ヒマラヤトレッキング日記
〜 帰国編 〜


2004/4/16 (Fri)

起床(3:10) → モーニングコール(3:30) → Comfort Suite Airport Hotel 発(4:00) → BANGKOK Don Muang 空港着(4:10) → チェックイン完了(4:30) → ラウンジ着(4:50) → Boading 開始(5:30) → 成田空港着(13:30) → リムジンバス チケット購入(14:00) → 成田空港発(15:10) → 多摩センター駅着(17:30) → 自宅着(17:45)

「体調最悪の帰国」

3時10分過ぎに腹痛で目が覚める。すぐにトイレに行くがかなりの下痢。昨日も朝は下痢だったがその後は特になんとも無かったので、またしてもクーラーで冷やしてしまっただけだろうと思い、すぐに支度を始める。3時半にフロントからモーニングコールが入る。最近よくある自動メッセージではなく、ちゃんとフロントデスクの人がかけてくれるモーニングコールである。やっぱりこっちの方が有り難味があって良いのだ。

昨日の晩既にパッキングを済ませてしまっているので、顔を洗って歯磨きをして荷物を引いてチェックアウトするのみだ。4時にホテルの用意してくれたバスで空港に向かう。たまたま乗り合わせた日本人の男性と話をすると、彼は国際協力機構 (JAICA) で働いていて、一昨日まで一時帰国していた日本から、今日、赴任地のブータン (Bhutan) に戻るところだと言う。こっちはヒマラヤでトレッキングをしてカトマンズから日本に戻る途中なのだと話すと、
「羨ましいですねぇ。カトマンズは栄えてますからねぇ...。ブータンは何も無いところで。ネパールとはすぐ近くなのに、ブータンからネパールには入国できないんですよねぇ...。」
と語った。イラクでの人質事件は JAICA でも大騒ぎで、昨日までは相当忙しかったとのこと。
「お気をつけて。」
と言いあってバスを降りて別れる。色んなところで働いている人がいる。

ノースウェスト航空のチェックインカウンターは比較的空いていたが、やはり荷物の重量オーバーを指摘されて三脚、ストック、カートをすべて機内持込にする。カトマンズで買った T シャツがそんなに重くなるはずは無いのだし、日本から持っていった装備は確実に減っているはずにもかかわらず、ここでも再び指摘されるのだからそもそも多すぎたのかもしれない。ついでに機内持ち込みの手荷物の荷物点数についても指摘されるが、カメラバックと一緒にカートに縛り付けるのだから、背負っているデイバックとあわせて二点になるはずだと強力に主張して押し通す。こんなところで荷物の重量超過料金を取られてはたまらないのだ。なんとか無事にボーディングパスをゲット。ビジネスクラスなのでラウンジのチケットももらってチェックインを終了。

空港税は 500B。手持ちのバーツでは足りないので窓口で US ドル払いができないのか聞いてみるが答えは“No!”。仕方が無いので銀行で両替することにする。ところが、4時半という早朝のため、出発ロビーにある両替所はどこもまだ閉まっている。カートに縛り付けた荷物をゴロゴロと転がしながら一つ下の到着ロビーの両替所を目指す。すると、お腹もゴロゴロといっているので、両替所に行く途中にあったトイレに寄ると、結果は相変わらずかなりひどい下痢。昨日のはともかく、今日の下痢は冷えただけではなさそうなのだ。

気を取り直して、両替所の窓口に行き、手持ちのバーツすべてを見せて、
「これと併せて 500B になるように US ドルから両替したいのだがいくら替えればいいですかね?」
と尋ねる。結局、USD4.0 を 153.32B に両替して、また荷物をゴロゴロ転がして階段を上って出発ロビーに行き、自動販売機で空港税のチケットを買おうとすると、今度は機械が 20B 紙幣は受け付けない。「んもーっ」と言いながら一番端っこの窓口まで行ってチケットを購入し、ようやく出国手続きに向かうことができる。まったく、空港税ぐらいドルやカードで払えるようにしてもらいたいものだ。

ノースウェスト航空 のラウンジは出国ゲートを出てすぐ裏の階段を上がったところにあった。朝からビールなど飲むのもなんなので、オレンジジュースを飲んで飛行機の出発時間を待つ。ラウンジ内にインターネットにつながっている PC があったが、20分で 100B との事で、いまさらバーツを払うのもばかばかしいのでやめておく。カトマンズを出てからメールをチェックしていないが、まぁ日本についてからでよいだろう。

