ヒマラヤトレッキング日記
〜 カラパタール / EBC トレッキング編 〜


2004/4/9 (Fri)

曇り、のち小雨、のち雷雨

起床(5:30) → パッキング、洗顔終了(6:20) → Namche Bazar (3,446m) / Thamserku Lodge 発(7:25) → たて(7:50〜7:55) → たて at 吊橋手前(8:15〜8:25) → たて at Joasalle (2,915m) / Everest Guest House (8:47〜9:15) → Sagarmatha National Park Office でチェック(9:25) → たて at Chumoa for TRB 待ち(9:45〜9:50) → Phakding (2,652m) / Namaste Lodge 着 for 昼食(10:57) → Namaste Lodge 発(12:25) → たて at Thadokoshi / Kusum View Lodge (13:00〜13:15) → たて (14:30〜14:35) → Lukla (2,860m) / Namaste Lodge 着(14:50) → 雨がひどくなる(15:20) → 雷雨(16:45) → 夕食(18:30) → 就寝(21:00)

(Namche Bazar 〜 Phakding 歩程: 2時間27分 / Phakding 〜 Lukla 歩程: 2時間25分

「ゲロゲロ TRB」

5時半に起きてロッジの外にあるトイレに行くと、トイレの前でケサブ君とぱったり。「おはよう!」と挨拶をしてからトイレに入る。調子もすっきり快調であのディンボチェ (Dingboche / 4,350m) での下痢も今となってはすっかり過去の話だ。部屋に戻ってパッキングをしてから洗顔を済ませて、ふと窓の外を眺めるとトイレに行ったときには見えていたコンデリ (Kongde Ri / 6,187m / 旧名: クワンデ) はすっかり厚い雲に覆われてしまっている。今日は天気が悪いようだ。昨日は良かったがどうやら日に日に天候が悪化している傾向というのは変わらないようだ。確実にモンスーン期に近づいているのだろう。

RICOH GR1s を見ると電池の警告等がついているのですかさず交換する。パクディン (Phakding / 2,652m) での水没事故によって漏電したりして消費が早かったのだろうか。しかし、この GR1s が復活してくれて本当に良かった。あの怒涛の砂埃地獄の中で胸ポケットに入る高性能カメラというのは本当に重宝する。しかもこの GR1s についている RICOH GR28mm/F2.8 は定評のあるレンズで、その写りは素晴らしく、どんなに頑張って PENTAX 67PENTAX 67II を担いで上がって、三脚にセットしてレンズ交換などしながら苦労して写真を撮っても、最後にこの GR1s で押さえに一枚パチリと撮った写真が一番良く写っていたなんてことが実は結構あるという、有難くも悲しいカメラなのである。とは言っても、今回に限っては水没事故以降に撮った写真がきちんと写っているかどうかは現像してみるまで分からないのだが。

きれいに整理された Thamserku Lodge のキッチン 朝食にはチーズトーストとオムレツを注文する。同時にチャーも頼んでそれを飲みながら、窓の外を眺めると、雲の合間からコンデリが光っているので、慌てて部屋から FUJI GS645S を取ってきて外に出て写真を撮る。ダイニングに戻ると朝食ができている。チーズトーストはフレンチトースト風で非常に旨い。一方、オムレツはもちろんただのオムレツなのだが、ケチャップがない代わりにトマトソースをかけてくれて、お陰でそれもなかなか良かった。

出発前にダイニングに三脚を立ててキッチンで写真を撮らせてもらう。女将さんは
「写真を撮るなら 100ルピーだよ〜、ジャパニさぁん。」
などと言っている。もちろん冗談だとは思うが...。

写真を撮っていると、ダイニングにいた男性が話し掛けてくる。聞くと彼はカトマンズの大学の教授で、国際的なプロジェクトとしてこのクーンブヒマール (Khumbu Himal) 地域のあちこちに天候調査用の機械を設置しているという。今回はそのメンテナンスにやってきたのだそうだ。ダイニングではトランシーバーを持った彼の相棒がロッジの女将さんとポーターのアレンジの打ち合わせをしている。この教授は東京の大学と共同研究をしたり、講演をしたりなど、何度も日本を訪れているとのことで、東京の街の話などをあれこれする。

ローカルバッティに泊まっていた TRB もようやくやってきて、7時25分にロッジを後にする。出がけに、昨日のホットシャワー代とケサブ君と飲んだビール代を支払うが、この中にキッチンを写した撮影代が含まれていたかどうかは謎である。

