ヒマラヤトレッキング日記
〜 カラパタール / EBC トレッキング編 〜


2004/4/5 (Mon)

夜半雪、のち晴、のち午後から雪

起床(4:40) → Gorakshep (5,180m) / Mount Garden Kalapather Guest House 発(5:00) → たて (5:28〜5:33) → たて(6:23〜6:28) → Everest Base Camp (5,350m) 着(7:30) → Everest Base Camp 発(8:50) → たて(10:07〜10:13) → たて(10:25〜10:29) → Gorakshep / Mount Garden Kalapather Guest House 着(10:45) → 朝食兼昼食(11:00) → Gorakshep / Mount Garden Kalapather Guest House 発(11:45) → たて(12:07〜12:12) → たて at 5,000m (13:00〜13:07) → Lobuche (4,930m) / Above the Clouds Lodge 着(13:17) → Lobuche / Above the Clouds Lodge 発(13:40) → たて at 4,850m のモレーンの慰霊碑(14:05〜14:10) → Tukla (4,620m) 通過(14:35) → たて at Phulong Karpo (4,343m) / Ama Dablam Lodge (15:10〜15:25) → Pheriche (4,215m) / Himalayan Hotel 着(15:50) → 夕食(18:30) / 就寝(21:00)

(Gorakshep 〜 Everest Base Camp 〜 Gorakshep 歩程: 5時間45分 / Gorakshep 〜 Pheriche 歩程: 2時間10分

「エベレストベースキャンプへ」

夜中に息苦しさと頭痛で何度も目が覚める。寒いのでシュラフの口をしめて寝ていたが、そもそも酸素が半分しかないところでそんなことをしたために、ますます酸素が欠乏したのかもしれない。シュラフの口を開けて目一杯空気を吸うと、スーッと頭痛は引いていってすぐにまた寝られるからだ。
「『高山病で息苦しくて寝られない』というのはまさにこのことなのだろうか。もう一つの可能性として、自分は無呼吸症なのではないかというのも考えられる。だとすると、これを治さないとこれ以上高いところへ登るのは自殺行為になってしまう。一度ちゃんと調べてみなければ...」
などと考えていたわけではないが余り寝付かれず、4時40分にシュラフから出て外のトイレに行く。そういえば、夜中に何度もトイレに出て行く人の足音を聞いたが、ポーターなのかガイドなのか、みんなドアを開けて出てすぐのところでしてしまっているようだった。まぁそういう文化なのだろう。

昨日からの雪は止んでいて月明かりに山が輝いている。もうちょっと早起きして写真を撮っておけばよかったなぁ、と思いながら部屋に戻るとちょうどケサブ君が起きてくる。見るとまたしても TRB が後ろに立っていて、エベレストベースキャンプ (Everest Base Camp / 以下 EBC / 5,350m) までも一緒に行ってくれるようだ。まったくもってあり難いことだ。彼らは寒いドミトリーに泊まっていたようで、相当寒かったようだ。

Pumo Ri に朝日が ダイアモックスを飲み、ケサブ君の荷物をこっちの部屋に置いて鍵をかけ、まだ薄暗い中をヘッドランプを点けて出発する。昨日の夜はケサブ君もちょっと頭が痛かったそうだが、今朝は二人とも体調は絶好調だ。昨日、高度順応がてら偵察に行ったクーンブ氷河 (Khumbu Glacier) のサイドモレーンを超えて氷河の内側に下りていく。といっても、そのまた向こうに小高い尾根上のモレーンがあるので、結構アップダウンが激しく体力を消耗する。

すぐ横に見えているプモリ (Pumo Ri / 7,161m) の山頂辺りには、恐らく 6時過ぎに朝日があたり始めるはずなので、写真を撮るタイミングを逃さないように左上方に注意しながら進んでいく。6時、予想通りプモリの山頂付近に朝日が当たり始めたので、すかさずケサブ君と TRB にストップをかけて FUJI GS645S で手持ちで撮影。

その後道は本格的に氷河の氷の上を通るルートになってくる。相変わらずアップダウンは多いが、結構氷がそのまま露出している部分もあって余計に歩きにくい。その代わりと言ってはなんだが、氷河の上ではルートを見失うことはまずない。なぜならば、ルート上には累々とヤクの糞が落ちているので、それをたどっていけばまず道を間違えることはないと言うわけだ。それに仮にルートを外れたとしても、そこには今度は人間のウンコが落ちているのですぐにルートを外れたことが分かってしまう。

