ヒマラヤトレッキング日記
〜 カラパタール / EBC トレッキング編 〜


2004/4/10 (Sat)

晴れ、のち夕方より小雨

起床(5:30) → Lukla (2,860m) / Namaste Lodge 発(6:30) → Lukla 空港でチェックイン(6:37) → 搭乗開始(8:30) → TAKE OFF by Sita Air 602便(8:35) → KATHMANDU Tribhuvan 国際空港着(9:10) → Baggage Claim (9:20) → Himalayan Activities Office 着(9:55) → Hotel del'Annapurna 着(11:10) → 洗濯、荷物整理他終了(13:10) → Hotel del'Annapurna 発(14:00) → Internet Cafe (14:30〜15:25) → 昼食(15:30〜16:40) → Himalayan Activities 着(16:50) → 夕食 at 古里(18:00〜 以降飲み歩き) → Hotel del'Annapurna 着(22:30) → 就寝(24:00)

「無事 Lukla を脱出」

Lukla の朝 5時半に起きて窓の外を眺めると路面は濡れているが空は晴れているのでホッとする。昨日の夜の雨は結構遅くまで降っていて、今朝雨が上がっているかどうか実は気が気ではなかった。ルクラ (Lukla / 2,860m) の空港は三方を山に囲まれているロケーション故に天候の変化が激しく、ちょっと雲がかかっただけでも飛行機が飛ばなくなってしまうからだ。モンスーンの時期に一週間ルクラで足止めを食うなんてことはざらだという。

朝メシに「Toast with Egg」とチャーを注文し、ちょっとだけ外に出て朝のルクラを闊歩するイヌの写真を撮る。数分で戻ると既に朝メシが出来上がっていた。食べ終わって 6時半にロッジを出発。今朝も TRB がロッジまで来てくれて、空港まで荷物を運んでくれる。朝の 6時半だと言うのに、空港までの道はトレッカーとガイドとポーターでごった返している。みんな朝一番の飛行機を逃さないように必死なのだ。山の方を見ると昨日降った雨の水蒸気を集めた雲がついている。これ以上雲が増えないことを祈りつつ空港の建物に入りチェックインカウンターに向かう。

Sita Air のカウンターには一番乗り。Namaste Lodge の主人も空港まで来てくれてチェックインを手伝ってくれる。そういえば、昨日、我々が予定より一日早く下ってきてしまったので、Sita Air のオフィスまでフライトを変更しに行ってくれたのも彼だった。ケサブ君は全面的に彼を信頼しているようで、トレッキング中のチケットの保管やリコンファームは彼に任せているようだ。カトマンズ (Kathmandu) までの第一便、602便の搭乗券を手に入れる。カメラザックの機内持ち込みの件でまたひと悶着あったが、Namaste Lodge の主人の力添えもあり、どうにかこうにかまた機内持ち込み権をゲットする。残りの荷物を手早くチェックインしようとすると、ザックのサイドポケットが濡れている。今朝、歯磨きをしたときに SIGG ボトルの栓をきちんと閉めていなかったようだ。幸い中に入っていたのはミネラルウォーターなので、心配そうに見ているケサブ君に安心するように伝え、栓を閉めなおしてチェックイン。

搭乗待合室に入る前に、TRB とはお別れだ。ケサブ君と TRB に窓際に並んでもらって写真に撮り、お礼を言って別れる。彼は既に明日から次のトレッキングの予定が入っているそうだが、彼らにとってはその方が有難いに違いない。入り口を入るとそこでボディーチェック。南京鍵のかかっているカメラザックは先に入っていくケサブ君が背負っていたので、チェックの際に開ける必要があれば呼ぶように言うが、特に問題はなかったようだ。待合室に入ると、売店が一つ。大きな窓からは滑走路の向こうの管制塔と山並みが見えている。第一便までにはまだ時間があるようだが、待合室内には特に案内表示もなく、搭乗券にも時間は書かれていないので、一体飛行機がいつやってくるのかは誰にもわからないのである。カトマンズから飛んできたときは確か 7時40分ごろにルクラに着いたので今日もそれぐらいにやってくるのだろうと思うが。

