ヒマラヤトレッキング日記
〜 カラパタール / EBC トレッキング編 〜


2004/4/4 (Sun)

夜半雪、のち快晴、のち 12時過ぎから曇りと強風

トイレに起きる(2:30) → 起床(5:30) → 朝食(6:00) → Lobuche (4,930m) / Above the Clouds Lodge 発(6:30) → たて at 5,050m (6:53〜7:00) → たて at 5,225m (7:45〜7:55) → たて (8:25〜8:30) → Gorakshep (5,180m) / Mount Garden Kalapather Guest House 着(8:45) → 昼食(9:15) → Mount Garden Kalapather Guest House 発(9:40) → たて at 5,450m (10:25〜10:35) → Kala Pattar の上のピーク (5,650m) 着(11:30) → Kala Pattar の上のピーク発(12:30) → Mount Garden Kalapather Guest House 着(13:15) → 高度順応のため散歩(14:55〜15:45) → 夕食(18:30〜19:00) → 就寝(19:30) → トイレに起きる (22:30)

(Lobuche 〜 Gorakshep 歩程: 2時間15分 / Gorakshep 〜 Kala Pattar 〜 Gorakshep 歩程: 3時間35分

「早く行かなきゃ」

2時半にトイレに行きたくなって起きる。ダイアモックスの利尿作用の影響かここのところ夜中にトイレに行きたくなることが多い。トイレは外にあるため小屋の外に出る。夕方から降っていた雪は止み空は晴れ渡っていて、ほぼ満月に近い月明かりにロブジェ (Lobuche / 4,930m) の正面に見えるコングマツェ (Kongma Tse/ Melhra / 5,820) が白く輝いていてとても美しい。部屋に戻ってカメラを取って来たい衝動に駆られるが、周囲が寝静まっているこの真夜中にベニヤ板一枚の壁で仕切られた個室の中でがさごそとカメラや三脚を出すのは余りにも非常識かと思い泣く泣く諦める。こういうことがあると、やはりテントで来ればよかったなぁと思ってしまう。明日以降、夜間の景色を撮るために三脚にカメラをセットした状態で寝ることにしようと心に決めながら部屋に戻る。

Khumbu 氷河を見下ろす 5時半に起きてザックをパッキングし 6時に朝食。念のため安全策をとってトーストのみにしたが、今のところお腹の方面にヤバイ兆候は何もなく、下痢は完璧に治ったのだなという実感が沸いてくる。朝食のときに昨日の O 氏に会って言葉を交わすが、出発の時点ではちょうど彼が荷物を取りに部屋に入っていたので、そのまま挨拶もできずに別れてしまった。まぁ、いずれまたどこかで会うだろう。

歩き出すと昨日のサイドモレーンへ往復の高度順応が効いたのか、調子はすこぶるよく、また、午前中になんとしてでもカラパタール (Kala Pattar / 5,545m) まで到達しなければならないという気持ちから、ペースは自ずとこれまでに無いほどに速くなってしまう。後ろを振り返るとクーンブ氷河 (Khumbu Glacier) が朝日に白く輝いている。日の当たる方向は氷が融けやすいためか、昨日サイドモレーンから見上げたときよりも、岩くずが目立たず断然氷河っぽく見えるのだ。チョラツェ (Cholatse / 6,440m) やタウォツェ (Tawetse / 6,501m)、カンテガ (Kantega / 6,799m) など、見慣れた山を遥か見渡しながら、
「しかしまぁ随分歩いたものだなぁ...。」
と悦に入りながらひたすら先を急ぐ。今日もダイアモックスが若干効きすぎのようで、手足の先がジンジンと痺れている。

