ヒマラヤトレッキング日記
〜 カトマンズ編 II 〜


2004/4/13 (Tue)

起床(6:00) → 朝食(7:00) → Hotel del'Annapurna 発(8:00) → ケサブ君のアパート着(8:40) → ケサブ君のアパート発(10:00) → Hotel del'Annapurna 着(10:30) → Hotel del'Annapurna 発(11:00) → Himalayan Activities 着(11:20) → Himalayan Activities 発(12:00) → Laghu 氏の家着(12:45) → Laghu 氏の家発(13:05) → Adventure Camp & Country Kitchen 着(14:00) → Adventure Camp & Country Kitchen 発(14:40) → Himalayan Activities 着(16:00) → 買い物& Internet Cafe (16:30〜18:00) → 夕食(18:00〜) → Hotel del'Annapurna 着(22:30) → Packing 完了(23:45) → 就寝(24:30)

「ネパールの家庭の味」

昨晩は布団をちゃんとかけずに寝てしまったので、朝から鼻水が止まらない。ティッシュペーパーをもって食堂に行くと、7時だというのにまだ空いていない。昨晩のニューイヤーイブの大騒ぎで準備が遅れているようだ。入り口の前で待つこと数分、ようやく扉が開くが中に入ると料理もまだきちんと準備ができていない様子。新年には朝イチで家族とお参りに行ったりするためか、まだ従業員も全員そろっていないのかもしれない。

食堂には日本人の団体もいるが、昨日の嫌な思い出があるので離れたところの席に座る。と、隣のテーブルで食事をしているドイツ人夫婦の奥さんの方が話し掛けてくる。彼らは空からエベレスト (Everest / Sagarmatha / 8,848m) を眺めたそうで、エベレストベースキャンプ (Everest Base Camp / 8,350m) までのトレッキングについてものすごく興味があるようだ。旦那さんの方はあまり英語が堪能ではないらしく、もっぱら奥さんを通して質問をしてくる形式だが、まさに根掘り葉掘りといった感じで色々なことを聞いてくるので、朝メシも食ったんだか食ってないんだかわからないような状況になってしまった。彼らは次回の計画について考えているようだった。

ケサブ君のアパートの屋上から 今日の午前中はケサブ君のアパートにお呼ばれしていて、8時にケサブ君がロビーに迎えに来てくれることになっている。下りていくと、昨日ナガルコット (Nagarkot) まで一緒に行った Krishna 君が来ている。彼も今日始めてケサブ君の家に行くそうだ。

すぐにケサブ君が現れて、三人でタクシーに乗り込む。今日は新年の元旦と言うことで、途中に見えるどこの寺院も沢山の初詣客 (と言うのかどうかはわからないけど...) で行列ができている。新年の行事としては、元旦の朝、家族でお参りをするというのがネパール流の祝い方のようだ。それでも、寺院以外では、特に新年らしい飾りつけも無く、いつもと違うところと言えば閉まっている商店が多いことぐらいであろうか。といってもまだ朝の 8時過ぎなのでまだ開けていないだけかもしれないのだが。

30分程でケサブ君の家の近くに到着。タクシーを降りて、大通りから人がやっとすれ違える程度の細い路地に入り、50m 程歩くと、閑静な住宅街といったところに入り込む。といっても周囲にあるのは戸建ての家ではなく、基本的にはアパートのような建物が多いところだ。ケサブ君の部屋は四階建ての建物の一番上。景色のよい明るい 8畳ほどのワンルームだ。部屋のドアの前は屋上兼テラスのようになっていて、さらにケサブ君の部屋の上にも屋上がある。結構いいところではないか。ケサブ君が買ってきてくれたコーラを飲みながら屋上から景色を眺めると、空港が近いようで離陸していく飛行機が見える。Krishna 君とケサブ君は「あれはポカラ行きだな」などと話をしている。