今回のトレッキングで実際に歩くのは今日が最後になる。ここ、ナムチェバザール (Namche Bazar / 3,346m) から標高 2,850m のドゥードコシ川 (Dudh Kosi River) に架かる吊橋まで、600m 弱を一気に下っていく...、つもりで出発したのだが、まずナムチェバザールのはずれの水場で TRB が水をガブガブ飲んでいる。登りで苦しんだ急な下りにかかっても、TRB がいまひとつ本調子ではないようで遅れがちだ。

さらに少し下ったところ、緊急停止をしながらナムチェバザールに登った日に先に行ったケサブ君が待っていてくれたポイントでアーミーが検問をしている。これはもちろんマオイスト (外務省の危険情報のページを参照) を警戒してのことだが、基本的に外国人トレッカーとガイドはフリーパス。だが、地元のシェルパやポーターは厳しくチェックをされるという。この地域はアンナプルナ (Annapurna) 地方などと比較して、あまりマオイストの危険はないと言われているが、こういうのを見ると、やはりかなり身近な感じがしてくる。しかも、ケサブ君によればルクラ (Lukla / 2,860m) では 19時以降は外出禁止とのこと。マオイストたちは外国人には寄付を要求する以外に手は出さないと明言しているそうだが、夜間に下手に出歩くとアーミーにマオイストと間違われて撃たれる可能性があるのだ。

ジャケットを脱ぐためだけの短いたてを一回はさんだだけで、並み居るほかのパーティをすべて追い越し、ドゥードコシ川にかかる吊橋まで 50分ほどで下っていく。吊橋の手前は橋の取り付きのところがちょっと急な登りになっていて、そこを登りきったところでケサブ君がたてようと言う。ザックを降ろしていると、TRB がフラフラと崖っぷちの方に歩いて行く。ちょっと危険な場所なので大丈夫かなと思って見ていると、いきなりそこでゲロッぱき。何事かと思ってケサブ君に聞いてみると、彼は昨日の晩、彼の泊まったローカルバッティで夜遅くまでロキシー (地元産の焼酎) をしこたま飲んだらしい。ナムチェバザールまで下ってきてホッとしたのか、臨時収入が入ることが分かって舞い上がってしまったのか。なんにしても苦しそうなので、ザックの中からタトパニ (お湯) の入ったテルモスを出して TRB に渡してあげる。彼はテルモスのフタ兼カップにタトパニを入れて、それを口につけずに上を向いて三杯ほど口の中に流し込む。TRB にかかわらず、ネパールの人は宗教的な理由から他人が口をつけたものに自分の口をつけるのを嫌がるというのはガイドブックで読んでいたので、なるほどなぁと思う。でも、ゴラクシェプ (Gorakshep / 5,180m) で彼はおれの食べ残したハッシュブラウンをわしわしと食っていたので、やっぱり今日はゲロッぱきだから敢えて口をつけないように注意してくれたのかもしれない。

TRB が休んでいる間、吊橋を渡るヤクや人などの写真を撮って過ごす。風が強いので、吊橋の端から端まで結び付けられたタルチョがものすごい勢いでなびいている。ようやく出発し橋を渡って川の左岸を下っていくと、今日も昨日、一昨日に引き続きも大人数のパーティが数多く登ってくる。さらに右岸に渡り返す吊橋などは、反対側から来るパーティが多いため、渡るのに順番待ちをしなければならない。渡り始めたら始めたで、すぐに向こう側から次のパーティがやってくるので、最後は走って渡らなければならないと言った始末なのである。

行きには昼メシを食った、ジョサレ (Jorsale / 2,915m) の Everest Guest House の前でブラックティーを飲みながら一服する。テラスの前には川岸に満開のサクラの樹、また、下流側には左岸に渡り返すための高い吊橋が見えている。サクラの写真を撮ったり、その橋の上をヤクが渡ってくるのを待って撮ったりしていたために、あっという間に 30分が過ぎてしまった。

ジョサレを出て、今度は自分たちがその高い吊橋を渡り始めると、向こう側ではヤクの隊列が今まさに吊橋を渡ろうとしている。先頭を行くケサブ君が大声で叫んでヤクを牽制しながら、三人とも小走りにそれを渡りきると、はるか上方に Sagarmatha National Park の国立公園チェックゲートが見えてくる。その急な登りの途中、TRB は反対側からきた男性と何か話している。ケサブ君と二人でオフィスに入り入園許可証のチェックを受け、係員は帳面をめくって行きに記入したページを見つけ、そこに今日の日付を書き込む。
ヤクは高い吊橋を渡りポーターは巨大な荷物を運ぶ