日もすっかり昇り、二回のたてとケサブ君のトイレ休憩をはさんで 7時45分の時点で気温は摂氏 14度とさほど寒くは無い。氷河に落ちる半分凍った沢を渡り、ちょっと急な斜面を登ったところで、下ってくる日本人のおじいさんに遭遇。
「あれ、あなたどこかで会いませんでしたっけ? あ、違った違った。よく似た人にね、会いましたよ。」
といきなり話しかけられる。確かに、どこかで会ったような気もする...。
「はぁ、そうですか。お疲れ様です。上はどんな感じでしたか?」
「うん、よかったよー。特に昨日と今日は最高だね。でもねぇ、午後はダメだよぉ。風が出てくるからねぇ。カラパタールはねー、朝行かないとだめね。でもねぇ、朝だとこれが逆光なんだよねぇ...。」
一瞬の会話なのにものすごい量の情報を詰め込まれる。と同時に、やはり急いで上がらねばという焦りが強まってくる。奥さんが追いついてきて会話は終了。後でよーく思い出してみたら、彼らはカトマンズの空港の入国審査で目の前に並んでいた老夫婦だったのだ。見覚えがあるわけだ。

その後一回の短いたてをはさみ、ようやくゴラクシェプ (Gorakshep / 5,180m) が見えてくる。その向こうにはルートのついた黒い丘がどーん、さらにその向こうに白いプモリ (Pumo Ri / 7,161m) が聳えている。
「あ...、あれがカラパタールに上がるルートだよね...?」
とケサブ君に恐る恐る尋ねると笑顔で、
「イエ〜ス!!」
と返ってくる。まさに「エグそう」の一言に尽きる。
Gorakshep が見えてきた

8時45分にゴラクシェプのロッジ、Mount Garden Kalapather Guest House に到着。コースタイム 3時間半のところを 2時間15分でぶっ飛ばして来たことになる。ここのロッジに不要な荷物はデポして、カメラと三脚のみを持ってカラパタールに向かうのだ。頭の中は雲が出る前に写真を撮ることで一杯で気が急いてしまい、ケサブ君には、
「さぁ今すぐカラパタールに上がらなくっちゃ!!」
と言うが、
「少なくとも登りに二時間はかかるから、先に昼メシを食べたほうがいいよ。」
と言われて、それではと腹ごしらえをすることにする。ロッジの主人は出かけているようで、ロッジの子供が手際よく料理を作ってくれる。現地の子供たちは大人と同様にロッジ仕事をこなし、ガイドやポーターも彼らを大人同然として扱っていて、大人と子供のとてもよい関係を見ている気がする。「Hash Brown」を注文。隣で TRB はミルクティーに彼の荷物の中から出したものをパラパラと入れてスプーンで食べている。これは米を叩いて炒った保存食で「チウラ」というのだそうだ。数粒もらって食べてみるとお煎餅のような味。そりゃそうだ。こっちの頼んだ Hash Brown はお皿大のとても大きなのが出てくるが、ここのところ食欲もあまりなく半分ぐらいしか食べられない。そういえば昨日の晩メシを例の「Rana Noodle」一杯で済ませているのを見て、O 氏はかなり驚いていたが、下痢をしてからというもの極端に食が細くなってしまった。まぁこれは後になって高山病の症状でもあったのだなということに気がつくのだが...。足元ではロッジのイヌが鼻をくんくんいわせて笑顔でこっちを見上げている。さすがに残った Hash Brown をあげるのは問題だろうなと考えていると、ケサブ君が TRB に残った半分を食べるかどうか聞いてくれる。TRB はあっというまにペロリと食べてしまった。

「遂にカラパタールへ」

Nuptse の肩に Everest が見える 昼食を終え、9時40分にロッジを出発。有難いことに、今回も TRB がカメラザックを背負って一緒についてきてくれると言う。三脚とカメラを自分で持ち、これまで自分で使っていた LEKI のストックを一本ずつケサブ君と TRB に渡してあげる。二人ともとても有難がって嬉しそうに長さを調整している。使ったことはないのだろう。