部屋に戻って三人で話をしながら記念撮影などをしていると、一つ下のフロアに住んでいる、ケサブ君の叔父さんにあたる男性がやってきて、ダルバートを食べて行きなさいと言ってくれる。さっき朝メシを山のように食ってしまったばかりだが、せっかくの申し出だし、ケサブ君も是非是非と言うので、それではと御馳走になることにする。ケサブ君は下に行って話をしているのか、料理を手伝っているのか、食事ができるまでの 30分程の間 Krishna 君とケサブ君の部屋であれこれと話をする。彼はクーンブヒマール (Khumb Himal) 地方の出身で、家は放牧や農業をやっていると言う。Himalayan Activities では彼はクライミングのガイド担当で、メラピーク (Mera Peak / 6,476m)などに登っているようだ。また、現在、日本語を勉強中で、覚えている日本語を片っ端から話してみて発音を確認したり、また、英語の単語をあげて、それを日本語でなんと言うのかを教えてくれと言ってきたりなど、非常に勉強熱心なのだ。階下からは圧力鍋で調理をしている音が聞こえてくる。

そうこうするうちにケサブ君が、食事の準備ができたと知らせにやってくる。ケサブ君の叔父さんの奥さん、その兄弟の男性に挨拶をして、部屋に入るとベッドの上に座るように言われる。すぐに銀色の食器にカレーとご飯と豆のスープが三人分出されて来る。ネパールの家庭料理を家庭の中で食べられるというのもなかなか貴重な体験だ。しかし、彼らにしてみれば何の義理も無い赤の他人の外国人に御馳走してもてなしてくれるなんて、とても心優しい人たちなのだ。三人に見守られて緊張していたからかもしれないが、不思議なことにあれほど朝メシをしっかり食べたのにもかかわらずあっさりと全部食べられてしまった。トレッキング中にもカレーは何度か食べたが、それらはすべて味が違っていて、それぞれの家によって独自の味付けがあるようだ。その中でもここのカレーは一番旨いと思われた。

食後にそこの家族とケサブ君、Krishna 君と一緒に記念撮影をし、丁重にお礼を言って出る。ホテルで O 氏と待ち合わせてから Himalayan Activities に行き、そこでバイクをレンタルすることになっているため、結構スケジュールが詰まっているのだ。もうちょっと色々と話を聞きたかったが、残念ながらあまり長居ができない。それにケサブ君も Krishna 君もオフィスに出勤しなければならないのだ。
これぞ正しく家庭の味なのだ

アパートを出ると、ケサブ君は途中でコーラの瓶を返すために来たときとは違う道を通る。瓶を返して大通りに出るために少し歩くと、道の脇に灯明とティカ (額に付ける赤い印) のための台が置かれていて、ケサブ君はそこで自分の額に赤いティカを塗り、さらにこっちの額にも塗ってくれるのでその台の脇で写真を撮ってもらう。

「ミステリーツーリング」

これが 中国製 Jialing の 150cc タクシーを捕まえてホテルに向かう。やはり元旦のためか開いている店は少ないようだ。ケサブ君によると午後になるとちらほら開き始めるという。ホテルの前で落としてもらい、彼らはそのままタクシーでオフィスに向かった。一旦、部屋に戻りバイクツーリング用に体制を立て直してからロビーで O 氏と待ち合わせ。そのまま Himalayan Activities のオフィスに向かう。オフィスでケサブ君と Krishna 君に再会。Raghu さんはバイクをレンタルしに行ってくれているようだ。オフィスでケサブ君たちと待っていると、Raghu さんがオフロードバイクに乗ってやってきて、引き続きすぐにレンタルショップのお兄ちゃんがもう一台のバイクに乗ってやってくる。今回借りたのは中国製の Jialing のオフロードバイク。125cc と 150cc の二台である。150cc の方を使わせてくれると言うので、試し乗りがてら、別に自分でバイクを借りてくるという O 氏を近くのレンタルバイク屋まで後ろに乗せていき、彼を落としてすぐにまたオフィスに戻る。

