雪渓と脱水地獄の記録
(針ノ木岳: 1998/7/17 - 1998/7/20)


この文章は大学時代のサークルの ML 宛てに 1998年 7月 28日に送付したものに、加筆、修正、写真の追加を行って掲載したものです。

1998/7/19: 針ノ木小屋テント場 〜 新越乗越山荘

針ノ木小屋テント場(5:10)→ 針ノ木岳山頂(7:10)→ スバリ岳山頂(8:18)→ 赤沢岳山頂(10:40)→ 鳴沢岳山頂(11:55)→ 新越乗越山荘(13:28)
(歩程 8:18)

昨日からの下痢で安眠できぬまま 3:30 にセットしておいたアラームが鳴ってしまった。
「こんな体調のまま縦走に入って果たして大丈夫だろうか。」
という思いが頭をめぐり、なかなかシュラフから出られない。そうこうしているうちに 4:00 を回って急速に辺りが騒がしくなってきた。意を決してシュラフから出てテントの入り口を開けると、その瞬間にそんな停滞気分は一気に吹っ飛んでしまった。超ド快晴だったのである。

朝メシを食い、沸かした紅茶をビクビクしながら飲む。昨日よりは体調は良いようだが、出発の準備にかかる前に念のためと思いトイレに向かう。結果は惨敗。再び限りなく“ミズ”に近い状態だった。絶望感に浸りながらも、便意が襲ってくるまでの間隔が昨日よりは確実に長くなっているということを唯一の心の拠り所とすることにした。
「昨日から飲み食いしたものはほぼすべて体外に出てしまった。さっき食った朝メシが最下部に到達するまでには数時間の猶予があるはずだから、それまでに新越乗越山荘に到達してしまえば良いではないか。」
という綿密な計算に基づき、
「まぁいいや。いざというときはハイ松の中で何とかするべ。」
と半ばあきらめつつ出発の準備に取り掛かった。準備の合間にカメラを三脚にセットし朝日に焼けた稜線を数カット写真に収める。しかし、当然のことながら気合の入った写真など撮れるわけはなかった。相変わらずホカロンは腹の部分に入ったままだ。

そんなこんなで、他のテント行パーティに若干遅れを取りながら、5:00過ぎにテン場を後にする。朝イチの一本目は一番キツイところへもってきて、行ったことのある方はご存知の通り、針ノ木岳への道はテン場からいきなりの急登で始まる。考えてみれば、昨日の朝からとった水分はほとんど吸収されること無く出てしまっている。案の定、すぐに口の中はカラカラに乾ききり、ものすごい脱水感が襲ってきた。

針ノ木岳山頂から裏銀座方面 既に日が昇っているのと、腹にホカロンが入っているのと、脱水しているのと、途中で三脚を立てて写真を撮っていたのとで、この登りにコースタイム上 1時間のところを 2時間もかけてしまった。それでも何とか緊急停止することもなく、針ノ木山頂に到達することができた。ここへ来てやっと黒部湖と立山連邦の全容が見渡せるようになり、360度の一大パノラマが開ける。大町方面はすっかり雲海の下に隠れている。それと同時に今日の行程のすべてが手に取るように見えてしまい、その起伏の多さを見るに
「うーむ、この体調で無事に着けるのだろうか...」
という不安が再び心をよぎる。

25分間の休憩の間に写真をまた数カット撮る。出発前に水を飲みたいのだが、昨日のことがトラウマになってしまい生水を飲む気がしない。それでも、脱水症状で熱射病になるわけにもいかないので、一口だけ口に含み、十分に暖めてから静かに飲み込む。ものすごい緊張感である。

7:35 に山頂発。一気に最低鞍部まで 150M ほど下りすぐさまスバリ岳に登り返す。針ノ木の山頂から 45分程でスバリ岳の山頂に到着するが、この時点で既に今朝食べた朝メシのカロリーは燃焼し尽くされてしまったようだ。しかし、相変わらずの脱水状態でチョコレートすら喉を通らない。また緊張しながらゆっくりと水を飲み、針ノ木方面の稜線を写真に撮った後に、仕方が無いのでレモン味のアメ玉を口の中に放り込んで出発。

次の関門は赤沢岳である。スバリ岳の上から見ると一旦 250M 程下り、その後標高差 150M の長いだらだらとした登りが続いている。これまた一気に最低の鞍部まで下って、そこからはポコポコと小さいピークが並んでいる。脱水症状と重いザックの身にはこれが結構につらい。稜線がやせた個所では針ノ気雪渓側から涼しい風が吹きあがってくるので、そういうところを見つけては 1分ずつぐらい立ったまま呼吸を整える。稜線上からみた針ノ木雪渓には針ノ木峠に向う人の列が連なっているが、針ノ木峠方面は既にガスに覆われはじめていて、
「今から登っても、連中は槍ヶ岳は見られないだろうなぁ。」
などと哀れみつつ、赤沢岳の最後の登りの前の鞍部でたてる。シャリバテを避けるために燃料を補給しようにも、相変わらずパンのような乾いた食べ物はのどを通らない。仕方がないので蜂蜜をチューブから口の中に直接垂らし、水といっしょに流し込む。
スバリ岳から針ノ木岳

