クーラーで冷えて目が覚める(3:00) → 起床(8:40) → 朝食(9:10) → Comfort Suite Airport Hotel 発(11:05) → Don Muang 駅着(11:20) → Don Muang 駅発(12:06) → Ayutthaya 着(13:05) → バス乗車(17:25) → エンジントラブル(17:45) → 2台目バス乗車(18:00) → Mo Chit バスターミナル着(19:20) → 夕食(19:30) → Mo Chit バスターミナル発(19:55) → Comfort Suite Airport Hotel 着(20:15)
3時に寒さで目が覚める。また電気もクーラーも点けっ放しで寝てしまった。ついでにお腹も冷えてしまったようで、夜中にトイレに行く。またお腹の調子が悪くなってきた。トイレから出て、クーラーと電気を消して寝なおし。
今頃トレッキングとカトマンズの過密スケジュールの疲れが出てきたのか、朝になっても身体がだるくてなかなか起きられない。一応、起きてディレクトリをチェックし朝食が 10時までであることを確認してから 8時半過ぎまで寝る。基本的にバンコクの気候は身体に合わないので、今日一日部屋でゆっくりするというのもありなのだが、それでも宿泊料に入っている朝メシは食わなくてはもったいないので、8時40分頃に起きて風呂に入る。今回泊まった部屋は行きに泊まった部屋とは違ってちゃんとしたお湯が出る。やはり前回泊まった部屋の給湯器は壊れていたのだ、ということが今頃発覚するがもう遅すぎ。
風呂から出て 1階に下り、ダイニングに入ってガイドブックを見ながら朝食を食べていると、入り口の脇のツアー受付カウンターにいた女性がやってきて、
「今日はどこに行きますか?」
と聞いてくる。
「まだ決めてないよ。今考えているところ。ほらね。」
と言ってガイドブックを見せると、彼女は一旦戻った後に大きなファイルを持ってきて、それを開きあれこれ写真を見せてくれる。要は人がメシを食っているときにツアーの客引きをやっているわけだが、こっちもメシを食っているので適当にハイハイと聞いていると、彼女の言葉の中に、“...this is world heritage, Ayutthaya...”というセンテンスが聞こえてくる。
「おー、そうだった。ここにも世界遺産があったのだ。フムフム。」
と彼女が見せてくれる写真を見ながら、アユタヤ (Ayutthaya) まで行くにはどれくらい時間がかかるのか聞き出す。バスで二時間ぐらいとのこと。もちろん、ツアーに入る気など毛頭無く、最終的には、
「ありがと。考えとくね。」
と言って彼女との会話は終わりにする。部屋に戻ってからゆっくり検討するのだ。
10時に一旦部屋に戻って、アユタヤ行きを検討する。ホテルからはちょっとバンコクの方に行かなければならないが、モーチット (Mo Chit) バスターミナルから冷房付のバスがアユタヤまで出ているようだ。カトマンズからの移動用に一旦パッキングされたカメラ機材などを出して、サブザックに入れ替えたりしているうちに結局 11時近くなってしまった。10時55分ごろロビーに下りて、モーチットのバスターミナルまで行きたいのでタクシーを呼んで欲しい旨フロントデスクで伝えると、
「どこに行くのですか?」
「アユタヤまで行こうと思ってるんだけど。」
「今日は、タイの新年の元旦だから、バスは多分満員ですよ。みんな田舎に帰りますからね。列車で行ったほうがいいんじゃないですか? 安いし。」
とのこと。部屋でせっかくバスでの行き方を検討したのだが、まぁそういうことなら列車で行くしかない。ちょうど 11時にホテルから空港に向かうバスがあると言うので、それでドンムアン駅まで連れて行ってもらうことにする。
バスが出るまでの間、速攻でガイドブックを読んで鉄道関係の情報を得る。が、空港駅でどのようにチケットを購入するかなど細かいことは何もわからず、とにかく行ってみて何とかするしかないという結論に達する。