氷河の上で氷が融けるとこうなるものなのだろうか、針のように尖った氷柱が無数に林立している。PENTAX 67II と三脚を出し、ケサブ君と TRB には双眼鏡を渡して寒い中を待っててもらい、その氷柱郡の写真を撮る。

辺りは静まり返っているが、時折どこからともなく「コンッ...!!」という音が響いてくる。今この瞬間にも氷河が流れている証拠なのだ。
氷河の上は針山のよう

アイスフォールの下にヘリコプターの残骸が横たわる 写真を撮り終え、EBC 手前の最後の小高い氷河上の丘を超えると、その向こうにはアイスフォールを背にヘリコプターの残骸が無言で横たわっている。さらに、その向こうは色とりどりのテントが張られている EBC である。200張ぐらいあるだろうか。国旗を掲げているテントもいくつもあって、各国からの遠征隊で賑わっていることが見て取れる。

その EBC の中で一番高いところにザックを降ろす。気温は摂氏氷点下 6度。微風だがこのせいで体感温度は若干下がる。こっちは撮影の準備で忙しく寒さなど微塵も感じないが、TRB とケサブ君はこの寒さにブルブル震えている。これから少なくとも一時間程は待って貰わなければならないため、ザックの中からタトパニ (お湯) の入ったテルモス、板チョコ (残念ながらアーモンドチョコは既に品切れ)、ドライフルーツ、そして、極めつけのホカロンを出して二人に渡す。ケサブ君と TRB にホカロンの使い方を教えて (「封を切ってシェイクしてね!!」と言っただけだが...)から、三脚を立てる。

ちなみに、ここ、EBC からは目の前のアイスフォールやヌプツェ (Nuptse / 7,855m) から落ちる氷河、プモリから連なるリントレン (Lingtren / 6,697m) やクンブツェ (Kumbutse / 6,640m) などの展望は圧巻だが、エベレストの山頂やサウスコル (South Col / 7,986m) は見ることができない。よくエベレストの登頂に関する番組で頂上付近の映像を超望遠で撮っているが、それはベースキャンプからの映像ではないということだ。しかも、カラパタール (Kala Pattar / 5,545m) でも同様だが、朝のこの時間、太陽はエベレストの真後ろから登ってくるため、エベレストの下にあるアイスフォールも当然逆光となってしまう。当初は今日の午前中、カラパタールに再度登って写真を撮ろうかと考えてもいたのだが、いずれにしても逆光で写真にはあまりよい条件ではないので、天候が続くうちにとにかく EBC にも到達しておこうということで今現在ここにいるわけである。

ひとしきり写真を撮った後、双眼鏡を覗いてアイスフォールの辺りを見ていると、上から下ってくる数人パーティーが双眼鏡の中に小さく見えるではないか。テレビや映画などで見るのとは一味違った、現場の緊迫した雰囲気がそのまま伝わってくる感動の映像なのである。すぐにケサブ君に双眼鏡を渡して見せてあげると彼も喜んで覗いている。TRB はというと、いつの間にか姿を消してしまった。その辺りの遠征隊のキャンプにポーター仲間のいるテントでも見つけたのであろう。

「有難いおもてなし」

EBC のタルチョと Lingtren PENTAX 67II で 220 フィルム 6本分程を消費したころだろうか、
「お茶、飲んでいきませんか?」
と日本語で話し掛けてくる人がいる。Everest Summiteers Association のプレジデント、Wongchu Sherpa さんであった。英語に切り替えて色々と話を聞いてみると、驚いたことに彼の会社は例の 1996年 5月の例の大量遭難事故の同時期に撮影に入っていた IMAX での映画、“Everest”の撮影隊のサポート、1985年には邦画、『植村直己物語』(公開は 1986年)のサポート、などを行い、さらに NHK の番組撮影協力のため来日して、富士山と槍ヶ岳にも行っているとのことで、やたらと話が弾んでしまう。今はハリウッドの映画制作のサポートをするために、このベースキャンプの映画村を仕切っているのだといって指し示してくれたところには、50〜60張程のテントが設営されている。それらを彼の会社が一括でマネジメントしているのだという。アイスフォールを前に、登頂隊がどういうルートを通って登っていくのか、C1 〜 C4 はどの辺りなのか、など、現場でなければ聞けないような話を色々と教えてもらう。最後に名刺をもらって再度お茶に誘われるが、
「まだ写真も撮りたいので...」
と言って丁重にお断りする。

