ヒマラヤトレッキング日記
〜 カラパタール / EBC トレッキング編 〜


2004/3/30 (Tue)

晴れ、すぐのち強風、のち 15時半頃から雪

起床(6:00) → 朝食(6:40〜7:00) → Namche Bazar / View Lodge 発(7:50) → たて at チョルテン(8:20〜8:27) → たて at Kyangjuma / Ama Dablam View Lodge 前(9:03〜9:13) → Phunki Tenga (3,190m) / Thamserku Shop for 昼食 (9:55〜10:40)→ たて at 3,475m (11:07〜11:25)→ たて at 3,600m (11:45〜11:55) → Tengboche (3,867m) 着(12:23) → Tengboche 発(12:40) → Deuche (3,700m) / Quite Gomba Lodge 着 (13:05) → 写真撮影で外出(14:00〜15:00) → 夕食(18:30〜18:50) → 就寝(20:00)

(Namche Bazar 〜 Deuche 歩程: 5時間15分

「GS645S も故障?」

昨夜ダイアモックスを服用したのでひょっとしたら利尿作用が効いているのかもしれないが、パクディン (Phakding) 以来、何だか 5時半頃にトイレに行きたくなる癖がついてしまった。部屋に戻って寝なおしてから 6時に起床。隣の部屋に風邪っぴきさんがいるので、よくうがいをして顔を洗う。パッキングを済ませて 1階のダイニングで「Toast」 2枚と「Omelet / two eggs」の朝食を注文。今日のルートは 250m 下って 670m の登り返しという、高山病が最初に出やすい部分と言われているので、昨夜半分に割った残りの 125mg のダイアモックスを朝食後にも服用する。ついでに新ワカ末 A錠も服用。時間があるのでダイニングでスイスから来ているという二人と話をする。彼らはカラパタール (Kala Pattar / 5,545m) まで行き、その後、一旦トゥクラ (Tukla / 4,620m) まで下った後、チョララ峠 (Tshola La Pass / 5,420m)を超えてゴーキョピーク(Gokyo Peak / 5,483m)へ至り、昨日、ナムチェバザール (Namche Bazar / 3,446m)に下りてきたというつわもの夫婦なのである。憧れのスイスの山に色々と登っているようなので、
「スイスには沢山いい山があるじゃないですか。」
と言うと、本人たちは
「スイスには低い山しかなくてねぇ...。」
と残念そうに語っていた。なんとも羨ましい悩みなのだ。

気持ちのいい山腹道 「今日の目的地であるタンボチェ (Tengboche / 3,867m) にはいいロッジが少ないので、明日はなるべく早く到着しなければ...」
と、昨日の夜語っていたケサブ君は TRB が荷物を取りに来てもまだダイニングには来ていなくて、出発予定時間の 7時半ぎりぎりになって、慌てた様子で、
「寝坊した〜っ!!」
と、申し訳なさそうに下りてきた。
「まぁまぁ、ゆっくり朝メシを食ってちょうだい。」
と言うと、嬉しそうにキッチンに入っていった。

昨日のホットシャワー代、Rs120 を支払い、予定よりやや遅れて 7時50分にロッジをあとにする。さすがに今日は昨日の直登ルートではなく、馬蹄形の縁を登るルートを使って登り、例の大きなマニ石のある分岐点で今度はタンボチェ方面に曲がる。緩やかな山腹道を通り、このトレッキングルート上、初めてエベレスト方面の展望が広がる地点に立てられたチョルテンで一回たてる。チョルテンの周囲では、大勢のトレッカーがチョルテンとエベレストを入れた記念写真を撮っている。まだ 9時前なのだが、この時点で既に結構風が強く、砂が舞っている。そこから最高に景色の良い山腹道を縦走気分で 30分程歩いた Kyangjuma というところにある、Ama Dablam View Lodge のテラスで 2回目のたて。アマ ダブラム (Ama Dablam / 6,812) のよく見える谷側のテラスで景色を眺めながらブラックティーを飲む。テラスの脇では山に向かって静かに香が焚かれている。ちなみに、この『Ama Dablam View Lodge』若しくは、『Ama Dablam Lodge』という名前のロッジは、このトレッキングルート上のあちこちに同じ名前のロッジがいくつも存在し、その数はやはりあちこちにある『Namaste Lodge』に匹敵するぐらいのものである。但し、これらは別にチェーン展開しているわけではなく、単に皆同じ名前をつけてしまうというだけの話なのだ。 山に向かって香が焚かれる