しかし蒸し暑い。ザックにつけた温度計を見ると気温は摂氏 36度。げろげろ。熱射病か日射病にかからないように注意しなければ。とりあえず、駅の売店でミネラルウォーターを購入。ストローが付いてくる。タイでは缶ジュースでもペットボトルの飲み物でも、なんでも頼むと必ずストローが付いてくるようだ。よくよく見ると、みんなきちんとストローで飲んでいる。これには何かわけがあるのだろうか...。わからないが、キャップを開け閉めする度にいちいちストローを出し入れするのはとても面倒だし、そもそもペットボトルなのでそのまま口を開けて飲む。ホームにはなぜだか泥んこになった親子がいる。
入ってくる列車の写真を撮るために、FUJI GS645S に新しいフィルムを装填する。カバンごとカメラと一緒に X 線スキャナにかけられると困るので、カトマンズを出る前に撮影途中のものを含めてすべてのカメラのフィルムは抜いてあったのだ。フィルムを入れて、ホームだけでも先にとろうかと思いカメラのキャップを取ろうと前面を見ると、
「げっ!!」
ボディーのレンズの横の部分に穴が開いている。
「まさか、中のフィルム面まで光がとおってるわけ無いよね?」
と思いつつも、今日一日の写真がすべて無駄になってしまっても困るので、フィルムの最初の数枚は犠牲にして、一度ボディーを開けてみることにする。こういう場合、ブローニーフィルムだと巻き戻しという概念が存在しないのでとてももったいないことになってしまう。泣く泣く裏蓋を空けて、すばやくフィルムを手で巻き戻し、一旦、箱にしまってからボディーをよく見てみる。裏蓋を空けてフィルム側からボディーを明るいほうに向けてみてみるが、何とかボディー内に光は漏れていないようだ。よかった。しかし、雨など降ったら一発でアウトだろうなというところに空いている穴なので、このまま使い続けることはどちらにしても不可能だろう。かといって、前回、直接メーカーに持っていって修理に出したときですら、直して欲しい部分のパーツがすべて在庫切れで修理不可だったので、これを修理に出してもどうせ直らないのだろう。まぁこのカメラもそろそろ引退の潮時なのか。プラスチックのボディーは軽くていいが、こんなところに落とし穴があったとは。
列車は感心なことに、8つ目の駅ぐらいまではほぼ時刻どおりに進んでいるようだ。そしてその頃になると、ようやく特徴のある文字の場所を記憶して、すかさず駅の看板と見比べるという芸当ができるようになり、安心できるようになってきた。と思っていると、どう見ても時刻表には載っていない駅に停車したりするので、油断はならないのである。列車はちょっと遅れているようだが、時刻とそれまでの駅の数からしてきっと次に違いないと思っていると、なんとさっきの車掌さんがわざわざ座席まで来てくれて、
“Next stop. Ayutthaya! (次がアユタヤだよ)”
と教えてくれる。やはりエアラインや鉄道に勤めているきちんとしたタイ人は優しいのだ。と言ってもその車両にいるその他の乗客は、まったく日本人には無関心のようだったので、優しいのかそうでないのかは分からないのだが...。
アユタヤ駅で降りる。暑い。とにかく暑い。すかさずツアーの呼び込みが寄ってくるがそれを振り切り、まずは屋根のある駅舎に入って周辺の地図が無いかどうか探すが何も見当たらない。さて、どうしたものか。列車の中では駅を数えるのと風景を見るのでガイドブックを詳細に読むことができなかったが、とにかく駅の前の川を渡った先に遺跡群があることは分かっているので、川の方向に進む。昼メシもどこかで食べなければならないが、安全そうなものを探さないといけないし。
ぱっとしない飲食店街のようなところを通って川に向かって歩いて行くと、ガイドブックにある略図ではあるはずの橋ははるか彼方で、目の前には渡し舟の乗り場があった。本当に渡し舟なのかはたまた観光船なのかよく分からないので、そこにいた男性に聞いてみると対岸の建物を指差して、
