雪渓と脱水地獄の記録
(針ノ木岳: 1998/7/17 - 1998/7/20)


この文章は大学時代のサークルの ML 宛てに 1998年 8月 10日に送付したものに、加筆、修正、写真の追加を行って掲載したものです。

1998/7/20: 新越乗越山荘 〜 扇沢駐車場 〜 自宅

新越乗越山荘(4:45)→ 岩小屋沢岳(5:30)→ 種池山荘(6:38)→ 柏原新道登山口(9:10)→ 扇沢駐車場(9:35)→ 自宅(八王子市)(14:05)
(歩程 4:50)

懐中電灯の明かりで目が覚めた。某区役所山岳会代表がちょうど出て行くところだった。時計を見ると 3時45分だ。今日はテントを撤収する必要がないので自分の時計のアラームは 4時にセットしてあったが、なんとなく出遅れてしまうのが嫌で、しかしすぐに出て行くのもなんとなく気が引けるので 5分だけ待ってから起きあがった。ヘッドライトを手で覆って寝ている人たちの間をそおっと通って部屋から出た。廊下では 3、4人の人がヘッドライトをつけてザックをゴソゴソやっていた。廊下の一番奥になってしまっていた自分の大ザックを苦労して引っ張り出し、それを背負って 1F の素泊まり用の炊事場に入っていくと、区役所のオトコがちょうどメシを食い始めるところだった。すぐ脇の玄関からは、既に出発していく人たちが結構いる。

小屋泊まりでこんなに早く出るなんて、一体どこまで行こうと考えているのだろうか。相変わらずの脱水感から、結構な分量の水を取りながら朝メシを食った。片づけをしているところにもう一人の松本出身素泊まり青年がやってきた。
「小屋泊の二人はすごいイビキでしたねぇ...」
などと話しながら準備をし、それぞれの名前など名乗った後に
「また、どこかで会えたら良いですねぇ」
というような会話を交わして区役所がまず出発。水を 1.5L 購入し、こっちも
「ではお先に。すぐ抜かれちゃうと思いますけど。」
と素泊まり青年に言い残して 4時45分に出発する。ちなみに昨日の朝から一度もトイレには行っていないが、行く必要性はまったく感じなかった。

外はものすごいガスでほとんど霧雨のような天候で風も吹いている。小屋から岩小屋沢岳までは約一時間の一直線な登りなので、この天気は涼しくてかえって都合が良い。歩き始めると朝露が激しく、すぐにズボンの膝から下がびしょ濡れになってしまった。スパッツを持って来れば良かったなと後悔しながら、やや急なひと登りで稜線に出る。稜線に出てしまえば、あとはひたすら頂上までだらだらと登る尾根道だが、霧がメガネのレンズについて拭いても拭いてもすぐに曇ってしまう。ほとんど前が見えない上、帽子の鍔からは水滴となったガスが滴り落ちてくる。ワイパーが欲しい。

岩小屋沢岳の頂上の手前にはちょっと小さ目のピークがひとつある。昨日の夕方、ガスが一瞬晴れた時に部屋の窓からこのピークが見えてちょっと憂鬱になってしまった。幸いにもルートはこのピークを巻いて登っていて有難かったが、その巻き道はつい最近大規模に整備されたようで、ルートの脇には切り落とされたハイ松が散乱していた。少々複雑な気分である。

小屋を出てから 45分ほどで山頂に到着。区役所は休憩せずに先に進んだようで頂上には誰もいなかった。頂上でほんの少し休憩をする。今日は昨日と比較して格段に調子が良い。コースタイム×75% といういつものペースに戻っている。
「昨日の縦走のときにこのパワーがあれば、もうちょっとましな写真が撮れたのになぁ...」
とまともに写真が撮れなかったのを体調のせいにしつつザックからカメラを取り出すと、
「あれ?」
絞りが閉じている。
「がーん、ミラー アップされたままだったか...。」
とりあえずシャッターは切れたのでミラー アップは解除されたが、露出計の針はピクリとも動かない。さっき荷物を詰めたときにミラー アップのスイッチに触れてしまったらしい。前回、写真を撮った後に無意識にシャッターをチャージしてしまったことを深く反省する。予備のバッテリーを引っ張り出すのが億劫なのと、ガスっていてかなり湿っぽいのとでまたもや写真は断念。いずれにしても展望はゼロだ。