Raghu さんに
「今日はどこへ行くの?」
と尋ねると、
「まだそれは秘密。へへへ、びっくりするようなところだよ。」
とのお返事。一体どこへ連れて行ってくれるのだろうか。そんな話をしながら O 氏を待つがなかなか戻ってこないので、再びバイクで様子を見に行くと、どうやら彼が予約していたバイクで他のお客が試乗に行ったまま戻ってきていないらしい。その場でさらに 5分ほど待つと、ようやく試乗に行っていた人が戻ってきてなんとか無事バイクを借りることができた。二台でオフィスに戻り Raghu さんと合流し、ケサブ君と Krishna 君に見送られていざ出発。まずはガソリンを入れに行こう、といってものの 30秒も走らないうちに、なんと O 氏のバイクがパンク。あらまぁ。と言うことで、再び彼のレンタル屋に三台で向かいバイクを交換してもらう。

というわけで今度こそ本当に出発。タクシーで走っていても恐ろしいカトマンズの街の中をバイクで走るというので、最初はものすごく緊張するが、実際にバイクで走ってみると案外恐ろしくも無いということがすぐにわかる。もちろん、Raghu さんが安全なルートを選んでくれ、また車線変更などこっちに気を遣ってくれているからなのだが、ひとたび流れに乗ってしまえば思っていたほどの違和感は無い。すぐにガソリンスタンドに入り、それぞれ 2L (O 氏のバイクだけタンクの中身を確認していないので 4L ) のガソリンを入れる。この量から考えるに、そう遠くは無いところに行くのだろうという感じだが、そもそも 125cc と 150cc、O 氏は 100cc のバイクなので燃費もいいはずで、まだ先の見えないミステリーツアーならぬミステリーツーリングの始まりなのだ。

カトマンズの街を抜け、カトマンズの空港の脇を通り Raghu さんのバイクは一昨日バクタプル (Bhaktabpur) に行ったときと同じ道を進んでいく。
「まさか、バクタプルに行くって事はないよね? 行って高いからやめた話は Raghu さんにはしてないしな...」
とちょっと不安になりながらついていくと、彼のバイクはいきなり右に曲がって、農道のようなダートの道に入っていく。道は稲田の真ん中を突っ切っていって、辺りはすっかりネパールの田舎そのものの景色になってくる。こんなところをバイクで、しかもオフロードバイクで走るのは最高だ。道はかなり凸凹でオフロードバイクの二人はいいが、オンロードの O 氏はかなり慎重に進んでくる。出発するなりパンクを味わっているので無理も無い。

しばらく行くと道は次第に山道になってきて、林の中を登り始める。すると、いきなり Raghu さんのバイクが止まり、彼は右上方の家を指差しながら後ろを振り向き、
“This is my home! Please come in!! (ワタシのうちです! どうぞ!!)
と言ってくれる。
「なるほど、そういうことだったのか。」
と思いながら、右を見ると Raghu さんの家に入るには、道路から急な細いアプローチを一気にバイクで登らなければならないようだ。ここ一番とオフロードバイクの本領を発揮して、一気に上るとそこは Raghu さんの家の玄関前のテラス。すぐに家の中から奥さんとこの間 Himalayan Activities のオフィスで会った Raghu さんの息子さん、そして隣に住んでいるという姪っ子が出てきてくれる。

まずは奥さんに O 氏と挨拶をする。子供達はすぐに近くにやってきて英語で色々と話し掛けてくる。Raghu さんはこの間のように、自分の息子に日本語で挨拶をさせたり、日本語の単語を言わせたり。その様にして子供二人と Raghu さんと O 氏と 5人で涼しい木陰のテラスで話をしていると、奥さんがチャー (ミルクティー) を持ってきてくれる。せっかくの元旦なのに、御主人をツーリングなどに引っ張りまわし、しかもこのように突然訪ねてきてしまってこちらはちょっと恐縮しているのだが、奥さんはじめ二人の子供達はとても穏やかにもてなしてくれる。ネパールの人たちは本当に心優しい人たちなのだろう。

