出してケサブ君と TRB にもあげ、水を飲んですぐに出発。

出発して 30分ぐらい歩いた頃からか、足の裏の辺りがゴロゴロしてくる。最初は小石でも入ったかと思っていたが、どうやら今回新しく導入した靴下の組み合わせが悪いらしくいつもより若干薄目であったこと、朝ホテルを出たときのまま歩き出す前に靴紐をきちんと締めていなかったこと、硬い石畳の道を比較的ハイペースでガシガシ歩いたこと、などによって一気に両足の裏にマメができたらしい。これをかばって変な歩き方をすると足に負担がかかるし、かといってここで止まって貰って靴下を出すのも面倒だし、コースタイム上は 4時間の道のりだとすれば、少なくとももう 1時間程みっちり歩かなければならないし困ったなぁと思っていると、まだ 11時前なのにあっさりパクディンに到着してしまった。このままマメが潰れたりしたら今後の予定が大幅に狂ってしまうので心底ホッとする。

今日泊まるロッジは、なんとまた Namaste Lodge という名前である。到着するなりケサブ君がお昼のメニューを持ってきてくれる。カレーライスとリンゴジュースを注文。今回のトレッキングは食費込みだが、たくさんあるメニューの中でどれぐらいまでの値段のものを頼んでいいのか見当が難しい。とりあえず今日のところは無難に済ませることにする。11時20分頃に食事が用意される。それを食べてしまうともう晩飯まで何も予定は無いので、カメラを担いで辺りを散策することにする。明日は 3,446m のナムチェバザール (Namche Bazar) まで一気に登るので、少しでも歩き回って高度順応をしておいた方がよさそうだからだ。なにしろ富士山には登ったことが無いので、これまでクルマでは標高 4,200m のマウナ ケア (Mauna Kea, HAWAII, USA) には登っているが、自分の足で登った最高到達地点は南アルプスの北岳の 3,192m 止まりだからだ。ケサブ君が現地語でミルクの川の意味だと説明してくれた氷河色をしたドゥードコシ川 (Dudh Kosi River) に沿って上流に歩いていき三脚を立てて写真を撮っていると、小学生ぐらいの男の子一人と女の子二人の三人連れがやってきて話し掛けてくる。
「ペンちょうだい。」
「ごめんね、あるけどあげられないよ。」
「じゃ、ルピーちょうだい。」
「うーん、それもちょっとダメだよ。」
「じゃ、お菓子は?」
「あ、さっきのたてのときのアメが入っているかな...」
と、ポケットに手を突っ込むとそれは無くて、飛行機の中でもらったアメが一つだけ出てきた。
「一つしかないや」
と言うと、三人の手が同時に伸びてきたが男の子がそれを取ってしまって、さっさと口に放り込んでしまった。女の子二人はとても残念そうだ。

Phakding の少年たち さらに先へ進み、パクディンのはずれにあるドゥードコシ川にかかる吊橋の傍らで花の写真を撮っていると、さっきの子供たちよりももう少し年のいった少年二人がやって来てニコニコしながら撮影しているのを見物している。
「写真を撮ってあげようか?」
と聞くと嬉しそうに二人並んで立ってくれたので RICOH GR1s でパチリと一枚撮らせてもらう。とにかく三脚を立てて写真を撮っていると、ツーリスト以外の現地の人は必ず立ち止まって面白そうに眺めている。こっちが巨大な 6×7判のカメラで撮っているから目立ってしまうというのもあるのだろうが...。ロッジの方に戻りながらパクディンの家並みを撮っていると、また男性が二人やってきて、ファインダーを覗かせて欲しいと身振り手振りで言う。「どうぞ」と言って見せてあげていると、そこへケサブ君が迎えに来てくれる。お互い時間を持て余しているのだ。帰りはケサブ君が三脚を持ってくれるというのでお願いして、ゆっくりと話をしながらロッジに戻る。
Phakding の街並み

「GR1s が水没!!」

ロッジに戻っても、まだ 14時前なので時間は腐るほどある。ロッジは道を挟んだ別棟にキッチンがあり道路脇にはイスとテーブルが置かれている。日も出ていてポカポカと気持ちがいいしまだ高度も低いので、瓶ビールを一つ頼んでケサブ君と太陽の下で「よろしくね」と乾杯。ちなみに、TRB は近くにあるローカルバッティに泊まるらしく、ロッジに着いて以降姿を見かけない。ビールを飲んでいい気分でウトウトしていると、足元ではロッジの猫が日向ぼっこをしてやっぱりウトウトしているので、写真に撮ったりして暇つぶし。キッチンの中はガイドやポーターがロッジの女将さんと話をしていてとてもにぎやかだ。ガイドやポーターはどこのロッジでもそのようにしてキッチンの中で話をしていることが多い。そこでは必ず火が炊かれているというのもあるのだが、ガイドなどはその顔の広さがものを言うというし、そうやって行く先々でコミュニケーションを密にしていくことが重要なのだろう。

