ヒマラヤトレッキング日記
〜 カラパタール / EBC トレッキング編 〜


2004/4/2 (Fri)

晴れ、しかし強風

下痢でトイレ(2:00) → 起床(6:40) → 停滞決定(7:15) → ケサブ君が昼食をどうするか聞きに来る(11:00) → 昼食(11:40) → ワカ末、太田胃散服用(12:05) → 起きて軽食(15:00) → ストーブが点くのでダイニングに下りる(16:00) → 夕食(19:00) → 就寝(20:00) → 下痢でトイレ(21:30) → 下痢でトイレ(25:20)

「予備日を一日消費」

夜中の 2時に目が覚めてトイレに行く。結果は惨敗。そのまま朝まであまりよく眠れずに過ごす。6時40分に起きてキッチンに出向きブラックティーをお願いする。昨日と同様、出てくる前にまたトイレに駆け込むような状況。体調は一向に好転する様子がない。この状態で 4,930m のロブジェ (Lobuche) まで高度を上げるのは自殺行為のように思えるので、即座に今日の停滞を決定する。ケサブ君が起きてくるのを待って、彼に今日の停滞を告げ、そのまま部屋に戻り寝る。TRB には彼が伝えてくれるだろう。

夜中にあまり寝られなかったのもあり部屋で爆睡していると、11時ごろケサブ君が昼メシをどうするかの確認のため、部屋のドアをノックしてくる。顔を出して、
「12時ごろに下に行くよ。」
と答えて一旦横になるが、すぐに起きてベッドの上に散らばっている荷物を少し整理する。
「そうだそうだ、ザックの中に日本から持ってきたサンヨー食品のサッポロ一番塩ラーメン 5個パックが入っているのを思い出したぞ。」
と、ごそごそとラーメンを取り出す。今のところ殆ど食欲はないし、原因もいまだ判らないのだが、このまま朝メシも昼メシも食べないままこの勢いの下痢が続くとどんどん衰弱してしまうので、何か食べなければならないのだ。それに、日本のラーメンを作って食べるのであれば、まずは心配はないはずだ。キッチンに下りて、ケサブ君に持ってきたラーメンを作ってもらえるかどうかロッジの主人に聞いてもらう。

カヌーイストの野田知佑によく似た優しい顔つきのロッジの主人は、
「それなら自分で作ってもらってもいいんだよ。」
と快くキッチンを貸してくれる。鍋でお湯を沸かすのはラジウスの大型版といった感じの灯油を使うコンロである。ちなみに、パクディン (Phakding / 2,652m) より上はどこもそうだが、ロッジのキッチンでは圧力鍋とこのラジウスに似たコンロが多用されている。前出の、『ネパール』の著者、トニー・ハーゲンは 1974年時点で全人口の 97%を占める地方住民が料理用と暖房用に必要とする年間の薪の消費量を、一人当たり年間 650kg と試算している。これにさらに建材用の木材、一人当たり 230kg が加わるというのだから相当な量の森林が破壊されていたわけだ。それを少しでも減らすために、当時使われていたオープン型のかまどを熱損失の少ないクローズドの料理用コンロにすることを提案していたが、今回見たロッジについては、基本的には薪を使ったかまどが使われてはいるものの、それらはすべてクローズドの料理用コンロに置き換わっていて、さらにカレーなどの煮物や米を炊く場合にはラジウスと圧力鍋が使用され、エネルギーの効率化が少なからず実現されているようであった。さらにこれにソーラーパネルでの蓄電が加わり、電灯用の灯油も節約できるようになったはずなのだ。とはいえ、これは外国人ツーリスト相手に高収入の商売のできるロッジに特化した現象なのかもしれない。

ラーメンを食べながら、昨日の「すごいアメリカ人」と話をする。昨日の朝からどうも腹の調子が悪いという話をすると、
「チュクンでなにか悪いものを食べたんじゃないの?」
「いや、確かにチュクンでお昼を食べたけど、でも下痢は昨日の朝からだから、チュクンに行く前から調子は悪かったんだよねぇ...。」
「あ、そなの? じゃ、ここの食べ物だね。」
と、きっぱり。彼はまだ風邪の具合が良くないので、あと数日はここに泊まっていくようなことを言っていたが、この日の夜以降、姿を見かけなくなってしまった。ひょっとしたら下痢の話を聞いて逃げてしまったのかもしれない。