いよいよ、今回の目的地、カラパタールへの最後の登りが始まる。ところが今日もケサブ君はいまひとつ本調子ではない様子で、かなり苦しそうに 10分につき 1たてペースで登っていく。しかしこっちは天候と写真のことが気になって、どうしても速度が上がってしまい、ケサブ君よりも前に出てしまった。一番重いカメラザックを担いでいる TRB はさすがになんとも無い様子でガンガン登っていく。

40分程登ったところで、ようやく手前に立ちはだかるヌプツェ (Nuptse / 7,855m) の肩の辺りからエベレスト (Everest / Sagarmatha / 8,848m) の三角形が顔を出してくる。カラパタールの一番上に着く前に万が一雲が出てきてしまった場合のことを考えて、ここで三脚を立てて PENTAX 67II で押さえの写真を撮っておく。

ケサブ君は相当バテている様子で、ザックを背にしてひっくり返って休んでいる。ひょっとしたら、軽い高山病にかかっているのかもしれない。前にも書いたが、ポーターはシェルパ族など現地の人だが、ガイドはいわゆる普通のネパール人であることが多いため、彼らも我々同様高山病にかかるのだ。もちろん、ガイドたちは比較的頻繁にトレッキングに来ているので、高山病にかかる率はツーリストよりは少ないはずだが。

あとから登ってきた別のトレッカーがケサブ君をからかっている。
「君はガイドだろ? なんだってそんなところでひっくり返ってるんだ?」
「ぢがれだ〜」
とケサブ君。ところで、通常ガイドはゲストの後ろを歩くが、ナムチェバザール (Namche Bazar) への登り以来、基本的にケサブ君と TRB には先を歩いてもらっている。こっちはケサブ君よりもでかくて重いカメラザックを担いでいるので、どうしても遅くなりがちなため一番後ろから行くほうが気を遣わなくてすむからだ。もちろんこれはこれで全然問題ないのだが、登っていてすれ違う反対側から下ってきた欧米人のトレッカーは、通常は後ろを歩いてくるはずであるガイドのケサブ君に先に遭遇し、しかも後ろからは彼よりも大きなカメラザックを担いだシェルパ族に顔の似た日本人が登ってくるため、結構単純に勘違いしてしまうようだ。結果、ケサブ君には、
“Hello!!”
と挨拶をし、こっちには、
“Namaste (ナマステ) 〜!!”
と声をかけてくるというようなことが頻繁に起こる。まぁ、別にこれもこれでいいのだが。
カラパタールの最後のひと登りはめちゃくちゃきつい

Kala Pattar からの Everest 調子の悪そうなケサブ君には無理をせずゆっくり登ってくるように言い残し、こっちは写真を撮るために、TRB とカラパタールを目指して先行することにする。カラパタールとは丘全体のことを指すようで、辺りには緩やかな二つのピークがある。地図上に記載されている標高 5,545m のカラパタールは手前のロッジに近いピークのようだ。実際のルートはそれよりさらに先に進み、標高 5,650m 付近にある、タルチョの張り巡らされた小さなピークまで続いていて、たいていのトレッカーはそっちを目指してひたすら登っていく。

その二つのピークの鞍部で今まで見えなかった反対側、チャングリ氷河 (Changri Shar Glacier) 側の写真を撮りながら TRB と立ったまま休み、すぐに最後のひと登りにかかる。

既に標高 5,500m を優に超えているため、空身に三脚とカメラだけという装備にもかかわらず、登りの一歩一歩を踏み出すのが極端に辛くなってくる。高度計の気圧表示のメモリを見ると 500hpa、つまり地上の半分の空気しかないわけだ。しかしながら、とにかく雲と風との追いかけっこなので、ここぞとばかりに死に物狂いで上がっていくと、ゴラクシェプのロッジを出て 2時間弱、午前 11時半にようやくカラパタールの上のピークに到着する。遂に目的その一を達成したわけだ。今のところ、雲もさほど無く、風もまだ出てきていない。