Sagarmatha National Park の入園許可証はこんな感じ オフィスを出ても TRB はまだ来ていないようなのでケサブ君と先に行くことにする。すぐに 30人程の欧米人の高校生と引率者といった感じのパーティとすれ違う。もちろん中にはテント行のパーティも多いのだろうが、これはもう、冗談ではなく上の方ではみんな床の上に寝なければならそうだ。ケサブ君も昨日、一昨日を上回る今日の混雑ぶりにかなり驚いている様子だ。

ケサブ君の友人が働いているというモンジョ (Monjo) のロッジの前を過ぎ、少し下ったチュモア (Chumoa) のもう葉ザクラになってしまったサクラ並木の下で TRB が来るのを待っていると、不思議なことに TRB は空身で歩いてきて、さっき国立公園のゲートの下で話をしていた相手の男性がザックを背負って歩いてくる。追いついた彼らに聞いてみると、なんと TRB の弟だと言う。たまたま会ったのか、それとも迎えに来たのかは分からないが、TRB はこの先空身でルクラまで下れるようだ。まぁ、二日酔いだからそれも良いだろう。しかし TRB の兄弟は何人いるのだろうか。そういえば、ナムチェバザールでぶらぶら歩いているときにも、TRB の兄弟だという男性に会って、「よろしくね」と言われたのを思い出した。その弟の方は、チベットのラサまで行く長いトレッキングにこれから入るのだと言っていた。兄弟みんながそうやってポーターをしていて、常にあちこちを歩き回っているのだとすると、連絡の取りようもないだろうし、今日のように偶然会うことの方が多いのではないだろうかと思う。

実はこの先のルートの登りの時の記憶はあまり残っていない。このコースを歩いたのは、本格的なトレッキングに入ったその日だったので緊張して気合も入っていたためか、ジョサレまでの道であまり疲れた記憶がない。そのためか、ジョサレからパクディンまでの下りが結構長く感じられ、またこんなにアップダウンがあったっけ、というような状態だ。結構登ったのだなと思って感心しつつパクディンまでの道を下っていくと、行きにはあったはずのロッジが火事で全焼して跡形もなく無くなっている。そこでは、ロッジの経営者と思わしき男性と子供が後片付けをしていて、それを見てケサブ君は言葉を失っている。

今回のトレッキングコースで泊まったロッジは、外側は石が積まれた壁になっているところもあるが、基本的に内部はすべて木造建築である。したがって、火災を避けるためロッジ内は全館禁煙なのだ。幸い今回蚊取り線香は必要なかったが、どっちにしてもロッジ宿泊ベースのトレッキングの場合には、どんなに蚊の来襲をうけようと絶対的に室内では蚊取り線香を使うことはできない。次の機会にまたロッジ泊で来るとしたら、防虫スプレーだけで十分と言うことだ。
葉ザクラ並木を行く

パクディンの入り口の吊橋の手前で、一つのパーティを追い越す。そのパーティは両親と子供二人、ポーターが三人という構成だったが、そのうち二人のポーターは大きな籠を背負っていて、子供二人は一人ずつポーターの背中の籠の中で後ろを向いて座っている。二人ともまだ小学校低学年に満たないような子供たちだが、カネに物を言わせてポーターを雇って、そこまでして家族全員で登ってくるというのもなんだかちょっと前時代的な雰囲気なのだった。

吊橋を渡ってようやくパクディンの Namaste Lodge、トレッキング初日の晩に一泊したロッジに到着。昼メシにはチャーと「Hashed Brown with Egg」を注文。行きには見かけなかったロッジの主人が、ケサブ君にファンタを二つサービスしてくれる。ラッキー。

「豪勢にディナー」

ファンタを飲みながら昼メシができるのを待っていると、空にはヘリコプターが行き来している。そういえば、昨日、ナムチェバザールの Nepal Telecommunications Corp. のオフィスで電話の順番待ちをしていたときに、緊急で割り込んできたレスキューの人がいた。タンボチェ (Tengboche / 3,867m) でインド人の女性が滑落して左足骨折との情報だったが、当然その時間には既に風と雲でヘリは飛べず、必然的に救出は今日ということになっていた。さらに、ケサブ君情報によると、昨日もう一人ロブジェ (Lobche / 4,930m) でネパリ (ネパール人) の高山病患者が一人出たとのこと。それで今日は、荷揚げのヘリに加えてレスキューのヘリも飛び交っているようだ。