といって、ケサブ君は別段調子が悪そうでもないし、下痢をしているのは自分だけなので、依然として原因は判らないのだ。
「昨日食べた蒸かしイモにつけた唐辛子のソースか? でもさすがに唐辛子の中に細菌は生きられないのではないかとも思うし、それとも、ひょっとして、デウチェ (Deuche / 3,700m) のロッジで食べた朝ごはんの目玉焼きか何かかもしれない...。」
などあれこれ考えるのだが、まぁ結局のところ判らんのだ。相変わらず胃の調子も悪いようなので、果たしてこれは正しい用法かどうかも分からないのだが新ワカ末 A錠太田胃散を併用する。昼食後、タトパニ (お湯) を 500ml のテルモスに入れてもらう。どこのロッジでも、大抵お湯とチャーは常に魔法瓶に用意されていてすぐにもらうことができる。テルモスを持って再び部屋に戻り、シュラフに包まって横になる。

しかし、こういうところで体調を崩すとめちゃくちゃ弱気になるもので、
「このまま水分も栄養も吸収できなくて衰弱死していくんじゃないだろうか...。しかし、景色は素晴らしいとは言え、この埃っぽい大地に埋められるのもちょっと寂しいなぁ...。」
とか、
「あ、そういえば、1時間ほどの距離にあるペリチェ (Pheriche / 4,215m) には東京医大の診療所があるはず。そこまでヤクに乗せていってもらう手もあるなぁ...。」
などと考えてしまったりするのである。そんなことよりももっと現実的な悩みとして、今回、2ロール持ってきたトイレットペーパーが今回の下痢続きによって急速に消費されているのも気がかりだ。トイレに行くたびに残量の不安が増幅されていく。もっとも、この問題については、ロッジでトイレットペーパーを購入することができたので夜には解決したのだが。まぁ、今日で日本を出発してから 10日目、トレッキングに入って 7日目、と準備段階からの疲労がピークに達しているのかもしれない。せっかく予備日があるのだからここら辺で一度身体を休めたほうがいいのだろう。しかも、今日は一日中外では風が吹き荒れていて、まぁ強行に出発しなくて正解だったともいえる。

そんなことをあれこれ考えているうちにまた寝てしまい、次に起きたときは 15時。下痢は小康状態のようなので今のうちにカロリーを取ろうと思い、シュラフに入ったままチョコレートとドライフルーツを食べる。

16時、ストーブが点くのでダイニングに下りていくと、さっきキッチンを使わせてくれた野田知佑似のロッジの主人が心配そうに、
「お腹の具合は治りましたか?」
と聞いてくれる。
「うーん、まだ最悪でねぇ...。」
と答えてダイニングに入る。ケサブ君もちょうど部屋から下りて来たので、イスを並べてチョコレート (今回は板チョコ をあげる。アーモンドチョコレート程ではないが、こっちも気に入ってくれたよう。お昼にもらった 500ml のタトパニはあっという間に空になり、また新たに 500ml を頼む。それでも身体には水分が少しずつ吸収され始めているようで、飲んですぐ直滑降で出ていってしまうことはなくなってきた。結局、タトパニが一番身体に優しいのかもしれない。ところで、このタトパニはテルモスに入れて飲むのが一番だと思う。外国人のツーリストなどは、カトマンズで売っているポリタンクにタトパニをもらったりしているが、お湯であるがゆえに余計ポリエステルの匂いがつくのはもちろんのこと、基本的に水場から採ってきた水をただ沸かしただけのお湯はかなり茶色い色をしているので、それを目の当たりにしてしまうとちょっと飲む気がうせてしまう、ような気がする。こっちは内側の黒いテルモスのフタ兼カップ使って飲んでいるので、お湯の色なんかまったく気にならないのだ。

胃痛は若干残っているものの、お腹がゴロゴロ不気味な音を立てるのはなくなってきた。ケサブ君が夕食について尋ねてきたので、「Fried Noodles w/Cheese and Vegetables」を 19時に用意してもらうようにお願いし、一旦、部屋に戻る。しばらく横になっていると、調理が始まった音が聞こえてくる。キッチンは寝ている部屋のちょうど真下で、部屋の壁の中には煙突が通っているため、調理が始まると炒めている音やラジウスのゴーゴーいう音が聞こえてくる。ついでに壁がちょっとだけ暖かくなるので、多少の暖房効果もあるのだ。いくらなんでも、ケサブ君がそこまで見越して部屋を選んだということはなさそうだが有難いのだ。

19時前にダイニングに下りて晩メシ。一日動いていないので殆ど食欲もなく、胃腸に極度な負担をかけないように半分ぐらい食べて終わりにする。このまま回復することを願いつつ、食後に再び新ワカ末 A錠太田胃散を併用して飲む。さらに、藁にもすがる気持ちで梅干も食べておく。歯磨きをして 20時に部屋に戻り、あとは寝るだけ。何としても明日はロブジェまで登りたいところだが、580m の高度差があるのでやはり万全の体調で望みたいのだが...。

という思いは見事に打ち砕かれ、21時半、25時20分と 2回トイレに行くも状況は相変わらず下の下。「あーぁ」と思いながら寝るしかないのだ。


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