7時を過ぎた頃からだろうか、窓から外を見ていると、飛行機が着く時間を前にして、何人もの銃を持った兵士たちが警戒位置に移動していくのが見える。このルクラ空港の滑走路の脇には高く土嚢が積まれていて、マオイスト (外務省の危険情報のページを参照) からの攻撃に対して厳重に警戒している様子だ。外国人には危害を与えないと言っているマオイストだが、空港や飛行機などを攻撃すれば自ずと外国人も巻き添えを食うではないか。そういえば、カトマンズの Himalayan Activities のオフィスで日本語対応担当のマヤさんと話をしていたときに、「『ルクラの空港で銃撃戦があったらしい』というニュースをテレビで見た」という話を聞いたが (結局それは誤報だったようだが)、確かにそういう物々しい雰囲気ではあるのだ。

待合室には人が溢れていて、窓際ではやってくる飛行機を写真に撮ろうとカメラを構えている人もいるが、7時40分になっても一向に飛行機が現れる気配はない。山の方を見ると若干雲が増えているような気もする。まさか欠航したりはしないだろうと思いながらもちょっとドキドキしながら、でもここでどうすることもできないので、売店でチャーを買ってきてケサブ君と二人でそれを飲んで暖まっていると、窓の外にいきなりプロペラの爆音が聞こえてくる。飛行機は斜面になっている滑走路の下の方に着陸して滑走してくるため、滑走路を登りきって搭乗待合室の真横に来るまで殆ど音が聞こえないのだ。来たのは SKYLINE AIRWAYS の飛行機で、その飛行機を待っていた人たちから歓声が上がる。そしてすぐに二機目、Gorkha Airlines がやってきて再び歓声が上がる。乗っていく人たちはとにかくルクラから脱出するのだと言わんばかりに、皆大慌てで乗り込んでいく。今日乗りそびれたら、ひょっとしたら次は一週間後になるかもしれないのだ。

ようやく空いてきた待合室の二階の窓から Gorkha Airlines の飛行機に乗る人たちを撮影し、GR1s のフィルムを交換していると、また突然、今度は待望の Sita Air の 602便が現れて、ケサブ君が「早く早く!」と呼びにきてくれる。肝心な自分の乗る飛行機の写真を撮りそびれてしまったが、それよりも乗り遅れずにルクラを脱出することの方がよっぽど重要なのだ。
まるで脱出するかのように慌しく飛行機に乗り込んでいく

5分もしないうちに飛行機のハッチは閉じられ、あわただしく滑走路端にタキシングし、さっき着陸してきたのと同じ方向に向かって離陸体制に入る。まったく、よく正面衝突しないものだ。離陸するとすぐに窓の外にヒマラヤの山々が見えてくるが、低いところは既に結構雲がかかっている。今日飛行機が一時間も遅れたのはそのためかもしれないが、実はそれはまだ良いほうで、一日早くカトマンズに戻った O 氏に後から聞いたところによると、彼はルクラの空港で 6時間も待たされたそうだ。その間なんのアナウンスもなく、ただひたすら来るのか来ないのか分からない飛行機を待ち続けるというのは、秒単位できっちり走っている電車で通勤通学している日本人にとってはやはりどうにも耐え難いものでもあり、またネパールの人たちから見ればそういう日本は信じられないような世界なのだろう。

「懐かしのカトマンズ」

一番左が Gaurisankar 中央やや左の白い頂が Menlungtse そして右端が Numbur 遠ざかっていくヒマラヤの山を飛行機の窓から眺めているうちに、右後方にエベレスト (Everest / Sagarmatha / 8,848m) があるのを発見して写真に撮る。とはいっても、28mm レンズの RICOH GR1s で、飛行機の汚い窓を通して撮っているので結果はあまり期待できない。ルクラからカトマンズへの飛行は、カトマンズからルクラまでのルートよりも高い高度を飛んでいるようで、さらに進むと真横にはローワリンヒマール (Rolwaling Himal) のガウリサンカール (Gaurisankar / 7,134m) とその向こうにはチベットの山、メンルンツェ (Menlungtse / 7181m) の横長の白い頂、右後方にはヌンブール (Numbur / 6,937m) も見えている。そういう景色を堪能しながら徐々にスモッグのかかったカトマンズへと飛行機は高度を下げていく。