そうこうしているうちに太陽が上の方まで上がってきて、アイスフォールやヌプツェの氷河にようやく斜光線が当たり始めた。よっしゃー、ということで撮影を再開してしばらく撮っていると、さっきの Wongchu さんがなんと後ろにポットとカップを手に持ったもう一人のシェルパを従えて来てくれた。テントまで行くのを断ったので、わざわざお茶を運んできてくれたのだ。これには寒さで震えながら写真を撮るのを待っていてくれたケサブ君も大感激。Wongchu さんは、高山病の予防のために、もっと飲めもっと飲め、としきりにお茶を勧めてくれるので、ケサブ君と二人で何杯もお茶を御馳走になる。お茶を飲みながら話している間にも、Wongchu さんの胸のトランシーバーでは、C1、C2 への荷揚げを行っているメンバーとベースキャンプとの交信が頻繁に入ってくる。さっき双眼鏡の中で見ていた人たちの声が、今、実際にこの場に聞こえてきているというのは、なんだかとっても感動的なのだ。

写真もひとしきり撮り終わり、TRB も戻ってきたので 9時前に下山を開始する。この標高にこれ以上留まっても、体調は悪化こそすれ決してよくならないからだ。写真を撮りながら氷河を超えてゴラクシェプ方面に向かう。既に日が高く上っているので、朝の幻想的な氷河とは一変して、妙にあっけらかんとした風景が広がっている。EBC という「目標その二」を好天のうちに達成してしまったので、気分も実に開放的だ。
アイスフォールは圧倒的な迫力なのだ

エベレストともしばしのお別れ ゴラクシェプの手前のサイドモレーンを登り返していると、デウチェ (Deuche / 3,700m) のロッジで一緒になったアメリカ人のカップルとぱったり出会う。
「あらまぁ随分早起きしたのね!!」
「ゴラクシェプを出たのは朝の 5時だよーん。」
「お〜っ!!」
てな感じで言葉を交わして別れる。彼らはこれから EBC に向かうのだ。

ここを過ぎると、タンボチェ (Tengboche / 4,867m)、若しくは、ナムチェバザール (Namche Bazar / 3,446m) の手前までエベレストとはお別れということになる。少しずつヌプツェの陰に隠れて見えなくなっていくエベレストを惜しみつつ、写真に撮りながらサイドモレーンを登っていく。ヌプツェには既にかなり雲がかかっている。

「一気に下るぞ」

10時45分ごろゴラクシェプのロッジ、Mount Garden Kalapather Guest House に到着。朝食兼昼食にガーリックスープと野菜チーズ入りヤキソバを注文してから、部屋に戻ってザックのパッキングをする。カラパタールと EBC、そして高山病には別れを告げて、今日はペリチェ (Pheriche / 4,215m) まで下るのだ。予定では今日はロブジェ (Lobuche / 4,930m) まで下ることになっていたが、明日の行程を稼ぐためと、夜の寒さから逃れるために (これは主にケサブ君と TRB の希望)、より標高の低いペリチェまで下ってしまおうというわけである。

この季節、午後以降は連日必ず風と雪で夕照のエベレストをフィルムに収められる見込みはほぼ 0% に近く、また、朝日は完全逆光なのでモルゲンロートに輝くエベレストなどというのも論外だ。こうなってくると、日の出の時間に確実に朝日が当たるローツェ (Lhotse / 8,516m) をどうしても撮っておきたくなってくるのである。遅れなく行程が進んでカラパタールと EBC を達成した暁には再びチュクンに登り返して朝の写真を撮るために一泊したい、という話はあらかじめケサブ君にはしてあるので、とにかく今日はペリチェまで下ってしまおうという彼の意見に同意する。

例のどことなく筧利夫に似ているロッジの主人の写真を撮らせてもらって、ロッジを出ようとするとケサブ君が申し訳なさそうにやってくる。そういえば昨日の晩、ケサブ君と TRB には、カラパタールに登頂させてもらったお礼に食後に何でも好きなものを飲んでちょうだい、と伝えてあったのだった。ビールでも飲むのかと思ったら、やっぱりお酒は遠慮したようで、二人でコーラが一本ずつ、合計 Rs600 だったとのこと。日本円に直せば日本の北アルプス辺りの相場と対して変わらないのだが、彼らにしてみると街中のコーラのざっと 30倍近い値段なわけで、目ん玉が飛び出るような値段なのだ。恐縮するケサブ君に、
「いいからいいから、気にしないでね。」
と笑顔で答えながら支払いを済ませる。
どことなく筧利夫に似ている Mount Garden Kalapather Guest House の主人