お茶を飲み終わると、二階のテラスに行こうと子供達が手を引いてくれる。全員で階段を上ってテラスに出ると、目の前にはサクラの木、その向こうには畑が広がっている。Raghu さんの一族はこの土地に 700年も前から住んでいるのだそうだ。現在では親戚を含めた三家族がこの家と隣の二軒に住んでいて、畑から採れるものと、飼っている家畜から食料はかなり自給できるという。なんとものどかで平和な暮らしを見せ付けられて、物質的には豊かでもせせこましく日本で生活していくのと、こういうところでのんびり平和に暮らしていくのと、一体どっちが幸せなんだろうかと考えてしまう。

全員で記念撮影をし、Raghu さんの家を失礼する。もちろんツーリングはここが終点ではなく、まだまだこの先山を登っていくのだ。さっき二階のテラスで Raghu さんが指し示してくれた、山のてっぺんが今日の目的地なのである。

その先の道はかなり荒れていて、しかも急坂。まさにオフロードバイクの醍醐味をすべて堪能するといった感じで、その気になってスタンディングで登ってしまう。途中、何度か兵士の検問を受け、その度に Raghu さんが説明してくれる。彼らは基本的にマオイストの警戒にあたっているので、外国人は基本的に無条件にパスで兵士も笑顔で通してくれる。Raghu さんに「検問も面倒だねぇ」という意味のことを言うと、
「まぁ、むしろ彼らは我々を守ってくれているわけだからね。」
とのお返事。それもそうだ。

道はどんどん高度を上げ、ちょっと霞んだカトマンズの谷が見渡せる素晴らしい景色になってくる。何度目かの検問を通過すると、Raghu さんの家から見た山のてっぺんに近いところ、Adventure Camp & Country Kitchen というまだ出来立てのような施設に到着する。周りではネパールの人たちがピクニックをしている。バイクを置いてレストランに入りテラスに立つと、途中で見えたカトマンズの谷がさらに大きく眼下に広がっている。今日は霞んでいるが、冬の天気のいい日などはナガルコット (Nagarkot) よりも多くのヒマラヤの山々が見渡せるという。ここはまだ開発されて間もないため、海外からの観光客も少なくお薦めのスポットだそうだ。Raghu さんが、カトマンズの谷を指差して、空港の場所や、パタン (Patan)、バクタプル (Bhaktapur)、ナガルコット、などの場所を教えてくれ、カトマンズのマッラ王朝時代の話などをしてくれる。

この景色をこの場所で眺めてしまったら、もうビールを飲まずにはいられない。すぐに O 氏が瓶ビールとグラス三つを注文してきて三人で乾杯。同時に、Raghu さんに今日のツーリングのお礼を申し述べる。しかし、霞んでいるとは言え、こと、カトマンズの谷を見下ろすことにかけては、ナガルコットよりもここのほうが何倍も絶景である。しかも高度もナガルコットよりも高いので、ルクラ方面からの飛行機などがカトマンズ空港へ向けて眼下を降下していくのも見える。Raghu さんに連れてきてもらわなければ、この絶景も見ることができなかったというわけで、二人ともただひたすらに彼に「感謝」の一言なのだ。今度は是非冬に来なければと心に決める。
カトマンズの谷が見渡せる

こんなところを走ったのだ ビールも飲み終わり、ちょっといい気分でレストランを出る。今回は完全にプライベートなツーリングにもかかわらず、申し訳ないことにまた Raghu さんにビールを御馳走になってしまった。しかも下りの道は行きとちょっと違うルートを通ったり、小川をバイクで渡ってみたりなどバリエーションをつけるという気も遣ってくれているようだ。さらに、帰りは空港経由ではなく、パタンを通ってカトマンズに戻ってくれるなど、ツーリングとしてきちんとまとめてくれているのだから有難い限りだ。