そのころから雪渓側からのガスが途切れることなく上がってくるようになり、ピークは見えなくなっていった。何度か擬似峰にだまされながら、一時間強の時間をかけて、どうにかこうにか赤沢岳山頂に到達する。ガスのため展望ゼロ。このころになると、極度に脱水しているのと、もうどうにでもなれという気持ちで水も飲めるようになってきていた。山頂はガスが出ているため結構冷たい風が強く吹いているが、脱水症状でオーバー ヒートしている身にはちょうど良い。たちまち、ウトウトと気を失ってしまった。約 20分後にたまたま目が覚め、
「あ、イカンイカン。」
とやおら立ち上がりザックを背負って出発。

ちょうど一時間で鳴沢岳に到着する。体調最悪の超低速歩行のため、途中でいくつものパーティに先を越されてしまった。途中追い越された初老の夫婦に山頂で再開。今日は種池山荘まで行くのだそうだ。種池山荘にはテン場があるので、こっちもそこまで行きたいところだが、とてもそのような気力はないし、いつまた下痢が襲ってくるかも知れず、すぐさま新越乗越山荘での宿泊を決意する。脱水症状を解消するために紅茶を沸かす。が、
「あ、こぼれた...」、
大ショック。
「ま、いいや。あとは新越乗越の小屋まで下るだけだからな。」
と思い沸かしなおし。紅茶で無理やりパンとチーズを胃の中に流し込み、30分以上ゆっくりするが、後ろから別のパーティはやってこない。小屋泊まりの連中はだいたい種池を目指しているから、大方抜かれてしまったのだろうか。

それでも、扇沢から種池経由で入る逆コースを取るパーティは、翌日の行程を短縮するために新越乗越小屋まで入ってしまうことが多いので、あまりモタモタしているわけにもいかない。13:00 に山頂を出る。約 30分のなだらかな下りを経てようやく新越乗越小屋に到着する。途中、高山植物の大群落があったがガスが濃いのと風が強いので写真はあきらめて目に焼き付ける。というよりは、ザックをおろして三脚を立てるのが既に面倒というのが本音である。

新越乗越山荘は今年の 7月に新装オープンしたばかりのピカピカの小屋であった。素泊まり 5,500円。受付をするとすぐに二階の部屋に案内された。7、8畳の部屋に 12人分の枕が用意されていてちょっとウンザリしてしまう。部屋の奥の壁際には男が一人熟睡していて、そのちょうど反対側の壁を指定される。といって、すぐさまその部屋でその男と二人きりになるのも妙な気分なので、廊下にザックを置いてビールを飲みに一階に下りた。一階のラウンジにはストーブがたかれていて、10人ぐらいの人が 4つぐらいのグループに分かれて談笑していた。今到着したばかりの汗だくの人間には、ちょっとその蒸っとした部屋の温度は辛かったが、置いてある写真集などを見ながらゆっくりとビールを飲んだ。相変わらずの脱水状態で、ビールは飲んだそばから体内に吸収されていくのがわかった。

ビールも飲み終わったので、ぶらぶら小屋の周りの写真でもとるかな、と思いカメラを取りに二階に戻ると、なんとさっきまでガラガラだった廊下に大量のオバさんが充満してお店を広げている。自分のザックにたどり着くことすらできず、仕方がないから部屋に入ろうとするとカギが閉まっている。すると、後ろから
「あら、いま着替え中なんですよ。ゴメンナサイねぇー。」
という声がした。
「はぁ...」
といったところでドアがガチャっと開き、オバさん 2号が現れた。
「あぁー、さっぱりした。」
などと言っている。やっとのことで部屋に入ると、そこにはさっきの男がまだフトンをかぶって寝ていた。気がついていたのかいないのか、さぞかし恐ろしい思いをしたことだろう。

その日その部屋に泊まったのは 5人。素泊まり 3人が最初に入ったが、後からメシ付きが 2人加わった。小屋側は最初この部屋を素泊まり客だけにしようと考えていたようだが、あまりの素泊まりの少なさに急遽方針を変更したらしい。なぜなら、その他の部屋はすべて満員状態だったからである。同室のメンバーの一人は、さっきから寝ていた 40ぐらいの男性で某区役所山岳会の代表。ブナ立から二人のパーティで入り、途中、南沢岳と北葛岳に二回シカ張り(本人はヤミテンと呼んでいたが)をして、今日針ノ木で相棒にテントを渡して一人だけこっちに向かって来たという。もう一人は松本に勤めているという 20代の若者で、子供のころから眺めていた常念に登ることをずっと夢見ていたが、山登りをする友人にめぐり合えず、社会人になったのを機に松本市内の山岳会に入ったという。今回はソロだそうだ。何にでもすごい感動を示す。素泊まり組みはオレをいれたこの 3人。残りはちょっとうるさいカメラ オヤジと、百名山とキリマンジャロはもう登ったという定年前のオッサンだった。オッサンは今は日本の標高トップ 10を狙っているそうだ。百名山の攻略法など、興味深い話が聞けた。たまには小屋泊まりもオモシロイかもしれない。

自炊部屋は小屋の玄関脇の乾燥室の手前の暗い部屋だった。そこでぼそぼそとメシを食うというのもイマイチ気がめいりそうなので小屋の外のベンチで食事を作る。残りの二人は中で食っていた。その後、天気予報を見て部屋に戻り、同室の面々から上記の情報を収集して 8時 10分に消灯。下痢は止まったようだ。でも、脱水症のためか、朝から一度も小便はしていない。


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