「対岸まで 2B。料金は向こうで払えばいいよ。」
と教えてくれる。小さな桟橋兼オープンな待合室に行く階段を下りていくと、川を走っていた観光船がちょうど桟橋に着いたところだ。どう見てもそれは渡し舟ではないので見ていると、欧米系の外人がそれに乗るにはどうしたらいいのか、といってしきりに大声で尋ねているが、チャーター船のようで「乗れないよ」とだけ言われる。彼は今度はこっちに観光船の乗り方を知っているかと尋ねてくるが、もちろん知っているわけも無く。そうこうしているうちに、本物の渡し舟がやってきたのでそれに乗ると、出航直前に飛び込んでくる人が結構いる。ここら辺の人々の生活で日常的に使われている渡し舟なのだ。対岸について、ゲートで 2B を支払い外に出る。
外に出るとさらにそこには何も無く、どうしたものかと途方にくれていると、ソンテウというのだろうか、軽トラックの荷台に屋根とイスを取り付けてタクシーのようにした乗り物のドライバーがチャーターしてくれないかと話し掛けてくる。こっちはまだどこから行こうかも決めていないし、歩いていってもいいと思っていたのでそう伝えると、とても歩いて回れる距離ではないと力説する。しかし、そうは言っても、いきなりまたぼったくられても嫌なので、ガイドブックの中から一つの遺跡を示して、まずはそこまで 10B で行くことを主張すると彼も渋々それでよいと言う。
ところが走り出してものの 2分もしないうちに広い道路の脇に停止。運転席から降りてきて、
「お願いだからチャーターして下さい。これね、ガイドブックのコピーです。チャーターするとだいたい 650バーツと書いてあるでしょ。でも、650B ちょっとこれはホントに高いです。だから、4時間で、500バーツでいいです。ちょっとぐらい時間オーバーしても大丈夫ね。お願い。ガソリン高い。家族もいるね。大変なのね。」
とまぁこれがもう泣き落とし作戦なのだ。こっちも、暑さで既にへばってきているし、とてもこの灼熱の中を歩いて回る気も消え失せているので、ガイドブックのコピーがウソかホントかはわからないが、もう 500B でお願いすることにしてしまう。彼の交渉力ではなくて暑さに負けた。
1991年にユネスコ (UNESCO: United Nations Educational, Scientific and Cultural Organization) によって文化遺産に登録された『アユタヤと周辺の歴史地区』は、西暦 1350年にウートーン王家によって開かれて以来 400年間、1767年にビルマ軍により破壊されるまで強大な王国の中心地であった。33人の君主が交代して、5つの王家が興亡したアユタヤには、川に囲まれた中州に10を超える遺跡群が残されている。これをすべて回るのは時間的にも体力的にも不可能なので、適当に見繕ってもらって次の順に回ってもらうことにする。
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ワットプラスィーサンペットの駐車場を出て寺院に向かっているとなにやら道路が騒がしい。見ると、すぐ近くのワットプララムの周りを象に乗って観光をしている人がいるが、騒がしいのは彼らではなく、若者達がピックアップトラックの上に水を満々と湛えた大きなプラスチックのタンクを積み、行き交う同じようなピックアップトラックに水や泥をかけまくるということをしている。もう、彼らは全身ずぶぬれ、クルマも道路も水浸し、という状況なのである。クルマもドロドロ。とここでようやく、朝見たホテルのバスがドロドロになっていたのと、駅のホームの泥んこ親子が頭のなかで繋がった。これは、タイの新年を祝う行事の一つで、「ソンクラーン」と呼ばれる水かけ祭りなのである。もろにこの時期のこの日に居合わせてしまったと言うわけだ。もちろんこれを目にすることができるのは有難いのだが、ドライバーが