大急ぎで三脚を立てようとしていると後ろに落っこちないように TRB が支えてくれる。人が 3人ほどしか立っていられないぐらいの、その狭いピークのある尾根の西側、チャングリ氷河側は下の方に見える氷河湖まで鋭く深く切れ込んでいて、確かにここから落ちたらひとたまりも無い。レンズ交換をする時にも、TRB が近くでレンズやその他の機材が落ちないように見張っててくれるので安心して写真を撮っていられる。本当に有難いのだ。

エベレスト方面の写真をフィルム一本分程撮ったところで、ようやくケサブ君が到着。残念なことに今日はロッジにデポした荷物の中に双眼鏡を忘れてきてしまったので、沢山のテントが見えるエベレストベースキャンプ (Everest Base Camp / E.B.C. / 5,350m) やエベレストの山頂方面などを眺めていてもらうことができない。写真を撮っている間、そこで待っていてもらわなければならない二人のために、ザックからアーモンドチョコレートを一箱出して渡す。
Everest Base Camp とアイスフォール

カラパタール 5,545m のピークと Ama Dablam 45分ほどで、PENTAX 67II でフィルム三本分、FUJIFILM 645 で一本分を消費し、そろそろとるべきところは撮ったかな、と周りを見回そうとした矢先、日の光がちょっと陰った気がして空を見ると、やおら雲が出てきてあっという間に風が強くなってきた。既にヌプツェは半分雲に隠れかけてきている。

この強風の中、足場の不安定なピーク上に留まっていると危ないので、ちょっと下の比較的風の来ないところところまで下り、エベレスト、ヌプツェが隠れないうちに三人で記念撮影をする。とは言え既に相当風が強くなっているのでセルフタイマーで写真を撮るにも、風で三脚が動かないタイミングを見計らうのが難しい。さらにケサブ君のリクエストに応えて、彼一人でエベレスト、ヌプツェをバックにした写真を 6×7判でとってあげる。もちろんあとでプリントして送ってあげる約束だ。そうこうしている間にも、もう既にヌプツェは雲の中に隠れて行こうとしている。なんとも間一髪という感じ。もう一時間到着が遅くなっていたら、エベレストの写真もかなり危ういところだった。それにしても、出発前に行った立川の諏訪神社の御守のご利益か、カトマンズでスワヤンブナートの露店のおっさんに売りつけられた曼荼羅模様の御守のご利益か、なんにしても今日に限っては風と雲が出てくるのがいつもよりも遅く、しかも空気もいつになく澄んでいて写真を撮るにはまたとない絶好の天候だったのだ。

既に写真を撮れる日差しでも穏やかさでもなくなってきたので、さっさと下り始めることにする。この頃になって、何だか頭の前の方が痛いなぁと思うようになってきていたが、風で帽子が止まらないようにきつくしめていたのが原因だろうと思い、帽子の後ろのベルトを緩めるなどして一路ゴラクシェプを目指して下っていく。ゴラクシェプのロッジが見えるところまで下りてきたところで、数羽の鳥がルートに近づいてくる。よく見ると、日本のライチョウにそっくりな鳥で地面の土の中の何かを啄ばんでいる。写真を撮ろうと近くまで寄っても全然逃げる様子もなく、警戒心は強くないようであった。

日本の北アルプスなどでライチョウが人の通る登山道まで出てくると、必ずその後の天候は崩れると言われている。これについては今までの経験上、実際にかなりの確立で当たることを実証済みだ。もし、このライチョウに似た鳥がヒマラヤ産のライチョウだったとすると、嬉しい反面ちょっと今後の天候が心配になると言うものだ。せめて明日のエベレストベースキャンプ行きまでは天気が持ってくれることを祈りつつ、ゴラクシェプのロッジへの最後の下りを下っていく。

ヒマラヤのライチョウ (?)