9時過ぎ、飛行機はカトマンズのトリブヴァン国際空港の国内線ターミナルに到着。例のドア開きバスでバゲージクレームに向かう。今回は飛行機から荷物を降ろす時間があるのでバスの後ろにカートは牽引されていない。バゲージクレームで待つこと数分、荷物が来たのでそれを受け取り、そのまま客待ちをしているタクシー乗り場までケサブ君と歩き Himalayan Activities のオフィスまでのタクシーを捕まえる。

埃と排気ガスの匂いとクラクションの喧騒の街に戻ってきた。トレッキングに出る前に二日間過ごしただけなのに、妙に懐かしい感じがする。相変わらずタクシーは驚異の車幅感覚で走りまくり、路上には牛の姿がある。

Himalayan Activities のオフィスに着き、タクシーから荷物を降ろして中に入ると、そこには Raghu さんではなくて、ガイドの Krishna Bahadur Magar 君が待っていた。ケサブ君が Raghu さんの携帯電話に連絡をすると、彼は別のお客さんを迎えにさっき我々が出てきた空港に行っていると言うので、そのまましばらくオフィスで待つことにする。ケサブ君が近くの店でコカコーラを買ってきてくれる。それを飲みながら、二人と話をしていると 20分程で Raghu さんがチベットから今日入国してきたという日本人の青年を連れて帰ってくる。ケサブ君がその青年をホテルまで案内していく。

Raghu さんに簡単にトレッキングの概要を伝え、ケサブ君には大変世話になったことのお礼を言う。細かい話はまた後ほどということにして、とりあえずは使わなかった予備日の払い戻しと予約してもらった Hotel del'Annapurna (以下ホテルアンナプルナ) の宿泊代を精算する。ホテルアンナプルナは 1965年創業のカトマンズでも老舗の 5つ星ホテルで、タメル地区からはちょっと離れた王宮に近い広大な敷地に建つ立派なホテルだ。ここを、Himalayan Activities 経由で予約すると、いわゆる外国人向けの公称レートよりもかなり安く泊まれるのである。トレッキングの疲れを癒すには絶好のホテルなのである。

その後、ネパールを出国するまでの残りの日程について Raghu さんと相談をする。ケサブ君も進めてくれたポカラ (Pokhara) をはじめ、世界遺産でもありジャングルサファリができるロイヤルチトワン (Royal Chitwan) 国立公園へのツアー、ナガルコット (Nagarkot) へのハイキングなど色々と情報をもらう。後は一旦ホテルに入って現金の残金を確認しながら検討して、今日の夕方 17時に再度オフィスに来て決定することとした。ホテルアンナプルナは Himalayan Activities のあるタメル地区からは離れているが、今日の晩メシはタメルの『古里』というレストランで食べる約束をペリチェ (Pheriche / 4,215m) で O 氏としているので、いずれにせよ夕方タメルに戻ってくるのだ。

Raghu さんにタクシーで送ってもらい、11時過ぎにホテルにチェックイン。すぐに部屋に入って荷物をばらし、『汚れ物』と明記した最高に汚いシャツ、靴下、下着などすべてを洗面所で洗濯する。ここは 5つ星のホテルなのだが、水道をひねると出てくるお湯は茶色く濁っている。まぁ飲むわけではないので構わないのだが、洗濯していると衣類の汚れでお湯が茶色くなっているのか、もともとの茶色なのかいまひとつ分かりにくくて困ってしまう。洗濯石鹸をもってきていないので洗面所の固形の石鹸で洗濯しなければならず、ヘトヘトになりながら洗濯を終え、最後にバスタブにお湯をためて風呂に入る。チェックインしてから風呂を出るまでになんと 2時間もかかってしまった。

14時、昼メシを食べるためにホテルを出てタメルに向かう。30度を越す暑さの中、タメルまでの道を半分ほど行ったところで、O 氏のメールアドレスを書いたメモ帳をホテルに置いてきてしまったことに気付く。ショックを受けながらまた歩いて引き返し、結局 30分程かけて前に行ったタメルのインターネットカフェに到着。関係各所に下山報告のメール、O 氏には今晩予定通り『古里』で会う旨のメールを出す。さらに、日本関係のニュースを asahi.com でチェックなどするうちにあっという間に 55分が過ぎる。ここは一時間につき Rs40 とナムチェバザール (Namche Bazar / 3,446m)Rs10/一分間 よりは格段に安いが、それでも一時間を越えて超過料金を払うのも癪だし、猛烈に腹も減ってきたのですぐにそこを出る。