10分程の短い休憩ですぐに出発。クムジュン (Khumjung / 3,790m) への道との三叉路であるサナサ (Sanasa) を通過し、左の方へ急登していくゴーキョへ通じる別の山腹道を眺めながらさらに進むと、道は樹林帯に入って高度を下げ始める。今日の行程の前半の「250m の下り」が始まったのだ。気がつくと、TRB の足元を野良犬が一緒に歩いている。彼ら (野良犬) の行動範囲は結構広いようで、次の村ぐらいまでは平気でついてくるのだ。下り坂はどんどん急になり、帰りのことを考えると憂鬱になってしまう。途中、十数人の日本人の中高年トレッキング隊とすれ違うが、特に言葉を交わすこともなく、さらにドゥードコシ川 (Dudh Kosi River) のレベルまで下っていく。
“LAST STOP / TENGBOCHE / 2 MORE HOURS CLIMBING!!”
と書かれた看板のかけてあるロッジの脇を通り、吊橋を渡って 2分程登ったところにあるプンキタンガ (Phunki Tenga / 3,190m) の Thamserku Shop という名のロッジに到着。つまり、さっきのロッジは全然「LAST STOP」なんかではないのだ。ともあれ、ここで昼メシとなる。

Thamserku Shop の飼い犬 何となく重いものは食べたくない気分だったので、「RAK SOUP NOODLE」というのを注文。出来上がってきたものを見ると、具も何も入っていないただのインスタント塩ラーメンなのだが、ヒマラヤの奥のこんなところで塩ラーメンに出会うというのはそれはそれでものすごい感動。そのラーメンを食べながら、何気なく首から提げて歩いていた FUJI GS645S のファインダーを覗いてみると、なんとピントリングを回してもファインダー内にあるピント合わせ用の二重像もブライトフレームも動かない。どうやら朝からの強風で舞っていた砂埃に見事にやられたようだ。とは言え、GS645S はマニュアル機なので、絞りをある程度絞り込んで、ピントも目盛を見て目測で合わせれば何とかなるだろう。しかし、トレッキングも前半だというのに、復活したとは言え GR1s 1台が水没、サブカメラである GS645S も故障、となるとちょっと厳しい事態になってしまったわけだ。

「こうなっては、PENTAX 67II だけは絶対壊せないから、上の方に行くまで極力使わないようにしようかな...。」
などと考えながら、そういえばと思って以前から半分壊れていて素手でも外れてしまう GR645s のファイダー部分のカバーをはずし、そこにある距離計連動のためのバネ仕掛けをブロワーブラシで掃除してみると、どうにかこうにか二重像もブライトフレームも動くようになった。ブライトフレームをファインダーに表示するための二枚のプレートの間に砂埃が入って、動きが悪くなっていたのだ。これはもうカンペキにヒマラヤの砂埃の仕業なのだった。こうなると、行動中は GS645S もザックに入れて歩かなければならない気がしてくる。カメラ用のウェストポーチでも持ってくればよかった。行動中にザックを降ろさずに写真を撮るのは、胸のポケットに入れた RICOH GR1s に頼るほかなさそうだ。

Thamserku Shop の前では小さなバザールをやっていて、付近のシェルパ族などが買い物に来ている。ロッジの入り口には、ロッジの飼い犬なのか、小型犬がつながれている。この土地でもペットとして小型犬を飼っているというのは何だか不思議な気がする。食後にそれらを写真に撮っていると、目の前を数人の欧米人パーティが通過していく。よく見ると、ザックのてっぺんからヤクの角が生えている。しかも本物だ。角だけということはなさそうなので、頭蓋骨ごと購入したのだろうか。それにしても、まだまだ登りの行程だというのに、こんなものを買ってザックにつけて歩くとはよっぽど酔狂なヤツなのだ。そして、そのパーティの後ろを本物のヤクの隊列が歩いて行く。ザックに付けられている角をどんな気持ちで眺めながら歩いているのだろうか。そういえば、ヤクは自分たちの食料、つまり干草も背負って登るのである。上の方に行くと彼らの行動食である草もあまり生えていないからなのだろう。まったくもって偉い動物なのである。
Phunki Tenga の小さなバザール