ガソリンを入れて出て走り出したころは、おっかなびっくりで安全運転をしていた二人が、ここまで来るとすっかりネパール人的走りに変容していて、反対車線からの無茶な追い越し、交差点への無謀な突込みなどすっかり板についてしまっているのだから、慣れというのは誠にもって恐ろしいものだ。「郷に入りては郷に従え...」とはまさにこのことか。

最後は過激な走りになりながらも、無事 16時に Himalayan Activities のオフィスに帰着。ケサブ君たちはさすがに元旦なので店を閉めて帰ったようで、オフィスはシャッターが下りている。まずはオフィスの中に入って休もうとシャッターを開けて中に入ると、すかさず Raghu さんは近所の店に電話をしてコーラを注文してくれる。O 氏とふたりでそれを御馳走になり、再び今日のお礼を言う。さらに Raghu さんは今晩も二人をディナーに誘ってくれようとするが、さすがに元旦にそれでは彼の家族にも申し訳ないし、明日は二人ともネパールを出国する日なので夜は飲みに行くことにして丁重にご遠慮申し上げる。

Raghu さんには、明日もう一度オフィスに来てから空港に向かうことにするという約束をする。明日、ケサブ君とも昼メシでも食おうかという話もしているので、最後にスタッフの顔が見られるはずだ。

「国際問題」

O 氏とは 18時に会うことにして、T シャツの買い物とメールのチェックに行く。昨晩、何軒か見た中で一番気に入ったデザインの T シャツがあった店に今日行く約束をしていたので、まずそこに T シャツを買いに行く。店員は昨日来たことを覚えていて、こっちが約束を守って現れたことにいたく感動し、結構ディスカウントしてくれた。例の悪徳ぼったくり T シャツ屋とはえらい違いなのだ。まぁ、大半のネパール人はこういういい人ばかりなのでもっともっと親しく話がしたいところなのだが、ときどきああいう悪徳な連中がいるためにこっちも警戒せざるを得ないのが残念なところでもある。

無事 T シャツを購入。明日、明後日とバンコクではメールをチェックすることはできないかもしれないので、インターネットカフェでメールをチェックし必要な連絡を入れる。ニュースをチェックするとイラクでの日本人人質事件で日本は大騒ぎになっているようだ。ネパールもまぁそれなりに色々あるが、今のところ命の危険にさらされるような事態には遭遇していないのでよかったなぁと思う。

18時に O 氏と落ち合い、今日も『一太』で晩メシ。その後、昨日 O 氏が知り合ったというネパールの男性二人と飲みに行くことにする。一人はまだ 20歳そこそこでタメル (Thamel) に仮面を売る店を持っているという青年。もう一人は、ネパールの日本大使館で行われている日本語検定に合格しているという、やけに日本語の上手いみやげ物店の店員。話の端々に、「オーケーデース」というのが挿入されていて、ちょっと面白い日本語ではあるがとても流暢に話す。

話をしていると、Himalayan Activities のガイドの一人と日本語学校で同級生だったことがあり、よく知っているのだという話が思いがけず向こうから出てきたりしてびっくりするが、見ていると若い青年の方は随分と落ち込んでいる様子だ。O 氏に聞くとどうやらこれまで付き合っていた日本人の女性にふられたそうだ。しかもそれは、つい昨日の話で、ここカトマンズの地でずーっと付き合っていて、結婚の約束までしていた広島出身の女性が E メール一通を残して忽然と去ってしまったそうだ。まぁ、そんな話は日本ではよくある話なのだが、ここネパールでは状況はもっと深刻なようで、彼は既に地元の親戚一同に彼女を婚約者として紹介してしまっていることが大問題なのだという。彼によると、ネパールではまず「カノジョ」を作ることは非常に難しく、そして「カノジョ」ができた場合にはほぼ 100% の割合でその人と結婚するというのが習慣のようだ。つまり、殆どの人は初めて付き合った人と結婚してしまうのだという。これはこれでかなり問題だと思うのだが、ここでいう深刻な状況というのはもちろんそのことではなく、ひとたび外国人の女性を「カノジョ」として親戚に紹介してしまったからには、親戚一同みなもう彼の結婚 (=地元の女性と結婚することを敢えてやめて外国人の女性と結婚するということ) に関してのバックアップ体制に入ってしまって、そうなってしまうと、日本人の彼女と別れたからといって、もういまさらネパールの女性と付き合いたいなどというオプションは残されていないのだそうだ。まぁ、その辺の細かいしきたりも部族によって違うのかもしれないが、彼はいつどうやって昨日の話を親戚にしようか、頭を抱えてしまっている。彼にとってはこれはもう社会的に人生を踏み外してしまったに等しい深刻な問題なのだ。

