雪渓とお花畑と灼熱地獄の記録
(白馬岳 - 朝日岳: 2000/8/3 - 2000/8/7)


2000/8/4: 猿倉駐車場 〜 村営白馬岳頂上宿舎

起床(4:00)→ 猿倉駐車場発(4:45) → 村営猿倉荘発(5:00)→ 村営白馬尻荘(5:55)/ 村営白馬尻荘発(6:05)→ 大雪渓下部取り付き(6:23)/ アイゼン装着後発(6:35)→ 1,900M 付近(7:20)→ 葱平(8:30)/ アイゼン取り外し後発(8:45)→ 2,200M 付近(9:00)→ 2,400M 付近小雪渓取り付き(9:40)/ アイゼン装着後発(10:00)→ 小屋直下お花畑(11:00)→ 村営白馬岳頂上宿舎着(11:40)
(歩程 6:45)

ちょっと遅めの 4時に起床。3時間半睡眠ではちょっと自信が無かったので、大事を取って 4時間の睡眠をとったからだ。お茶を飲みながらおにぎりを食べ、すぐに出発の準備に取り掛かる。どんどん明るくなってくるので、ちょっと焦りながら最後のパッキングをしていると、
「ん? なんかザックの中が濡れているなぁ...。げげげっ、なんと今回に備えてわざわざパッキンを入れ替えたばかりのグランテトラから水が漏れているではないか。」
やっぱり、ちゃんと機能しているものをむやみやたらにいじくるものではない。
「ICI 新宿の店員がグランテトラのパッキンとマルキルのパッキンを間違えたのかなぁ...。」

幸いにも今回はグランテトラとマルキルとのダブル水筒で 3L を確保するつもりだったため、グランテトラをクルマに置いていっても 1.5L は確保できている。不幸中の幸いとはこのことだ。でも大事を取ってまだ暖かいお茶の入っているテルモス(約 0.8L)を急遽装備に加えた。

そんなこんなでハプニングはあったが、どうにかこうにか 4時45分には駐車場を後にし、坂を登ってすぐのところにある村営猿倉荘に到着。中2 の時に白馬に登ったが、猿倉荘の印象はまるで記憶に残っていなかった。たいそう変わってしまったのかも知れないが、とにかく全く見覚えの無い猿倉荘で予めワープロ打ちしてあった登山計画書を投函。洗面所で顔を洗って靴紐を締めなおし 5時に出発した。小屋の脇の小道をちょっと歩くとすぐに林道に出る。
「そうそう、この景色には見覚えがある。」
子供のころ、それは小学生のころだったか、白馬尻まで家族で行ったときに暑くて長くて死にそうになった道だ。で、中等部の山岳部の時もその最初の時のことを思い出しながら、やっぱり長くて嫌になったのを覚えている。今回はまだ朝早いので今までよりはやや快適だが、結局、長くて単調な道であるとして記憶にインプットされることになった。

林道の終点には小屋の人のものであろうか、数台のクルマが駐車されていた。そこからほんの10分程度、猿倉荘から一時間弱で白馬尻の小屋が見えてくる。と同時に大雪渓の末端部も見えてきた。雪はまだ結構多いようだ。白馬尻には 2件の小屋があるが、もちろん最初の小屋で休憩。既に 6時前なので気温も上がってきていて、ちょっと登山道を歩いただけでものすごく暑い。水筒の量が心配なので小屋でポカリスエットを購入してそれを飲みながら休憩を取っていると、なんだかものすごく大人数のパーティが出発の準備をしている。既に登山道に入っているのに隊列は止まったまま、中年の男性が雪渓上の行動について大声で説明している。これは早々に何とか追い抜かなければならないと心に誓いつつ、この先、コースタイム上では 3時間の登りに備えて早る気持ちを押さえてきちんと 10分間の休憩をとった。
「どうせすぐに追い抜くさ。」
この時点では、まさか今日一日ご一緒することになろうとは想像だにしなかった。

出発後ほどなく雪渓の取り付きに到着。ザックを下ろしてアイゼンを装着していると、すぐ脇をおっさんがアイゼンをつけたままザクザクと歩いて行った。と思うやいきなりオレのザックのすぐ上、2M も離れていないところでいきなり小便をはじめやがった。まったく開いた口がふさがらない。思わずイヤミたっぷりにザックを退避して思いっきり睨みつけてやったが本人は何処吹く風といった感じで気にする様子もなく、用を足すとさっさと去っていった。すると案の定、さっきの大人数パーティの一員だ。しかも注意して見てみると、そこかしこでアイゼンのつけ方が分からないと騒いでいるオバサンがいる...。ったく、非常識極まりない。一回ぐらい着けてみてから来いっての。先に出たいのだが、こっちは紐締めの 12本爪のアイゼンなので時間がかかる。仕方がないのでまた例のパーティを先に行かせ、後ろから追いかける形にする。