1時間半ほどで、一昨日泊まったロブジェの Above the Clouds Lodge に到着。着く前からチラチラと降っていた雪は中に入ってチャーを飲んでいるうちに、結構本格的に降ってきた。ロッジを出ると雪で展望も殆どなく、あとはひたすら下るのみ。あっという間に慰霊碑のところを過ぎ、どんよりとした不吉な感じの雲の沸くアマダブラム (Ama Dablam / 6,812m) を見ながらトゥクラ (Tukla / 4,620m) の手前のモレーンを一気に駆け下る。トゥクラでも特に休憩は入れずに、ディンボチェ (Dingboche / 4,350m) から登ってきた道と別れて、ペリチェの方面へがしがしと下っていくと、前の方に見覚えのある O 氏とそのガイドの姿が見えてくる。そういえば、ゴラクシェプのロッジでは会わなかった。やぁやぁ、としばらく歩きながら話をした後に、スピードの速いこっちの三人は先に行かせてもらう。

谷の底に殆ど下りきったところにあるプロンカルポ (Phulong Karpo / 4,343m) というところで、今回のトレッキングでいくつ目だろうか、またまた Ama Dablam Lodge という名前の茶屋で休憩。ケサブ君がチャーとクラッカーを注文してくれる。TRB はロッジ確保のために先に行く。クラッカーをかじりながらお茶を飲んでいると、O 氏が追いついてくる。カトマンズに戻ったらメールでやり取りをして飲みに行こう、という約束をして別れる。その後、彼とは抜きつ抜かれつしながらペリチェまでたどり着き、Himalayan Hotel という名のロッジに入る。O 氏も数分後に現れ、結局同じロッジに泊まることになった。

ダイニングでお茶を飲みながら、ケサブ君と明日以降のスケジュールを確認する。今日、ペリチェまで到達しているので、明日、チュクン (Chhukung / 4,730m) まで登り返して、明後日の早朝に写真を撮り、そのまま一気に下ってしまえば二日分あった予備日のうち一日は使わずに済む。もう一日分は既にディンボチェで下痢で寝込んだ日に使ってしまったのだ。

と言うわけで、今後の日程は天候が荒れない限り以下の通りになるはずだ。

4/6:Chhukung
4/7:Tengboche
4/8:Namche Bazar
4/9:Lukla
4/10:Kathmandu
4/11:cancel

とは言え、今日は随分早い時間から雪が降ったりして天気が荒れているので、いつまで天気がもつのかちょっと心配ではある。カラパタールの下りで見た雷鳥 (に似ている鳥) の姿が脳裏をかすめる。

18時半にお願いしてる晩メシが来るまでの間、ダイニングで O 氏とあれこれと話をしているとそこへ彼のガイド君がやってくる。彼はカトマンズの大学で日本語を専攻しているようで(つまりこのガイドは春休みのアルバイトなわけなのだが...)、トレッキングだというのに日本語の勉強用のノートを何冊も持ってきている。戻ったらすぐに試験があるそうで、彼のノートには日本語と対訳の英語とネパール語がびっしり書き込まれている。もちろん漢字は使われていなくてひらがなとカタカナ書きなのだが、結構難しい慣用句やことわざまで勉強しているのにはとても感心した。ことわざなどはある意味実用的なものばかりで、ビジネスや観光上の日本人とのコミュニケーションを最前面に押し出した形の教育がなされているのだなぁと実感する。O 氏と二人で、ガイド君の試験勉強に付き合って、ネパール語の単語を英語経由で日本語の発音に変換していくという作業を手伝っているうちに食事が出てくる。今日はガーリックスープとカレーライス、そしてブラックティー。高度が下がったことで、久々にカレーライスのようなものを食べる食欲が出てきた。

食後、二日ぶりに顔を洗う。帽子からはみ出ていた耳たぶが日焼けして、さらに水ぶくれがやぶれてひどい状況になっている。さらに部屋に戻って靴下を脱ぎ、左足のアキレス腱のところに湿布を貼る。どうやら EBC からの下りで足を痛めてしまったらしく、ロブジェから下の一気下りでは結構痛みがあったからだ。部屋には電灯がついているが、点けても申し訳程度の明るさしかないのでヘッドランプでの作業。そういえば、個室に電灯が点いているのもディンボチェ以来だ。

21時に就寝。寝るときは激しく暗かったので消すのを忘れていた明かりが、22時ぐらいに目を覚ますと煌々と点いていたので、一旦シュラフから出て電気を消してから再び寝る。


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