二人の間の意思疎通がなされていなかったのか、それともその広島女の確信犯的犯行かその辺は定かではないが、なんにしてもそこまで落ち込んでいる彼を見ていると、なんだか日本人として謝りたくなってしまうような、ちょっと居心地の悪い気分がしてしまうのだ。でも彼に今後の目標はと聞くと、
「彼女よりももっと美しい日本人の女性と結婚して彼女を見返してやりたい」
とか、
「日本語検定を一生懸命受けて、日本に行ってビジネスで成功して彼女を見返してやりたい」
とか、どうも既にかなり具体的なビジョンをもって彼女を見返したいと考えているようなのだ。しかも日本地域限定だ。でも、
「何で日本人の彼女じゃないとダメなの? ネパール人がだめでも他の国の人でもいいんじゃないの?」
と聞くと、いまひとつはっきりした答えは返ってこないのであった。彼がそこまで日本人の女性や日本にこだわっているというのは、やはり対日本人のビジネスに過剰な期待を抱いているからのように見えてしまうのである。とは言え、彼とそうやって話す限りにおいては外務省のホームページに警告されているような結婚目的だけの輩には見えない。なぜなら、彼は彼女にきちんと
「自分は店を持っているから、結婚してもネパールで暮らしたいのだ。」
と伝えたというからだ。
「それで彼女は逃げちゃったんじゃないの?」
とも思うのだが、まぁそれは敢えて言わず。

なんにせよ、まぁ、彼らにとって日本人が「いいお客」であることは紛れも無い事実なのだろうけど、それと日本に来てビジネスで成功するということはかけ離れているのでは、というのは我々日本人の眼からすると一目両全なのだが、日本に来たがっているネパールの人達は確かにその辺の認識が甘いようには思われるのだ。『黄金の国ジパング』ではないけれど、かつて世界の人々が『自由の国アメリカ』に抱いていたのと同じような感情を、彼らは日本に対して抱いてしまっているのではないだろうか。もう一人の日本語の上手いほうの男性は、知り合いが目黒のネパール料理屋で働いているというそれなりのコネを持っているようなので、まだ可能性がありそうなのだが...。

どうもなんだかディープな世界の話にはまり込んでしまった。話をすればきりが無いのだが、今日は元旦で家では家族が彼らを待っているとのことなので、早めに返してあげなければということで今日はお開きにする。別れる前に、明日、傷心青年の店に行く約束をする。
「ネパール音楽に使われる太鼓、マーダル、を是非購入したいのだ。」
という話をしたところ、彼が
「みやげ物を売る店よりもそれを作っている工房に直接買いに行った方が断然安いから案内してあげるよ。」
というので、明日、Himalayan Activities を出発する直前にお願いすることにしたからだ。

今日もまたリクシャーでホテルまで戻ることにする。今まで最低でも Rs40 だったのに、ネパール人の彼らが交渉するとあっさり Rs30 でも行ってくれるとのこと。やはり現地の人は強い。

O 氏とも今日でお別れのはず。
「まぁ、またメールでもやり取りしましょうや。お気をつけて。」
などとお互いに言い合って別れる。

ホテルには 22時半ぐらいに到着。明日のバンコクへの移動のためのパッキングが終わると既に 24時を過ぎている。明日は 9時半にケサブ君が迎えに来てくれることになっている。

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