ヒマラヤトレッキング日記
〜 カラパタール / EBC トレッキング編 〜


2004/4/3 (Sat)

夜半雪(積雪 3cm)、のち快晴、のち曇りと強風

起床(6:30) → 朝食(7:00) → Dingboche (4,350m) / Mountain Paradise Lodge 発(7:45) → Dingboche の上の 4,412m の峠でたて(7:55〜8:10) → たて at 4,550m (8:40〜9:05) → Tukla (4,620m) / Yak Lodge and Restaurant 着 for 昼食(9:50) → Tukla 発(10:40) → たて at 4,700m(10:50〜10:54) → たて (11:03〜11:08) → たて at 4,825m (11:18〜11:28) → たて at モレーンの上の慰霊碑のあたり (11:35〜11:55) → たて at 4,925m (12:20〜12:25)/ 摂氏 6度 → Lobuche (4,930m) / Above the Clouds Lodge 着(12:40) → Above the Clouds Lodge 発(14:30) → サイドモレーン上 (5,125m) 着(14:50) → Above the Clouds Lodge 戻り(15:45) → 夕食(19:00) → 就寝(20:30)

(Dingboche 〜 Lobuche 歩程: 4時間55分

「ようやく回復?」

6時半に起きる。すぐにトイレに行くが相変わらず状況は下の下。落胆しつつ、それでも今日はどうしても移動したいと思う。ひょっとしたら料理に使用されている油が身体に合わないのかもしれない。どれかのガイドに「料理用の油は持参したほうが無難」といったことが書かれていたのを昨日の夜中に思い出したのだ。そういえば、昨日の夜は油でこってり炒めた、「Fried Noodle」を食べてしまった。朝食には絶対に油が使われないはずのトーストを頼む。幸いにもロッジの娘が新しいジャムの瓶を開けてくれたので、ここでもちょっとだけ安心する。ケサブ君には、今日も今のところ調子は悪いがとにかく出発する旨を伝え、TRB も部屋までザックを取りに来てくれて出発準備にかかる。

「念のため」と思い出発直前に再度トイレに行く。状況は中の下ぐらい、少しだけ回復の兆しが見られたことで、この勢いで一気に行ってしまおうという気合が入る。昨日は昼間から風が強く荒れた天気だったが、夜半にはさらに雪が降ったようであたりの積雪は 2〜3cm ぐらい。トイレットペーパー代、スプライト代、タトパニ (お湯) 代などを支払って出発。ロッジのすぐ裏からペリチェ (Pheriche / 4,215m)の上を通るルートに取り付く。10分程登っていくと、ディンボチェ (Dingboche / 4,350m) まで登ってきた日に見えた、白いチョルテンの建つ峠に着く。雪の中でまるで雪だるまのように見えてしまうチョルテンの反対側には、クーンブ氷河方面への展望が一気に開ける。左手にはタウォツェ (Tawetse / 6,501m) とチョラツェ (Cholatse / 6,440m) が聳え立ち、眼下にはペリチェの村が、しかも昨日の積雪であたりは一面の雪景色、とあまりの絶景に思わず体調不良のことなど吹っ飛んでしまう。
雪だるまに見えてしまうのだ

Tawetse と Cholatse ここぞとばかりに三脚を立て、 PENTAX 67II を出して写真を撮っていると、フランスから来た夫妻がやってきて二言三言言葉を交わす。この夫妻とは今日一日行程をご一緒することになる。

ルート上の積雪はディンボチェよりも若干多め。雪の白と岩の黒、空の青のコントラストが美しいルートはトゥクラ (Tukla / 4,620m) の手前まで緩やかな上り坂。道はトゥクラの直前でペリチェからの道と合流。川のレベルまで一旦下った後にすぐに登り返して、トゥクラの Yak Lodge and Restaurant に到着する。ディンボチェを出発してから約 2時間のこの行程のうち、雪だるまチョルテンの峠からトゥクラまでの間は特に目立った登りもなく、また下痢による緊急停止もなく、さらに景色も最高に美しいという、昨日までの体調不良から一転して今回のトレッキングの中でも最も快適な 2時間となったのだ。一方、ケサブ君は、本人は何も言わないが調子があまりよくないように見える。まぁ、本人が何も言わないのでこちらからも敢えて聞くことはせず。