随分遅くなってしまったが、15時半ぐらいから昼メシ。タメルの中心辺り、二階のオープンテラスにあるインド料理レストランでまずはビール。そしてカレーとナンのセット。これは非常に旨かった。山の上で食べたチベット系のカレーはロッジによって味も全然違って、カレーと言うよりはシチューという感じのものもあったが、ここはきちんと忠実なインドカレー (そもそもインドでカレーを食ったことはないのだが...) でとても感動。今までの経験上、海外の街で食べ物に困ったときにインド料理屋を探せば、ほぼ間違いなくちゃんとしたインド料理が食べられる。一方、中華料理は要注意で、アメリカの中部で間違って中華料理屋などに入った暁には、それはもう涙なくしては語れないようなものが出てきたりするのだ。というわけで、昼メシには大満足して、ほろ酔い加減のその足で約束の 17時よりも 10分程早く Himalayan Activities にまたお邪魔する。

「呑んだくれ〜」

オフィスに行くと、Raghu さんのほかに小さな男の子がオフィスで待っていた。土曜日なので彼の息子が遊びに来たようだ。Raghu さんは日本語を覚えさせるのに夢中なようで、そのちっちゃな子が日本語で挨拶をしてくれる。ネパールでは今は小学校でも英語を教えているそうだ。やはり観光が主要な産業の国だけあって英語は必須なのだ。

残った日数で一通りカトマンズ界隈の主要なポイントの写真を撮りたいという点、多少買い物をする時間なども欲しいという点、現在所持している現金の残額とタイで丸々一日を過ごすための必要経費、それらをホテルで検討した結果、明後日、ナガルコットのハイキングに行くのがよさそうだということを Raghu さんに伝える。Raghu さんは喜んでアレンジしてくれるというのでその費用を支払う。このハイキングにもガイドが付いてくれるとのことだが、それがケサブ君になるかどうかはまだ分からない。

その後、今回のトレッキングを通して感じたことなどを Raghu さんに話す。ガイドのケサブ君やポーターの TRB についても、良かったことや改善したほうがいいと思ったことをざっくばらんに伝えると、Raghu さんはその中で重要と思われるものをきちんとメモして、後日きちんとアクションを取るつもりだと言ってくれる。もちろん、苦情を伝えたわけではなく彼らの会社がより発展してくれればと祈ってのことだ。

色々な話を Raghu さんとするうちに、彼がバイクで通勤しているという話になる。すると Raghu さんは、明後日に予定しているナガルコットのハイキングの翌日にでも、オフロードバイクを借りてちょっとしたツーリングに行こうと誘ってくれる。その日、つまり 4月13日はネパールでは新年に当たる日だというのにである。一応、「新年のお祝いの日なのに申し訳ないので、Raghu さんは家で家族と過ごした方がよいのでは」、と言ってみるが、「全然構わない」とのお返事。それではとお願いすることにした。この『驚異の車幅感覚』の街カトマンズをバイクで走るというのはあまりにもスリリングで、一人では絶対に怖くてできないことだが、Raghu さんのようにバイクで通勤している人が一緒に走ってくれるのであれば、是非そのスリルを味わってみたいものだ。

ペリチェでの約束では 18時に O 氏と日本食レストラン、『古里』で落ち合うことになっていたが、日本語担当のマヤさんが 17時45分ごろにオフィスにやってくるというので、彼女を待つことにする。Raghu さんから、トレッキング中、何度も彼女からトレッキングで問題が出ていないかを確認する電話をもらっていたという話を聞いていたので、無事に帰ってきた報告とお礼を是非直接言いたかったからだ。ここ Himalayan Activities のスタッフは本当にあたたかい人たちばかりなのだ。

18時前にマヤさんが現れたので、まずはトレッキング中の御心配に対してお礼を言うが、彼女は日本のケーキ屋さん出身の人が作っているというシュークリームを買ってきてくれて、逆にそれを御馳走になってしまって恐縮してしまう。18時に O 氏と約束があったので、残念ながらあまり長話もできなかったが、明日の 12時半頃に、ケサブ君と Raghu さんと一緒に関係者全員で記念写真を撮らせてもらう約束をしてオフィスを出る。