そろそろ出発というところに、素泊まり青年が追いついてきた。証拠写真を撮るというので、彼の「写るんです」でパチリと一枚とってあげ、 「どうせすぐに追い越されるだろうな」
と思いながらも、先を行く区役所と後ろから来る青年の間にはさまれて、なんとなくペースが上がってしまった。一方こっちのザックは、霧雨を吸えるだけ吸ってまた一段と重くなっている。そういえばここ何年も防水スプレーなどかけていない。またもや反省。

歩き始めるとすぐにいくつかのパーティとすれ違った。休みの残りは今日一日しかないし、こんな天候の中で針ノ木を目指していくのも気の毒なものだと思うが、この時間にここにいるということは今日中に針ノ木雪渓を下るつもりなのだろう。しばらく起伏の少ない尾根道をゆるゆると下っていくと、
「最近この付近でクマに襲われた人がいます。注意してください。」
というカンバンがいきなり木からぶら下がっていた。
「...と言われても何を注意すればよいのだ? 」 でもまぁ、朝から何人も人が通っているのだからいくらなんでも大丈夫だよなぁ。」
と思って歩いていくと、ナルホド登山道はちょっとうっそうとした林の中の水場っぽい所を進んでいく。思わず地面をよく見てクマの足跡はないか探してしまった。50M も進むと、反対側から来る人用に同じカンバンがぶら下げてあって、
「なんだ、たったこれだけか...」といきなり気が大きくなる。

その後もなだらかな道が続いた。途中
「これが種池か?」
と一瞬思われるような 2万5千分の1 の地図上には載っていない小さな水溜りがあった。その周りには柵が設置され、
「ここはキャンプ指定地ではない。キャンプは小屋の手前でせよ。」
というような内容のカンバンが立っていた。そういうことを書かれると、ますます種池のような気がしてくるデハナイカ。それでも、種池小屋の手前には約 50M の登りがあるはずで... と思っていたら、ドォーンと登り坂が見えてきた。それを登り、本モノのキャンプ指定地の脇を通り種池小屋に到着。岩小屋沢岳から 1時間 8分。ナント信じられないくらいぴったりコースタイム 90分の75%掛けの値である。

種池小屋前の広場はさすがに人が多かった。小屋の前でザックをおろし、水をカップに入れて飲んでいるところに素泊まり青年が登場。そういえば抜かれることなくとりあえずメンツを保ったが、オレが種池に着いたとき既に区役所は扇沢に下った後だったようだ。
「まぁ競争してるわけじゃないからイイけど、ヤツはヤツで針ノ木から下ってくる相棒と競争してるのかもしれないなぁ...」
などとイミもないことを考えてぼーっとしていると、そこへ百名山のオッサンが現れた。小屋メシを食っていたにしてはやけに速い。さすが百名山恐るべしである。青年とオッサンの二人は小屋に入って何か温かいものを飲んでいるようだが、こっちはそもそも人がいっぱいいるのが鬱陶しいので、小雨にも関らず小屋の前でしばし休憩。それなのにせっかくそうしているのに、小屋から出てくるヤツ出てくるヤツ、みんなが小屋の前で記念写真を撮るのでシャッターを押してくれと言ってくる。7組目ぐらいでイイカゲン面倒になって出発することにした。素泊まり青年は爺が岳を超えて大冷沢を下るというのでそこで別れの挨拶をする。簗場の駅から自宅まで 900円ぐらいで帰れると言うのだから、なんともうらやましい限りである。

あとはただひたすら扇沢に下るだけ。トコトコと下っていると、百名山のオッサンがものすごい勢いで追い抜いていった。やはり百名山侮るべからずである。2時間強の時間をかけて柏原新道登山口に到着。数台のタクシーが客待ちをしているのを尻目に、汗だくの身体を冷ますためしばし休憩。ここから扇沢の駐車場まで、まだ最後の車道登りが残っている。トンネルの中を黒煙を吐きながら登るバスに辟易しながら、対向斜線をゆっくりと歩き、排気ガス地獄の 15分をかけて何とか駐車場にたどり着いた。いつものことだが駐車場に自分のクルマを見つけると、
「よしよし。よくじっとそこで待っていたな。エライエライ。」
という気になる。クルマの中に置いてあった十六茶を片手にノロノロと着替えをし、10時前に駐車場を出発。クルマに乗ってしまえば他人に煩わされることもないし、汚れていて臭くても他人に気を使う必要もなく、好きな音楽など聴きながらすっかり自宅気分でくつろぎつつ帰れるのがクルマで来る山行のいいところである。そうして順調に豊科インターから長野道に入り、中央道でも中野トンネル以外の大した渋滞にも会わず、午後 2時過ぎ、真夏の午後真っ盛りの八王子の自宅に到着したのであった。


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