実はここから先が今日の正念場、というよりもトレッキング後半最大の正念場とでも言おうか、ここトゥクラからクーンブ氷河のモレーンを標高差約 250m も急登しなければならない。というわけなので、トゥクラで昼メシを食ってエネルギーの補給ということになる。具は何も入っていないが、一番お腹に優しそうで安全そうな「Rana Soup Noodles」、つまり塩ラーメンを注文する。一昨日からの下痢で体内の水分は極端に枯渇しているため、さらにブラックティーを二杯分の水分も体内に補給。ロッジの前のテラスではロッジの主人が無線機で交信をしようとしているが、電波の状況が悪いらしくつながらない。足元ではロッジのイヌ、かどうか分からないが、イヌがのんびりと日向ぼっこをしている。テラスでゆっくりと食事をし、食後にトイレに行ってみるが今回は何も出ず。ひょっとしたら本当に回復してきたのかもしれない。

慰霊碑と Ama Dablam トイレから出てくると TRB は既に出発した様子。ガイドブックによれば、今日の目的地であるロブジェ (Lobuche / 4,930m) には 7軒のロッジがあるとのことだが、ケサブ君曰く、「良いロッジが非常に少なく、またそのうちの一軒はめちゃくちゃ値段が高い」そうなので、TRB にはロッジ確保のため先に行ってもらったわけである。これによって自動的に三脚も先に行ってしまった。

程なく残った二名も出発する。下から見ると嫌になるような急登だが、登り始めるとやっぱり嫌になるほどの急登なのだ。ペースはこれでもか、という程遅く、ケサブ君の体調が良くなさそうなのもあって、殆ど 10分に 1たてペースである。朝会ったフランス人の夫妻とひーひー言いながら抜きつ抜かれつ、アーモンドチョコレートとアメで自分とケサブ君を励ましつつ、のろのろと登っていく。なんといっても高度は既に 4,700m を超えているのだ。3回のたてをはさんで、1時間弱でようやく遭難慰霊碑の立ち並ぶモレーン上に出る。昔は 7基だったという慰霊碑も今や 20基程も建っている。三脚が先に行ってしまっているので、結構苦労しながら手持ちの PENTAX 67IIFUJI GS645S で交互に慰霊碑の写真などを撮り、ザックを置いたところまで戻る。
慰霊碑と Cholatse

Ama Dablam に見守られ最高に贅沢な昼寝 ふと見ると、さっきトゥクラで昼寝をしていたイヌがここまで上がってきていて、アマダブラム (Ama Dablam / 6,812m) の良く見えるこの峠の上で気持ちよさそうに昼寝をしている。4,800m を超えるこんな景色のいいところで昼寝を貪るとは、なんとも贅沢なお犬様なのだ。それか、ひょっとしたら慰霊碑の番をしに毎日出勤してきているのかもしれない。

20分程写真を撮ったりして休み、さらに進んでモレーンの最上部に出ると前方にロブジェピーク (Lobuche East / 6,119m) とプモリ (Pumo Ri / 7,161m) が姿を現す。ケサブ君がプモリの方向を指差して、
「あれがプモリで、その下の黒い丘のところがカラパタールだよ。」
と教えてくれる。
そこから約 45分、比較的平坦なアブレーションバレー (Ablation Valley / 氷河側谷: サイドモレーンと山の斜面との間にできる谷) の中をヤクの隊列の後ろからゆっくりと進み、ロブジェ氷河のモレーンと、クーンブ氷河のサイドモレーンにはさまれたロブジェに到着する。ところがなんとここでもケサブ君のお目当てのロッジは満室。そのすぐ隣の Above the Clouds Lodge に宿泊することにする。

部屋に荷物を入れ、ダイニングでお茶を飲んで寛ぐ。天窓から日の入るダイニングはとても明るく暖かい。壁には 7時で止まったままの壁掛け時計が架かっていて、よくよく見てみるとなんと文字盤にはドラえもんのキャラクターがデザインされている。ヒマラヤのこんな山奥で日本のもの、しかもドラえもんに再会するというのは、何だかちょっと力が抜けてしまうのだ。

ロッジの女将さんが、衛星電話を借りにきたドイツ人のお客と話をしている。驚いたことに衛星電話は携帯電話をちょっと大きくしたぐらいのハンディタイプなのだ。そのドイツ人は、
「自分の腕時計で通話時間を計って支払いをしたいのだ」
と言っている。一方、ロッジの女将さんは、
「この衛星電話にはそもそも通話時間が表示されるのだからこっちを使いなさいよ。」
というようなやり取りをしているように見える。それにしても、このトレッキングルート上のロッジの主人たちは、驚くほどマルチリンガルである。各国の遠征隊が毎年やってくるという環境ゆえにそうならざるを得ないのだろうが、英語、フランス語、ドイツ語、は基本的に話せるし、ロシア語や日本語などは単語レベルでの会話がたいていできてしまうようなのだ。
Lobuche は Lobuche 氷河のモレーンと Khumbu 氷河のサイドモレーンにはさまれている