食事を終わるか終わらないかのうちに、空が暗くなってきて時折雨がパラパラと降ってくる。出発前に自分のカメラザックと TRB (実際には TRB の弟) に背負ってもらうザックにレインカバーをかける。行動中に雪ではなく本格的な雨に降られそうになるのは、トレッキング中で今日が初めてだ。やはりゆっくりと天候が悪化しているのだろうか。ところが、ケサブ君も自分もすっかり出発の準備ができているのに、TRB が戻ってこない。彼と彼の弟はこの辺りのローカルバッティで昼メシを食っているはずなのだが、実際彼らがどこにいるのかはケサブ君も把握していない様子だ。雨もパラパラと降り始めているのでケサブ君もかなりイライラしながら、とうとう痺れを切らして探しに行く。結局、食事が終わってから通算で 30分程待ったころに、TRB の弟をつれてケサブ君が戻ってくる。すぐに出発。TRB は後から追いかけてくるのだろうか。

出発するとすぐに TRB は何か昔あったプラスチックの牛乳ケースのようなカゴを小脇に抱えて追いついてきた。何か仕入れてきたのだろうか。「調子はどうだい?」と聞くと、二日酔いはすっかり良くなったようでニッコリしている。

雨はパラパラと降ったり止んだり。今のところ本降りにはならないが、予断を許さないと言った感じだ。途中 Thado Koshi という地名のところのロッジでお茶を飲み、そこから先はルクラまで、今回のトレッキング中最後の登りとなる。標高としてはパクディンの方がルクラより低いため、散々下った後の最後の最後に登りが待っているのだ。Choplang という集落の手前で、ケサブ君が、
「山の中腹に見えるゴンパの写真を撮らなくていいのか?」
と、わざわざ止まってくれる。お言葉に甘えて三脚を立て、PENTAX 67II に望遠レンズを着けて写真を撮る。

そこからひと登りでルクラのはずれに出る。初日に朝食を食べたルクラの Namaste Lodge には 14時50分ごろ無事到着。トレッキングはここですべて終了となる。ロッジに着く直前から今までよりも強い調子で降りだした雨が、30分もしないうちに本降りの雨になる。間に合ってよかった。さらに、その一時間後には雷雨になってしまったのだから。

外にも出られないので、ロッジの中で過ごす。ケサブ君はようやくシャワーを浴びてきたようでご機嫌。ダイニングでケサブ君に、昨日合意した TRB へのボーナス分 Rs900 を渡す。同時にケサブ君にも彼のアパートの家賃を基にして昨日決めた額をお礼として渡してあげると、彼はさらにご機嫌フェイスになった。その直後に TRB と今日荷物をもってくれた彼の弟がやってきたので、ケサブ君がさっきの Rs900 を TRB に渡すと、彼は「ありがとう」と言って、丁寧に紙幣を数えてジャケットの内側の胸ポケットにしまう。その後、ストーブの周りに座って 4人でビールで乾杯。さらに、昨日ナムチェバザールでケサブ君と、
「明日のルクラでの晩メシは二人で豪勢にやろうぜ!!」
と話していたので、ケサブ君と何を食べるかメニューを見ながら決める。その豪勢なメニューにケサブ君は大はしゃぎで大声でメニューを叫びながらキッチンに入っていく。

その晩メシができてくるまでの間、TRB に誘われて彼の店、初日の朝 TRB が荷物を取りにいった、「ベーカリー兼居酒屋」にケサブ君と行くことにする。雨の中を走って彼の店に行くと TRB の奥さんがお茶を持ってきてくれる。それを飲み、三人で記念撮影をした後にケサブ君と二人でロッジに戻る。

ロッジに戻るとすぐに晩メシが次から次へと出てくる。ちなみにメニューは、

とすべて二人分。ものすごい量の晩メシを注文したことになる。さすがに、全部は食べられず卵焼き大の大きな春巻きは途中でギブアップするが、気を遣ってくれたのかケサブ君は自分の分を全部平らげる。もちろん、缶ビールもお互い三本ずつぐらい飲んでいるからもうお腹はパンパンなのだ。そして食後に、例のムスタンコーヒー。コーヒーに砂糖とバターとロキシーを入れたもので、ものすごく強い味でさすがに全部は飲めなかった。

ロッジには従業員かロッジの娘か、高校生ぐらいの女の子が三人いてダイニングでケサブ君と話をしている。そのうち一人はどう見てもケサブ君にホの字だ。でも当の本人 (ケサブ君のこと) は全然そんなこと気にしていない様子で、ほろ酔い気分で話をしていて見ていてとても面白い。さらにロッジには三歳ぐらいのちっちゃな女の子もいて、この子はこっちに何かと話し掛けてきたり、おもちゃを持ってきてくれたりするので、彼女はおれにホの字なのだ。何となく不公平な感じはしつつもこっちはこのちっちゃな女の子の方の相手をして過ごす。

21時過ぎに寝たような気がする。酔っ払っていたので時間を記録するのを忘れた。


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