搭乗ゲートまでは相当の距離があると言うので、搭乗開始よりもちょっと早めにラウンジを出て、5時半に搭乗。あとはもう寝ていれば日本に到着するというところまでようやく漕ぎ付けた。という言葉の通り、食事の時間以外は殆ど寝っぱなしで日本に向かうが、相変わらずお腹の調子が悪くて、何度もトイレに行かなければならない。これはやはり何か本格的にヤバイものを口にしてしまったのだろうか。と言っても、一昨日の晩に食べたルームサービスのトムヤムクンは充分に火が通っているものだし、昨日の朝メシ、晩メシともヤバそうなものを食べた記憶は無い。唯一思い当たるところと言えば、アユタヤ (Ayutthaya) で、灼熱の中散々飲み物を買って飲んだことぐらい。それらはもちろんボトルに入っているものだが、氷水の中で冷やされていたところがちょっと気になる。ひょっとして、地元の人たちはその冷やしている水がヤバイのを知っていて、ボトルの口から直接飲まずにストローで飲んでいるのだろうか。この点については今後のためにも調査の必要ありなのだ。

いずれにしても体調は極端に悪く、成田について飛行機のドアが開くまでの間にも荷物を置いてトイレに駆け込むような始末である。もちろん、検疫所で出す黄色い質問表には、機中で「ひどい下痢」であることを記入している。

検疫所のゲートで検疫官に紙を渡しながら、今朝からひどい下痢であることを告げると、彼は差し出した質問表を見ながら、
「もし、心配ならここでも検査できますよ。」
という。
「それって、どういう検査ですか?」
と尋ねると、
「えー、中のトイレで便を取っていただくか、もしくは、オシリの中に検査の棒を入れて検査するかですね。」
うーむ、散々トイレに行っているからもうお腹の中は空っぽだろうし、かといっていきなりオケツに棒を突っ込まれるのは帰国早々あまりにも悲惨で痛々しい。以前、内視鏡をオケツから突っ込まれたこともあるが、それはもう今までの人生とか人格とか人間の尊厳とかをすべて否定されるような経験で、この疲労しているときにそんなことをされたらそれこそ死んでしまう (まぁ、別にこの場で内視鏡検査をするわけではちっともないのだが...)。と言うわけで、
「あ、多分クーラーで冷やしちゃっただけだと思いますんで。」
と態度を豹変させて、どうにかこうにかその場は勘弁してもらうことにすると、検疫官は、
「もし引き続きおかしいようだったら、この紙を持って病院に行ってくださいね。」
と、『あなたの健康のために』と書かれた黄色いカードを渡してくれる。

「まぁ、清潔な日本に戻ってきたわけだから、明日になれば治るだろうしな。」
とポジティブに考えることにして、入国審査へと向かう。入国審査、税関と特になにも問題もなく通過。そのまま、リムジンバスのチケットカウンターに向かいバスの時間を確認すると、なんとバスは一時間後。とは言っても、この大荷物を抱えて成田エクスプレスで新宿に出て、階段を上り下りして京王線に乗り換えてなどと言うことが、この今現在の下痢状態の支配下に置かれたか弱い人間に可能なはずがあろうか。これはもう問答無用で一時間待ちを選択なのだ。

15時10分過ぎ、ようやくリムジンバスがやってきて、三脚を含めて三つの荷物をトランクに積んでもらい、中に入る。もちろん、一番後ろのトイレの近くの席だ。バスは電車よりも全然静かだしエアコンの効きもちょうどよく快適そのもの。にもかかわらず、途中、三回もトイレに行かざるを得ないほどの最悪の体調のまま、成田から 2時間20分をかけてバスは多摩センター駅に到着。すぐに崩れてしまうオーバーロードのカートはとても扱い辛く、相当に苦労してタクシー乗り場まで向かう。こういう経験をするといかにバリアフリーというものが大切で、しかも小さな段差を超えるのにこんなにも大きな努力が必要なのか、ということが身をもって実感される。この点については日本はまだまだなのだ。

タクシーに乗って 15分、ようやく自宅に到着。24日間に渡る、ヒマラヤトレッキングの旅はようやく幕を閉じた。

と思ったら、そうでもなかったのだが。

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