「Tengboche 満室」

昼メシも食って十分に休憩もして、さっき前を通ったロッジに「2 MORE HOURS」と書かれていた 670m の高度差に挑む準備が整った。ロッジ確保のため TRB は既に出発している。ふと気がつくと、手足の先がジンジンとしびれている。そういえば日本を出発する前に見た外務省のホームページのボリビア発の情報には、「ダイアモックスを服用していて、手足を押し付けたときにジンジンするような場合には血液中のクスリの濃度が最適になっている、何もしなくてもジンジンするときは効きすぎ」と書かれていたが、これは後者にあたるのだろうか。何にしてもクスリが効いていることがこうしてチェックできるのはありがたいことだ。

出発するとまずはいきなりつづら折れの急登が始まる。ケサブ君は笑顔で
“Slow, slow!”
と言いながら、非常にゆっくりのペースで進んでくれる。高山病を避けるためにも、極力ゆっくりのペースで登るのが良いのだ。30分も歩かないうちに 3,425m 地点で一回目のたて。水とアーモンドチョコレートを出して、チョコレートをケサブ君におすそ分け。と、彼はこのチョコレートがいたく気に入ったようで、この後もこのチョコレートを出すと「旨い旨い!」といつも大喜びしてくれた。さらに、どこで買ったのかと聞くので、これは日本のメーカーのものだと言うと、とても残念そうな顔をしていた。今後、Himalayan Activities でトレッキングを考えている人は、ガイドがケサブ君であったなら、是非このチョコレートを持っていってもらいたいものだ。

さらに、20分歩いて 3,600m 付近で二回目のたて。そこから 30分弱、12時23分に遂に 650m を登りきりタンボチェに到着。休憩を長く取っているので 1時間40分程かかっているが、ペースとしてはなかなか早い方だそうだ。この地方のチベット仏教の総本山たるゴンパ (僧院) の横を通り、写真はとりあえず後で撮ればいいかということで、広々とした気持ちのよい広場を緩やかに下って、まずはケサブ君が目指していたロッジに向かう。ところが、なんと目指していたロッジの前で待つ TRB からは、「ロッジは満室」との情報。慌ててケサブ君が中に入るが、出てきた彼は、手で大きな×印を出している。急遽、ケサブ君はゴンパのすぐ隣の別のロッジに TRB を派遣。ところがいつまで待っても TRB は戻ってくる様子がないので、二人でそのロッジまで登り返す。行ってみると TRB は既に鍵を持っていて、部屋に案内してくれる。一畳もなさそうなシングルルーム。ケサブ君は心配そうに
“Is this room OK? (ここでいいの?)
と聞いてくるが、こちらも厳しい事情を理解しているので、
“No problem! (問題ないよ)
と答え、部屋に入って荷物をベッドに降ろす。小さな窓にガラスはなく、透明なビニールが貼られているようだ。これまでのロッジとは打って変わってかなり埃っぽいが、ナムチェバザールから先はまぁそんなもんだろうと思っていたので、特に気にすることなく部屋の写真などを撮っていると、そこへケサブ君がやってきて、
「30分ぐらい歩いたところにもっときれいなロッジがあるんだけど、そこに移ってもいいかなぁ?」
と聞いてくる。
「もちろんより良いところに移るのはやぶさかではないが、ここでも別にいいのだよ。」
と答えると、彼はこのシングルルームがトイレのすぐ近くにあって、トイレの匂いがすることが非常に気に入らないようだ。彼のロッジ選びの基準は誠にもって高いのであった。

Deuche のメンダンとチョルテン というわけで、すぐにタンボチェを出発。後で撮ればいいやと思って素通りしたゴンパの写真は撮れずじまいだが、今はロッジを探すことがより先決である。目指すロッジはタンボチェからほんの 15分程下ったところにある、こぎれいな作りのロッジである。が、なんとここも満室。どうやら同じタイミングでいつになく遠征隊が多く入ってきているため、軒並み満室になっているようだ。さらに 10分程下ったところにあるデウチェ (Deuche / 3,700m) という土地にロッジが二軒。そのうちのきれいな方に入っていくがこれも遠征隊に予約されていて×。質は若干落ちるが、もう一軒の方の Quite Gomba Lodge という名のロッジに何とか部屋を見つけた。部屋は狭いがトイレは外だし、2階のダイニングの眺めはすこぶる良い。やっとケサブ君の承認が下りる。時間は 13時過ぎ。