「水をかけられないように気をつけて行ってきてくださいね」
と言うように、旅行者だろうがなんだろうが情け容赦なく水をかけられるので、カメラ機材を持っている身としてはまさにありがた迷惑なのだ。
正面では沢山の灯明を焚き、敷物を敷いてその上で熱心に祈りを捧げている女性がいる。この女性はひょっとして昨日の夜から一晩中ここで祈っていたのではないか、と思われるほど溶けた蝋が辺り一面に広がっている。この女性を通してタイの仏教に対する信仰の深さを垣間見た気がする。とても近くに言って話しかけるというような雰囲気でもないので、シャッター音の響かない FUJI GS645S で後ろからそっと写真を撮る。 暑さで極度に脱水しているので、ドライバーに待ってもらって日陰でまたスプライトを飲む。疲労感も高まってきているし、そろそろ帰ってもいいかなぁと思い、ドライバーに 「そろそろ帰ろうか?」 と言うと、 「いや、まだ終わりではアリマセン。次のところが一番綺麗ですから是非行きましょう。」 なかなか熱心なのだ。 |
バス停の近くでクルマを降り、お金を渡してお礼を言い、ドライバーの写真を撮らせてもらう。バンコク行きのバスのバス停近くのチケット購入窓口は閉まっていて誰もいないようだ。どこで買おうかと途方に暮れていると、どこかのツアーコンのオネェちゃんが英語で声をかけてくれて、チケットはバスに乗ってから買えるからと教えてくれる。
乗る前にミネラルウォーターを買おうと思っていたのだが、17時25分にすぐにバスがやってきてしまったのですぐにそれに乗る。待つこと数分。17時半にはもう出発してしまう。水は買えなかったがホッと一息つきながら、「いつになったらチケットを売りにくるのかな」、などと考えていると、窓の外をどんどんクルマが追い抜いていく。このバスは異様にスピードが遅いのだ。しかも冷房の効きもなんだか悪い。
「うーむ、このスピードでこの暑さでバンコクまでいくのかな...。ちょっとかなり辛いんですけど...。」
などと考えていると、しばらく走ったところで止まってしまう。途中でもお客さんを乗せるのだ。そしてまたしばらく走るとまた停車。今度はエンジンを止めてドライバーがバスを降りてしまう。外でなにやら話し声がしているなぁと思っていると、突然他の乗客全員が立ち上がり、降りはじめるではないか。
「なんだなんだなんなのだ?」
頭の中はハテナマークでいっぱいになり、隣に座っていたタイ人の男性に尋ねると、
「 Change car!! エンジンダメでぇ〜す。」
と、なんと半分日本語で返事が返ってきてびっくり。それ以上に、エンジンがダメだといわれてびっくりなのだが、これから一体どうなるのか。
「あぁ、やっぱり列車の方が確実だったかなぁ...。」
バスを降りてみると、乗客は道路わきで皆今来た方向を見ている。そっちからバスが来るからだ。しかし、次のバスだって人が乗ってくるわけだし、はっきり言っていつになったらバンコクにたどり着けるのやらといった深刻な状況なのだ。案の定。次にやってきたバスは超満員で、あざとい最初の 5人ぐらいしか乗れない。
「こんなことなら、ゆっくりミネラルウォーターを買って、次のバスに乗ればよかったよ...。」
と後悔しながら後ろを振り返ると乗ってきたバスのドライバーが、バスの後部に潜り込んで直そうと試みている。要はオーバーヒートなのだろう。フタを緩めたラジエターから勢いよく濛々と水蒸気が噴出し、火傷しそうになって叫び声をあげて頭をぶつけている。思わず笑ってしまうが笑っていられる状況でもないのだ。喉もカラカラだし。ところが次にやってきたバスはラッキーなことに結構空席があって乗ることができ、しかもなんと一番後ろの席に座ることもできた。しかも涼しい。これでどうにかこうにかバンコクまで生きて帰れそうだ。もう身体はヘトヘトだ。