ちなみに今回はじめてペア ストックを導入した。LEKI のスプリング入り、コルク グリップの最新式のものである。ICI のオニイちゃんがスプリングの効果を熱弁するので、エエイと思わず買ってしまったのだ。せっかくなので雪渓に取り付くと同時に新兵器を使うことにした。
「こりゃ非常に楽だわ。」
というのが第一印象。今まで結構ストック使いをバカにしていたが、大ザックの身には振られたときに腰に負担をかけずにリカバリができるし、一歩進む間にストックを一回突くので、なんだか足にかかる運動量が分散されるような気がする。でも長さの調整がなかなか難しい。そうしてストックの長さを微妙に調整などしながらその効果を確認しつつ、上機嫌でリズム良く進むうちにあっという間にさっきのパーティに追いついてしまった。

極めてありがちなことだが、最後尾に位置するおっさんとオバサンが
「若いんだから、先に行きなさいよ。」 と余計なお世話なことを交互に言ってくる。しばらくは、
「いえ、いいんですよ。ザック重いもんで。」
などと言ってかわしていたがあまりに鬱陶しいので、右側に出て一気に抜き去る決意を固める。チャンスを見て、一気に追い越しをかけた。が、しかし、すぐに後悔する羽目になった。これまた極めてありがちなことだが、なにせ相手はほとんど毎月山に行っている小屋泊まりの軽ザック中年登山隊 29人である。ノン トレーニング 2年ぶりテント行 25KG ザック 35歳が戦いを挑むにはあまりにも高速かつ長大なパーティであったのだ。オマケに追い越しをかけたその瞬間から、雪渓は残酷にも斜度を増しキバを剥き、過酷な試練を与えてくる。伸びに伸びた件の隊の全体の長さのほぼ 3分の2 ぐらいのところに到達した辺りから、真横を歩く連中と全く速度が同じになってしまった。颯爽とペア ストックで追い抜くはずが、既にバテバテ、心臓が飛び出しそうな勢いである。しかし、ここは登山暦 22年、負けてはならじと、ポーカーフェイスで残りの 3分の1 を息絶え絶えに抜き去ったのであった。というところでなんと時間切れ。あっという間に 50分が経過して経験豊富な登山家は中年登山家には打ち勝っても長年の習慣には打ち勝てず、ちょうどうまい具合に雪渓が平坦になった場所(1,900M 付近)を見つけてそそくさとタテに入ってしまったのであった。それを知ってか知らずか、中年登山隊もすぐ上で休憩に入っていった。

白馬大雪渓 タテると同時に、さっきまで晴れ渡っていた雪渓上にサーッとガスが出始め、気温も下がってきた。身体が熱くなっているからちょうどよい。風上、つまり谷側を向いてザックに座って休んでいると、ガスの中から大学生ぐらいの女の子 5〜6人のパーティが現れて通り過ぎていった。今時めずらしく、全員同じカッターシャツを着ている。どこかの大学のワンゲルのようだったがその中の一人はかなり辛そうに登っていた。このパーティをやり過ごし、かつ、29人隊が出発をする前に出発。するとちょっと行ったところで、先ほどのカッターシャツ隊が左側に寄って休んでいる(左写真)。良く見るとザックの上に一人あお向けになって寝ている。鼻血でも出したのだろうか。女の子の隊なので、一応気になって横まで来たときに見てみたが、特に深刻な状況でもなさそうなのでそのまま先に進んだ。声をかけたからといって、こっちもそれなりに深刻な状況なので何もデキナイノダ。

そこから約 40分、やっと葱平(ねぶかびら)が見えてきた。取り付き部分はものすごい数の人が休んでいて、とてもアイゼンをはずすためのスペースなどなさそうだ。仕方がないのでアイゼンをつけたまま 2、3分そのまま登り、ルートからちょっとはずれて奥に入った岩の上まで攀じ登ってそこでザックを下ろした。葱平はいきなりガレ場の急登なので、そこまでアイゼンで行くだけで結構体力を消耗してしまった。下を見ると雪渓上は恐ろしいほど混んでいて、さながら大名行列のように人が登ってくる。うかうかしていられない。っと思った矢先、さっきの 29人隊がどやどやと上がってきた。あろうことか、人が休んでいる目の前のコース上に座り込んでアイゼンを外しはじめた。
「油断したか...。」
ザックを背負って出ようとするがなんと足を下ろす場所もない。でも連中が動き出すのを待つと後々ストレスがたまりそうなので、お願いして道を空けてもらって出発。