「とうとう高山病発病」

13時15分に Mount Garden Kalapather Guest House に戻る。この頃になると、頭痛は帽子のせいではないということがはっきりしてきた。恐らく高山病であろう。なんといっても、今日は標高 4,930m のロブジェから、カラパタールの上のピーク、標高 5,650m まで高度差 700m 余りを一気に上ってしまった。一日に 500m 以上高度を上げてはいけないというご法度を侵してしまったわけだ。しかも、写真のことで頭がいっぱいだったために、一日に 4L 摂らなければいけないと言われている水分も十分に摂らず、ペースも今までで一番早いのではないかというハイスピードであった。これで高山病の症状が出ない方がおかしいと言える。仕方がないのでカラパタール往復で砂まみれになったカメラを、ダイニングで掃除しながらロッジでもらったタトパニ (お湯) をがんがん飲んでいく。

宿泊客ではなさそうな人が外からビデオカメラのバッテリーを持って入ってきて、ロッジの主人に充電ができないかと尋ねている。なんと一時間 Rs500 との答え。電力は貴重なのだ。ここゴラクシェプにも当然電気は来ていないので、電力はもっぱらソーラーパネルによるバッテリーへの充電によって賄われているのだ。その貴重な電力をビデオのバッテリー充電に使うのはなんとももったいない気がするが、彼は大枚を叩いて充電を依頼するつもりのようだ。

相変わらず、こめかみの辺りの頭痛はなかなか取れない。クスリを処方してもらうときに医師に確認はしていて大丈夫だとは思うのだが、それでもダイアモックスを服用しているので頭痛薬との併用は、「もう耐えられません」、という最悪のケースになるまで避けたいと思う。高山病の症状が出たら、『部屋で寝たりせず辺りを歩き回って身体に活力を与えること』とガイドブックに書かれていたのを思い出し、やはり歩き回るのが一番だろう、とカメラを持って外に出る。ケサブ君には一応、
「高山病の症状らしき頭痛がするのでその辺を歩き回ってくるからね。」
と伝える。ちょっとだけ心配そうな顔をしている彼をおいて外に出る。

せっかくなので、明日の朝往復することになっているエベレストベースキャンプへのルートを偵察に行くことにする。そっちの方向を目指して、カラパタールの丘とクーンブ氷河のサイドモレーンの間の広いアブレーションバレー (Ablation Valley / 氷河側谷: サイドモレーンと山の斜面との間にできる谷) を歩いて行く。道はいくつかの慰霊碑を見ながらサイドモレーンを登っていく。頭痛に悩まされながら苦労してそのサイドモレーンの上まで登ると、その向こう側はクーンブ氷河の内側に向かって下り坂。

向こうからやってきた数人のパーティの最初の一人がすぐ足元まで登ってきて、
「ゴラクシェプまではあと30分ぐらい?」
と苦しそう尋ねてくるので、
「心配ないよ。もう10分かからないところだよ。ベースキャンプから来たの?」
と返すと、
「あぁ、よかった。ありがとう。決して難しいルートじゃないんだけどアップダウンが多くてね。これが辛いんだよねぇ...。」
と語って、彼は嬉しそうにロッジの方に向かっていった。彼らをやり過ごし、しばらくそこでボーっと景色を眺めていると、ひげを生やしたシェルパらしき男性が一人向こうからやってくる。彼とも何となく立ち話をするうちに、実は高山病で頭がいたいのだということを伝えると、
「頭痛がするのは前の方? それとも後頭部? もし前の方だったらそれは誰でもなる頭痛だから心配ないよ。でも、もし後頭部が痛いんだったら、今すぐ下ったほうがいいね。」
「え、いや、痛いのはこめかみのこの辺りで...。」
とこめかみを指し示しながら答えると、
「じゃぁ大丈夫だ。水を沢山飲みなさい。そして、ガーリックスープを飲むのです。」
と彼はキリストのように語った。
有難いアドバイスにお礼を言って彼と別れる。

もう既に雲が出てきて小雪も舞っているので、手持ちでは暗くて写真が撮れなくなってきた。慰霊碑などを入れた写真を撮りつつ、高度順応を意識してわざわざ小高いところに登りながらロッジの方向に戻っていく。ロッジに戻ってしばらくすると、歩いたことでダイアモックスの効果が出始めたのか、手足の痺れが最大になってくる。頭痛もさっきよりは若干よくなってきた感じがしなくもない。