バスが出ると、しばらくして女性の車掌さんがチケットを売りに来るが、通路はさっきのバスの残りの乗客でびっしり。ものすごい時間をかけながら一番後ろまでやってくる。モーチットのターミナルまで 45B だ。無事に料金も支払ったのであとはボーっとしていればよい。途中、すぐ横をクラクションを鳴らしながら猛スピードで追い越してゆくバスが一台。さっきオーバーヒートしたバスが直ったのだ。中はガラガラ。あそこで最後まで待っていた人たちが乗っているようだった。こっちは座れたからいいようなものの、通路に立っている人たちはさぞかし悔しかったろうと思う。
外はすっかり暗くなってしまった。そろそろバンコクが近くなったかなというような頃、Major Cineplex という映画館のあるきらびやかなところに停車。窓の外を見るとなんとウルトラマンが立っている。円谷プロはこんなところでも商売をしていたのか。
「この暑さの中でもウルトラマンは 3分戦えるのだろうか...。しかしよく考えると、あのウルトラマンの怪獣達は、いつも日本の領土や日本に関係する場所に出現していたなぁ...。」
などとどうでもいいことに思いを馳せているうちに、バスはドンムアン国際空港を過ぎ、ホテルの前を通り過ぎて一路モーチットバスターミナルに向かっていく。途中で降りてもいいのだが、どうせ晩メシを食わなければならない。今日はもうヘトヘトに疲れているし、バスターミナルにいけば何かファーストフードがあるだろうから、それで済ませてしまうつもりなのだ。
19時20分にバスターミナル到着。殆どの乗客は途中で降りてしまって、ここまで乗ってきたのはごくわずか。スタジアムの入り口のような大きなバスターミナルに入ると、中にはものすごい数のチケット売り場が行き先別に並んでいる。巨大バスターミナルなのだ。まずはコンビニに入ってミネラルウォーターを買う。タイ風の弁当などが並んでいるが、それには手を出さず、さらにターミナルの中を歩いてみると、軽食屋の並んでいる一角に嬉しいことに ケンタッキーフライドチキン を発見。これはもう食うしかない。そういえば、今日は昼メシを食べるのをすっかり忘れていたのだ。
タイのケンタはデフォルトが「スパイシー」のようだ。一応、確認してくれるので、「No Spicy」のチキンフィレサンドを注文。その他にオレンジジュースも頼むが念のため生水を使っている可能性のある氷は抜いてもらう。適当に席について食べ始めると「No Spicy」のはずだが、それでもピリリとした味だ。極度に脱水しているのもあって、水もジュースも一気に飲み干してしまう。外国人旅行者の姿は殆ど見えないが、周りではタイ風のヌードルやその他の軽食を食べている人たちが沢山いる。この人たちはこの時間から夜行バスに乗ってどこかへ行くのだろうか。正月だから帰省するのかもしれない。それとも、単に安い飲食街としてこのターミナルを利用しているのだろうか。ま、どうでもいいか。
19時55分にターミナルを後にしてタクシーでホテルに向かう。メーターで 101B なのを 100B に負けてくれた。タクシーのドライバーにもいい人はいたのだ。今日は殆どぼられていないはず... のような気がする。彼と今日のアユタヤのドライバーのお陰で最後にちょっとタイの好感度があがったかな。
部屋に戻って風呂を沸かして入る。その後はまたカキンカキンに冷えた Singha Draft Beer なのだ。ビールを飲みながらテレビをつけると、CNN がイラクでの日本人人質が解放されたことを報じている。「日本はカネを払ったのか? 一体いくらカネを払ったのだ?」という方向の議論が大半を占めているようで、やはり日本はそういう目で見られているんだなぁ、という感じ。
明日はその日本にとうとう帰国だ。6時15分の飛行機なのでホテルを 4時に出るバスを出してくれるとのこと。3時に起床の予定。当然食えない朝メシ代がもったいないなぁと思いながら、最後のパッキングをしてさっさと寝る。