ダイニングでお茶を飲み、少しゆっくりしてから写真を撮りに外に出る。ケサブ君はロッジの前の風の来ない草地に大の字になって寝ることにしたようだ。このデウチェ(またはデボチェ / Deboche) と呼ばれる土地は、尼僧の集落だそうで、小さなゴンパに英語の説明書きがあり、寄進をすれば中に入って写真を撮ったり尼僧から説明を聞くこともできると書かれているが、相場がイマイチわからないので中に入るのはやめて外から写真を撮る。さらにルート上にあるメンダンの写真を撮っていると、台湾から来たと言うカメラを下げた男性が下ってきて、ひとしきり写真の話などをする。重い 6×7判の PENTAX 67II と機材一式を担ぎ上げてきたことにはいたく感動したようだった。

ロッジに戻ると、ケサブ君は 2階のダイニングの窓際で熟睡中。外は寒いので中に入ったようだ。今日 PENTAX 67II を使ったのはほんの少しの間だったのだが、外に出ている間にあっという間に砂まみれになったカメラとレンズをそこで掃除する。砂はカメラ以外のあらゆるところにも進入していて、耳の中もジャリジャリしている。おまけに相変わらず手足の先はダイアモックスの影響でジンジンとしている。

15時半ぐらいからロッジの外では雪がちらちらと舞い始めた。既に周囲はガスっていて展望はゼロ。そこへオーストラリア人の 3人のパーティが到着。彼らもナムチェバザールであったウェールズの人のように、超高速で上がって下りてきた口だ。さらに、アメリカ人のカップルが到着。彼らは 21日間の日程で、チョララ峠 (Tshola La Pass / 5,420m)を超えてゴーキョピーク(Gokyo Peak / 5,483m)へ至る、今朝のスイス人夫婦と同じルートを行く予定だそうだ。さらに、我々が着いた時に具合が悪そうにしてロッジの外にいたドイツ人のおっさんは、やはり同じダイニングの中で咳をゴホゴホしている。16時になるとストーブが点くのでストーブの周りに円形にイスを並べて暖まるが、ここでも寒がりなのはガイドとポーターたち。彼らはストーブに一番近いところで、しきりに情報交換をして、初対面の人とは連絡先を交換し合ったりしている。もちろんケサブ君はストーブの近くにイスを用意してくれて、座れ座れと言ってくれる。離れたテーブルではオーストラリア人 3人組みが、到着してからひたすらポーカーをやって盛り上がっている。晩メシを賭けているようだ。

暗くなってきたのでロッジの人が電気を灯しに上がってくる。20畳程の部屋に 20w ぐらいの蛍光灯が一本。しかも、見ているとスイッチはなく、電気を点ける時だけ棚の上に置いてあったグロー球を差し込むという荒業に外国人は大うけ。当然このあたりに電気は通っていないので、昼間の間にソーラーパネルで電池に充電し、それを夜間に蛍光灯で大事に使うというわけだ。どんなに暗かろうと電気が点くということは、こんなにもありがたいことかと思う。トニー・ハーゲンの『ネパール』では、薪に変わるエネルギー源として太陽熱集熱器方式を推奨しつつも、コストがかかることを懸念していたが、今やソーラーパネルでの蓄電が多くのロッジで稼動している。

またもや風邪っぴきが多いので、晩メシは「Garlic Soup」と「Fried Rice with Vegetables」。でも暗くて中に何の野菜が入っていたのかは不明。オーストラリア 3人組はメシを食いながらまだポーカーをやっている。晩メシの後、外のトイレに行ってみると屋根は藁葺き。壁はすかすかの掘っ立て小屋だ。さっきのアメリカ人カップルの女性は、きれいな方のロッジのトイレを使っていると言っていたっけ。だんだん、ヒマラヤらしくなってきて何だか嬉しいのだ。

20時に就寝。


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