ちょっと遅れてしまったので急ぎ足で『古里』の方向に向かっていると、ちょうど向こう側から O 氏がやってきてぱったり出会う。約束の時間にレストランに行っても居なかったので、メールをチェックしようと出てきたところだったとのこと。彼と『古里』に入り直し、まずはビールで乾杯。さっきカレーを食べたばっかりだったので、ここではお腹に優しいうどんを食べる。ちゃんとした日本のうどんが出てきて、久々の日本食に感動しながら彼の話を聞く。彼がルクラで彼が泊まったロッジで出会った日本の老人は、なんと 80歳でゴーキョピークに上がり、これまでの最高齢記録を塗り替えたとの話を聞き驚く。そういえば、プンキタンガ (Phunki Tenga / 3,190m) のロッジで 69歳のロシア人に会ったが、時間さえかければ歳をとっていてもこヒマラヤは十分登ることができるのだということを実感する。それはロッジやガイド、ポーターなどのシステムが完成されていることもそうだし、ヒマラヤの山は日本のアルプスに比べて山が大きい分、ゆっくり時間をかけて高度を稼いでいくという形のアプローチであるからということもある。

一方、O氏は、4月14日からインドへ向かうことを決めたそうで、今日チケットを取ってきたという。二週間ほどかけてインド内をカルカッタからデリーまで移動するそうだ。トレッキングのあとインドに行くとはなかなかつわものなのである。

そこで晩メシを食って外に出るとパラパラと雨が降っている。が、そんなことはお構いなしに、そこからさらに三軒の飲み屋をはしごして、ひたすらビールを飲みまくる。一軒目はおばちゃんの経営するネパール人向けの小さな飲み屋。おばちゃんはとても愛想のいい人なのだが、残念ながらあまり意思の疎通が図れず、二軒目に移動。タメルの四階建てのビルの屋上にあるそのバーは、雰囲気は非常によく、また夜の涼しい空気もとても気持ちがよかったのだが、入ったとたんにバンドの演奏が始まってしまった。そのバンドはお世辞にも上手いとは言えず、日本の高校生の文化祭バンドといったレベルで、しかも音量がやけに大いので、演奏が始まるとスピーカーの前に座っていた客は全員スピーカーから一番遠い席に移動していってしまった。さらに、ネパール音楽でもやってくれればまだよいのだが演奏されるのはいわゆる西洋音楽で、「それはやはりちょっとねぇ...」、という感じなのだ。音がうるさいのでビールを 2本ぐらい飲んだところで店を替える。その次はトレッキングの出発前日にボロネーズ風ヤキソバ、じゃなかったスパゲッティを食べた Alice's Restaurant というイタリア料理屋の三階。そこは比較的静かで、高らかにクラクションを鳴らしながら下を行きかうタクシーを見ながら、しみじみとビールを飲む。そのうちに、「ギネスビールが飲みたいね」、という話になってその近くのアイリッシュバーに入るが、ギネスビールの看板はあれど、残念ながらギネスビールは置いていなかった。というわけで今日はもうお開き。時刻は 22時過ぎ。

ホテルアンナプルナまでは結構な距離。これを酔っ払った身体でこの時間に歩くのは面倒だなぁと思っていると、O 氏が近くで客待ちをしていたリクシャーを捕まえてくれる。リクシャーとは自転車の後ろに二人乗りの座席が付いているいわゆる人力のタクシーで、値段は基本的に交渉によって決まる。O 氏の交渉力によりタメルからホテルアンナプルナまで Rs40 ということで交渉成立。明日は昼に Himalayan Activities に記念写真を撮りに行くことになっていたので、O 氏とはオフィスで待ち合わせて昼メシを一緒に食べる約束をして別れる。
Thamel の夜は更けていく...

タイヤの細いリクシャーは路上に開いた大きな穴や窪みなどに弱いので丁寧にそれらを避けながら、またタクシーで渋滞している道を避けて進んで行く。やけに暗い裏道を通るので一瞬心配になるが、運転手の青年は一心不乱にペダルをこいでいく。この乗り物はこいでいる人間の力の入れ方が乗っている人にももろに伝わってくるので、後ろに乗っているとなんだかだんだん申し訳ない気分になってくるのだが、タクシーに比べれば値段が安いのでとても有難く、この後もほぼ毎日利用させてもらうことになった。

10分程でホテルに到着。酔っ払っていたので部屋に戻るとテレビも点けっぱなしでそのまま寝てしまった。


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