出発したはいいが、雪渓上部に位置する葱平の急登にすぐにシャリバテとなり、15分ほど進んだところのお花畑の脇で持ってきたおにぎりを食べつつ休憩をとる。するとまたもや、
「あら、きれいなお花ねぇ!!」
などといって 29人隊のオバサンが攻め込んで来つつ追い抜いていく。いいかげん気にしないことにしておにぎりを食べていたが、すぐ上の方から、
「お昼にしましょうかぁー」
との声。どうでもいいがこの隊のリーダーはわしの行動に合わせて動いているんじゃないかと思わず疑ってしまった。

抜きつ抜かれつしながら小雪渓の手前まで約 40分かけて登る。今回、果物としてナシを 3個持ってきている。このナシはその日の一番苦しい時点で食べようと持ってきたものだが、雪渓上部の急登で既にかなりバテているのでアイゼンを着けるついでに食べることにした。水分が多く生き返る。ナイフで皮を剥いていると、近くでアイゼンをつけていた夫婦が話し掛けてきた。その夫婦はなんと例の 29人隊のメンバーだったが、そこで彼らが 29人の大所帯で関西からバスをチャーターしてやって来たのだということを知った。明日は白馬鑓の方に向かうというのでホッとする。
「荷物は何キロなの?」
「家を出たときで 25KG です」
「まぁ重いわねぇ。あら、ちゃんと皮剥いてえらいのねぇ!!」 などと会話しつつ、
「あぁ、この人たちはわしのことを完全にガキだと思っているのだろうなぁ...」
と考えてしまった。まぁ、この人たちの子供ぐらいの年齢に見えているのだろう。でもこの二人はフツウの感じの良い夫婦だった。
「ではお気をつけて。」
結局、先を越されてしまった。

アイゼンを装着してすぐに追いかける。小雪渓のトラバースは 1分もかからずに終った。中学のときの記憶が薄れているのと、よくガイド ブックを読んでいなかったのとで何となくつられてアイゼンをつけてしまったが、ルートもしっかりしていたのでアイゼンなどつける必要はなかったのだ。素早くアイゼンをはずしすぐに出発。そこから小屋まではもうすぐだと思っていたが、ここでも過去の記憶は何の役に立たず、とんでもなく長かった。しかも雪渓を出たので気温がものすごく高い。小屋もなかなか見えてこないので、いいかげん疲れて途中のお花畑で写真を撮りつつ休憩していると、またもや 29人隊に先を越されてしまった。既に追いかける体力はもう残っていず、結局このまま最後まで逃げ切られてしまった。

しかし、疲れている時こそペア ストックの威力が発揮されるということも発見した。特に今回導入した LEKI のストックはスプリングが入っているので、重いザックを背負って大きな段差を超える場合、ストックを後ろについて押し込み、スプリングの勢いで一気に身体を持ち上げることができるのだ。メーカーは恐らくこんな使い方を推奨してはいないだろうが、この発見が功を奏して今回の山行全体を通して足への負担は極端に少なくなった。

小屋が近づくにつれ、上の方から女の人の声が聞こえてきた。
「こんにちはー。もうすぐですよー。頑張ってくださぁーい!!」
「あ、ヤバイ... ちゃんと歩かんと見られているのだろうか...」
というなんだかよくわからない状況で最後の力を振り絞りスピード アップ。やっとの思いで小屋に到着した。11時40分。なんとコースタイム 5時間10分を大幅に上回り 6時間45分もかけてしまった。

何はともあれテン場の申し込みとビールの購入。ビールを売っていたのは、さっき上から声を飛ばしていた女の子だった。そうしている間にも、下のほうを覗き込んで声援を送っている。なんとこれは頂上の白馬山荘に向かおうとする登山客を村営小屋に引き込むための、村営小屋の巧妙なマーケティング戦略だったのだ。そういって声援を送っていた女の子に声をかけてくる登山者に、
「上の小屋は満員だよぉ。村営小屋はがらがらで快適だから泊まっていきなよぉ。」
隣でテン場の受付をやっているオヤジがすかさず声をかける。そこに女の子も加わってニコニコと誘いをかけると、たいていの登山者は折れてしまう。結果、かなりの成功率を上げているわけだ。

ビールを飲み終わって、テン場に移動。


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