3時半を過ぎた頃からかにわかに空が暗くなってきたかと思うと、あっという間に暗雲が立ち込めて風が吹き始めた。この時期、このクーンブ ヒマール (Khumbu Himal) 地方では、午後になると雲が出てきて強い風が吹くのだ、と Raghu さんの言っていたとおり。ケサブ君も、
「あぁ来た来た。」
と言って説明してくれる。まだ先の話だが、
「カラパタールに上がる日は Lobuche を早朝に出て午前中に到着できるかどうかが勝負になりそうだね。」
とケサブ君と話をする。

そうして夜までのんびりと過ごし、やっと晩飯の時間になる。「Fried Noodle w/Vegitable (野菜ヤキソバ)」を注文。隣のテーブルでは今日ナムチェバザールから下ってきたドイツ人の一行が、酒を飲んで大騒ぎをしている。彼らは 14時ごろから外のテーブルでビールを飲み始め、今までひたすら飲み続けている。さらに、ビール以外のロクシーという地元の焼酎やウィスキーなどありとあらゆるアルコール類を底なしに摂取していくのだが、その勢いは一向に衰える兆しはなく、ロッジの女将さんも巻き込んでますます盛り上がりを見せていく。つい最近、大勢のドイツ人一行にガイドとして同行し、ほぼ同じ状況を経験しているケサブ君はちょっと苦笑いしながら
「ドイツ人は本っ当に酒飲みなんだよねー。」

ここパクディンは水が豊富で、トイレに置かれた水洗用の桶には常に水が補給されていてとても清潔な感じがする。もちろんその桶に入っている水を手桶で汲んで便器に流す手動式水洗トイレなわけだが。外には常時水の流れている水場もあるので、そこで歯磨きをして顔を洗うことにする。ところが歯磨きを終わりメガネをはずして顔を洗い始めた瞬間、「ボトンッ」という音と共に胸のポケットに入れてあった RICOH GR1s が、水場の下においてあった満々と水を湛えた桶の中に落下。

「げーっ、まじかよ、トレッキング初日にして...。」
と思う間もなくすぐに拾い上げるが GR1s は別に防水カメラでもなんでもないフツウのコンパクトカメラだ。持っていたタオルでカメラを急いで拭いてみるが、既に内部回路がショートしているようで挙動はかなり異常。
「GR はフィルムを一旦すべて巻き込んで逆方向に巻き戻しながら撮影していく設計だから、今、裏蓋を空けても撮影済みフィルムは保護されるのでその点は安心なんだけど...。」
などと考えているそばから、何もしないのに自動的にフィルムの巻き戻しが始まった。恐らく水没のせいで回路がショートしてのことだとは思うが、まさか水没した場合には自動的に巻き戻しを行うというヒミツの機構が用意されていたのだとしたら、それは相当ものすごい設計者だと思ったりする。しかしながら、そんなことに感心している場合ではない。勝手にフィルムの巻き戻ったカメラの裏蓋を開け、フィルムを取り出すとカメラの中にはやや紫色の水が溜まっている。フィルムの幕面の色が落ちたらしい。液晶表示はもうめちゃくちゃなので、ショートで更なる故障を招く前に急いで電池を取り出す。ただの水なので、2、3日乾かせば動き出すとは思うが、レンズシャッターに浸水していないことを祈るのみである。シャッターが錆びたり水のせいでくっついたりしたら、どうにもならないだろう。外はもう暗いので、部屋に戻ってヘッドランプで照らしながら念入りに可能なところの水を拭き取り、裏蓋を開けたまま窓の近くに一晩置いて乾かすことにする。

今回持ってきた唯一の 35ミリ判カメラである GR1s 水没のショックに打ちひしがれながらも、寝る前にダイニングに下りてケサブ君に明日の起床時間と出発時間を確認する。明日は 7時半頃に出発とのこと。ちなみに部屋はツインの個室を一人で使わせてもらえるので有難い。なお、パクディンには電気が来ていて部屋の中には 30ワットぐらいの電球が一つついている。最初は暗いと思ったがこの明るさがとても有難いのだということが、この後、上に行くに従って実感される。標高 2,652m とは言え、さすがに夜は寒いのでベッドの上にシュラフカバーとシュラフを出してその中に潜り込む。階下のダイニングではまだドイツ人が大騒ぎをしていたが、今日は早起きだったためかウトウトしてしまい、22時頃に部屋の電気が点けっぱなしなのに気付いて消すまでそれこそ一瞬であった。 Namaste Lodge のツインルーム


inserted by FC2 system