しばらく休んだ後、14時半頃にロッジを出て辺りの写真を撮って歩く。ロッジの前に戻り、ちょうど中から出てきたケサブ君に聞くと、小川の向こうのテント場を抜けて、その先のサイドモレーンを登ると向こう側には氷河湖が見えるとのこと。
「うーむ、あれを登るのに何分かかるんだろうか...。しかもカメラ一式と三脚を自分で担いでいくのは辛いなぁ...。」
と考えていると、心優しいケサブ君は、
「荷物を担いでついていってあげようか?」
と聞いてくれる。そういえば、Himalayan Activities での打ち合わせで、Raghu さんがケサブ君に写真撮影が今回のトレッキングの中で重要な位置を占めるということを説明していたときに、Raghu さんは、
「たとえ早朝だろうが夜中だろうが、ミヤケサンが写真を撮りに行くときには絶対に起きてついていくように。」
と念を押してくれていたっけ。しかし、今日のケサブ君はちょっと調子が悪そうなのを見ていたので、
「大丈夫。一人で行って来られると思うよ!!」
と大見得を切って出かけたのであった。

「さらに二つの日本に遭遇」

切った大見得とは裏腹に、そのサイドモレーンへの登りはものすごくきつく、しかも普段は TRB が持ってくれている三脚まで背中に背負っているものだから、30歩歩いては休んで、というのを繰り返しながら 20分をかけてサイドモレーンの上に登りつく。大きなケルンのようにも見える小さなチョルテンのある、モレーン上のピークまで行って高度計を見ると、5,125m と表示されている。いつの間にか 5,000m を超えていたのだ。ありがたいことに、今のところ高度障害などの兆候は見られない。

Khumbu 氷河と Khumbutse その地点からはクーンブ氷河を見渡せるが、既に 15時近いため、風で埃が舞っていて空気が霞んでしまっている。またプモリの方向にもアマダブラムの方向にも雲が出てしまっていてせっかく登ってきたのに、残念ながら写真向きの風景ではない。それでも三脚を立てて何枚か写真を撮っていると、ドイツ人が数人登ってきた。その中に一人だけ英語が話せるおじさんがいて、ドイツの人だからか、カメラに興味があるらしく話しかけてきた。三脚に乗っている PENTAX 67II についてフィルムのフォーマットや機材の重さ、持ってきているレンズなどについてあれこれと話をする。さらに、こっちは日本から来てこれらの機材は三脚以外は基本的に自分で担いで登ってきたのだと言うと、
「それはすごい。とても感動したよ。ところで、ここにももう一つ日本から来てるものがあるよ。」
と言って、Nikon F100 を見せてくれた。
「なんでドイツ人なのにライカは使わないの?」
と聞こうかと思ったけどやめておいた。

15時45分頃にロッジに戻り、トイレに行ってみるが昼と同様なにも出ず。いよいよ本格的に治ってきた気がする。ちなみに、ディンボチェからチュクン (Chhukung / 4,730m) に行った日もそうだったが、今日は大事をとって朝からズボンの上にゴアテックスの雨具のパンツを履いて行動している。さすがにズボン一枚では寒い標高になってきたということなのだが、その介あってか、お腹は冷えることなく保護されてきたようだ。精神的にも元気が出てきたので、二日ぶりに顔でも洗おうかと思い、キッチンを覗いて「顔を洗いたいのだが」というと、TRB がさっと出てきてお湯を汲むのを手伝ってくれる。さらに石鹸で顔を洗っているときも、あれこれと手助けをしてくれる。人間、言葉は通じなくても意思は通じるものなのだ。

顔も洗ってすっきりした気分でダイニングに戻り、地図とガイドブックのコピーを眺めていると、すぐ後ろから、
「日本の方ですよね?」
という声が聞こえてくる。このトレッキングで同じロッジに泊まる日本人と会ったのはこれが初めてだ。彼は青森県八戸市出身の O 氏。もちろん初対面で彼の方が 8歳ぐらい若いのだが、色々と話をするとこれが結構考え方や趣味の方向性など、自分とよく似ているのでびっくりする。すっかり意気投合し、結局、晩メシが終わるまであれやこれやと話をしっぱなし。そういえばトレッキングに入ってから、こんなに長時間人と話をし続けることもなかった。

明日は何としても空気が澄んでいて風がまだ吹きはじめない午前中の早い時間にカラパタール (Kala Pattar / 5,545m) に到達しなければならない。ケサブ君と相談して出発は 6時半ということにして、20時半には部屋に戻ってシュラフに潜り込む。標高が高いため外は相当寒いのだが、このロッジは斜面に建てられていて、個室の反対側はうまい具合にちょうど斜面に埋もれている形になっているためか、もちろんダウンを着込んでゴアのパンツも履いた状態でシュラフに入っているのだが、部屋の中ではあまり寒さは感じない。あっという間に寝てしまう。


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