16時にストーブが点くと、周りにガイドやポーター、トレッカーなどみんなが集まってくる。ゴラクシェプにはロッジが極端に少ないため、ダイニングはこれまでのどこよりも混んでいる。ウズベキスタンから来たと言うカップルが、ストーブにヤクの糞をくべるのをビデオカメラで撮りたいので是非やってくれ、とロッジの主人に頼んでいる。もちろん快諾を得る。このシェルパ族の主人はどこかで見た顔だなぁと思ったら、俳優の筧利夫にそっくり。やはり日本人と基本的に似た顔の作りをしているんだろうな。

ロッジが混んでいるので晩メシの支度は戦争のようだ。オーダーが重なり厨房ではものすごい勢いで調理をしている。食欲はないが何かちゃんとしたものを食べたほうがいいかと思い、初めてパスタを注文してみる。「Macaroni with Veg. and Cheese」というのだ。そして、さっきのキリストさんに言われたとおり、ガーリックスープも忘れずに注文する。指定していた時間、18時半に食事ができてくる。はっきり言ってこのマカロニは殆ど食べる気がしなかった。というか、食事の頃になると頭痛に加えて吐き気が出てきて、マカロニなんざ喉を通らないのである。しかも圧力鍋があるとは言え、5,000m を超える高地でパスタを茹でるというのは、ある意味無謀な行為なのだと悟りつつ、ちょっと遅れて出てきたガーリックスープをすすりながら、吐き気を抑えてだましだまし食べていく。ところがガーリックスープを飲んでしばらくすると、なんと頭痛がスーッと消えていくではないか。わずか 10分程の間に吐き気も消えて食欲が復活してきた。なんだかよく分からないがチベット仏教の土地でキリスト似のシェルパに救われた。ちなみに、このガーリックスープは必ずどのロッジのメニューにもあるので、やはり即効性のある高山病のクスリとしての効用を認められているのではないだろうか。あえて調べはしなかったが。

食後、頭痛は引いてきたので頭痛薬の服用はやめて、ダイアモックスだけを飲む。ゲストの食事がようやく終わると、そこにいたガイドとポーターたち用のカレーが一斉に出される。この地域ではどのロッジでも、ネパール人の食事はすべて海外からのゲストの食事が終わってからということになっているようで、仮にゲストが食事に遅い時間を指定すると、彼らはそれが終わるまでずーっと腹を空かせて待っていなければならないのだ。そして、ガイドとポーターの晩メシは殆ど常にカレーライス、いわゆるダルバート、そしてお代わり自由なのだ。ポーターはさすがにものすごい量を食べる。やはり燃焼しながら登っているのだなと納得。

寝る前に懐中電灯を点けて外のトイレに行く。お腹の状態は既に上の中といったところでこれ以上心配はなさそうだ。トイレの周りにはヤクが沢山いて、懐中電灯の光で照らされて一斉に目が光る。

明日はエベレストベースキャンプまで 5時出発で往復する予定なので、ちょっと早めに 19時半に就寝。さすがに寒いのでシュラフの口を閉めて寝る。

22時半、大量の水分摂取とダイアモックスの影響とによりトイレに行きたくなって目が覚める。外に出るとヤクたちはさっきと同じ場所で、相変わらず無言で立っている。背中には雪が真っ白に積もっている。トイレの掘っ立て小屋の前まで行くと、なんと入り口のまん前に一匹のヤクが立ちふさがっていてどいてくれない。ちょうどその場所が建物と山の斜面の間になっているため、風が来なくて居心地がいいようだ。仕方がないので小屋の裏で用を足してしまう。帰りがけにヤクに聞いてみる。
「寒くないの?」
「...........」
つくづく大人しい無口なヤツらなのだ。


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